けろみんのブログ

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日記・観た映画のこと・観た展覧会の感想

2024.9.19
田中一村展 奄美の光 魂の絵画





 2024.9.19~2024.12.1
上野 東京都美術館


ずっと楽しみにしていた田中一村展が開催されました。今まで箱根の岡田美術館で4点ほどみたり、千葉市美術館で2021年に個展の際は初日に行ったりしました。千葉市美術館の展示は色紙など、千葉寺に住んでいた際の展示が多かったように思いますが今回の展覧会は奄美の田中一村記念美術館から大型の作品が多数出品され、特に最後の一室は奄美大島の作品にぐるりと囲まれ、心ゆくまで「奄美の光、魂の絵画」を見ることが出来ました。


 奄美大島時代の作品は・細密な表現・質感の違い・モティーフとの長い付き合い・構図の研究など、色々な要素が全て高まって完成した究極の作品です。これらは奄美大島まで行かないと見られないと思っていたのでとても嬉しいです。


 筆まめな田中一村の葉書やその他参考資料もとても興味深くみました。当時の記事では、「アカショウビンは北海道を除く日本各地でみられる」とあります。普通の翡翠は見るけれど、アカショウビンは今では中々見られないでしょう。鳥の描き方はとても研究されていて胸の羽毛の毛繕いで前のめりになっていたり翼の毛繕いで頭の毛が毛羽立ち、首が細長くなる所なども細かく描いていて素晴らしいです。


 一村が撮った写真も多数展示されていて、風を感じるもの、光が面白いものなど雰囲気のある写真ばかりでした。


 グッズ販売では、多数の展覧会限定グッズが揃っていて目移りしました。アダンの実をモチーフにしたクッション、ふわふわなチャーム、田中一村の絵を下にしたひざ掛けやバックやフェイスタオルなどよくできています。私は図録しか買ってないけど…… 






 田中一村の年譜

 ・田中一村は1908年彫刻師の父の元、6人姉弟の長男として栃木県で生まれた。 

・5歳の時東京に移り住み6~7歳の時には父の指導の元画家が描いたといわれても信じそうなほど完成度の高い絵を描き、神童と言われる。

 ・13歳の時には大正皇后がパイロットに手渡しされた「記念帖」に小学生の優秀作品として選ばれる。 

・中学は私立芝中にすすむ。特等生であり佛教、漢詩を学ぶ。 

・15歳の時関東大震災被災。南画の大家の離れに身をよせる。 

・中学卒業の年に東京美術学校(今の芸大)にストレート合格するが2ヶ月で退学する。同期に東山魁夷がいた。

 ・既に南画家として成功しており画業は忙しかった。画会も開かれた 

・20代は弟3人と父母を亡くし、残った家族を養うことになった。23歳を境に南画と訣別し写生画に転換。信州や兵庫県に旅行する。 

・30歳の時姉妹祖母と共に千葉県の千葉寺に移り住む。

 ・30代で戦争を経験し、39歳で川端龍子主催の「青龍展」に「白い花」で入選。 

・40歳の時青龍展に2作品を出品するがひとつ落選し、納得がいかず川端龍子と決別する。
→この時の落選作「秋晴」は今回の展覧会に展示されていて、わたしは大根が、不自然かなぁーと思いました。 

・日展、院展などに出品しても落選続きとなる。
・47歳、石川県の「やわらぎの郷 聖徳太子殿」の天井画に薬草を49種類描く。
→緑色がとても豊か。 

・50歳、院展落選を機に千葉の家を売り後援者の支えもあり奄美諸島に移住することを決意。

 ・50代は千葉に戻り制作、奄美大島で働く、絵を描くなど行ったり来たりする。

 ・60代、紬工場をやめて制作に専念。代表作を描く 

・69歳、千葉に戻り「アダンの海辺」他作品を披露。9月11日 引越ししたばかりの一軒家にて心不全で逝去。