法然と極楽浄土 | けろみんのブログ

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2024.4.24


「法然と極楽浄土」東京国立博物館 2024.4.16~6.9


楽しみにしていた展覧会です。私の父の家系の宗派は浄土宗なのですが「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽へ行けるという、ミニマムでゆるい宗派という認識です。

南無阿弥陀仏はナモーアミターバ(サンスクリット語?)の音写だそうです。「阿弥陀仏に帰依する」という意味だそうで今Wikipediaで調べて知りました。すぐ分かって便利な時代です。




この展覧会はまず法然を取り巻く時代背景、ご本尊の阿弥陀仏について、弟子について、徳川家と繋がった江戸時代の浄土宗の寺あれこれ と順番に展示されています。

  



源信著の「往生要集」は浄土宗の元となる浄土教の経典から極楽往生するための記述あれこれを書き出したものです。

展示からは判読できませんでしたが最初の巻には、地獄の様子が微に入り細に入り描かれており、このような恐ろしい場所に行かないためにどうしたらいいのだろう?と考えさせる力を持っています。

法然上人の肖像画。目の下のクマがぷっくりとふくれ唇は割と厚く、特徴的なお顔です。論破が得意そう。




国宝の「法然上人絵伝」48巻もある京都の知恩院の至宝です。6巻の法然が吉水で浄土宗を開いたことが描かれ、14巻では大原談義の様子が描かれます。


小さな仏像で胸が水晶でできて光っているように見せている涅槃図、唇が水晶でつやつやマツコ・デラックスのような仏像があり、今回の仏像は随分と変わってると思いました。




阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)国宝の絵画で修復が終わったばかりです。軸装のオレンジ色が眩しいと感じていたら、表装を取り換えたそうです。


最後の増上寺、狩野一信「五百羅漢図」は私の大好きなシリーズであちこちの展覧会で少しづつ見る機会があります。どれも細密に丁寧に描かれていて物語性があります。12幅もみられて満足でした。前後期行けば、およそ全100のうちの4分の一になる24幅見られます


写真撮影可能な作品 香川県法然寺の仏涅槃群像は大きくて圧倒されます。


密教の展覧会のように派手さはないもののテーマのわかりやすい展覧会でした。




法然は岡山の地方豪族の子として生まれました。両親はなかなか子宝に恵まれなかったため仏にすがるようになり、とても信仰心の厚い人達でした。9歳の頃不仲な荘園管理人の夜襲に合い、父親は瀕死の重傷になりました。父親は勢至丸(法然の幼名)に敵討ちなどせず菩提を弔って欲しいと遺言しました。

とても賢い勢至丸は仏門に入り僧侶の叔父が基礎教育をしたあと比叡山延暦寺に登りました。叡空の元「往生要集」など浄土教を学びます。師匠とは観仏と称名とどちらが優れているか論争になり観仏(念仏を心で唱える)が優れると主張する叡空は激昂して法然に枕をなげつけたと言います。師にたてつくほど自身の理想形を目指していた事が分かります。24歳の時比叡山をおりて更にあちこちの寺を周り修行。誰もが救われる仏教とはなにかを模索します。43歳の時善導の著書の中に一心に阿弥陀仏を唱えることで仏教理解の浅い凡人でも極楽浄土へ往生出来るという文章を見出し、これだ!と感じました。でも自分のようなものが開宗するなんておこがましいのではないか、と悩む矢先に夢を見ます。善導と会う夢をみたのです。夢の中の善導は半分阿弥陀如来、半分善導のお姿で法然の志を支持してくれました。こうして開宗する自信がついた法然は「浄土宗」を立ち上げました。法然の布教活動により、たくさんの人が浄土宗に入門。諸宗の知識人の中で自分の理論を述べ広い層に支持されます。法然が70歳になる頃には増加した法然門下の僧侶の中から浄土宗の教えを逆手にとって「悪いことをしても念仏を唱えるだけで罪がチャラになる」と唆すようなことを教える弟子が現れます。そのせいで元々専修念仏を勧めた法然は悪くないのにことのきっかけを作った張本人として槍玉に挙げられます。そんな中後鳥羽上皇寵愛の松虫鈴虫2人を出家させてしまった罪で法然の弟子ふたりが死刑、法然、親鸞らは島流しの刑に処せられます。と言っても流刑地の土佐まで行かず讃岐に留まり、すぐに畿内に帰ることは許されたが、京都に入るのは禁じられた状態に留め置かれます。その間あちこちの地方で布教に励みます。やっと京に戻ることが許されたのは死の前年。開祖に相応しい往生でした。自分の信じる道に真っ直ぐに突き進んだ法然には多くの門弟や信者が集まっており、法然の教えを受け継いだ弟子たちが寺を開きます。浄土宗 7本山と言われるお寺は


  • 増上寺(東京都港区)

  • 光明寺(神奈川県鎌倉市)

  • 善光寺大本願(長野県長野市)

  • 金戒光明寺(京都市左京区)

  • 知恩寺(京都市左京区)

  • 浄苑華院(京都市上京区)

  • 善導寺(福岡県久留米市)

が数えられます。

江戸時代になると、徳川家康からの信仰もあり益々浄土宗が盛んになりました。「南無阿弥陀仏」という一言は誰でも知ってると言えるほど日本人に浸透しています。


余談ですが私はなくなった父はもう浄土宗の仏になったので普通の言葉は通じないだろうと思いお墓参りの際に言いたいこと全て「南無阿弥陀仏」と翻訳して呟いてました。阿弥陀仏は全て上手くやって下さるでしょう。

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