マティス 自由なフォルム その2 | けろみんのブログ

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マティス 自由なフォルム

2024.2.14~5.27

国立新美術館二階 (乃木坂、六本木)



こちらの記事で前半の展示感想と、講演会で伺った内容でメモが判読できるところについてかきました。

ここからは撮影可能ブースにてキャプテンを撮影したのでそれをコピペしただけです。

とても詳しく書かれていたので参考になりましたが現地で読んでると時間がかかるのでこうしてスキャンしてます




切り紙絵の技法


1930年代以降、マティスは切り紙絵という独特の技法を編み出していきます。大きな ハサミを手に、マティスはあらかじめアシスタントがグアッシュで塗っておいた紙から、 実に多彩な形態を切り抜きました。この技法はマティスにとって、彩られた素材へと直に切り込んでいくことで、色とマッスを通じて自分を十全に表現する手段だったのです。 切り抜かれたモティーフは次に支持体にピン留めされます。大型作品の場合は、ニース にあるレジナ館のマティスのアトリエの壁に直接留められました。作品には、現在でも 無数の小さな穴を認めることができます。このような手法を取った結果、作品全体のなかでの適切な位置が見つかるまで、フォルムを 必要に応じていくらでも動かすことができるようになります。マティスが作品を完成と見なすと切り抜きはトレースされ、カンヴァスで裏打ちした別 の支持体に糊付けされました。


《ブルー・ヌードIV》と切り紙絵



マティスは1952年に、切り紙絵による4点の連作(ブルー・ヌード)を 制作しました。その中でも《ブルー・ヌードIV》 は、青い切り紙が重なり合う部分が最も多く、物質としての紙の存在感が強くなっています。 女性の身体をデッサンした痕跡が数多く残されており、念入りに構築されていたことがわかります。《葦の中の浴女》や 《アンフォラを 持つ女》など、女性の身体は青の切り紙絵によって数多く創られ、その大半はレジナ館の壁面に切り紙絵を貼り付けて制作されました。


筆によるデッサン


1946年から52年にかけて、マティスは顔をモティーフとした筆と墨に よるデッサンを数多く制作しており、《大きな顔、仮面》 もそのうち の一つです。また大型装飾の注文をレジナ館で制作した様子を記録し た写真から、筆によるデッサンが切り紙絵の構成要素に組み込まれて いたことがわかりますもっとも、そのうちのデッサンの幾つかは自律し た作品でした。マティスは顔のほかにも、《大きなアクロバット》や 《木(プラタナス)》 のように、アクロバットや木の主題も取り上げて います。そして筆によるデッサンは、ヴァンス礼拝堂の陶板壁画において も適用されることとなります。


《花と果実》



マティスは1952年頃、アメリカ人コレクターからロサンゼルスのヴィラ のパティオ (中庭)のための大型装飾の注文を受けます。これに応じた マティスはその構想を練り、切り紙絵によるマケットを4点制作しました。 そのうちの一つが《花と果実》 です。本作は5枚のカンヴァスが 繋げられた巨大な切り紙絵です。4枚の花びらないし3つの果実による 形態が基本単位となり、各々が反復されて画面が構成されています。画面 の左右それぞれには、柱頭を備えた縦縞模様のある青い柱が認められ、 また画面の中央右寄りには、5枚の花びらを持つ花の基本単位が縦に 4つ並んでいます。


ブローディ・ヴィラの 《花束》


1949年、建築家アーチボルド・クインシー・ジョーンズの設計で建てられたブローディ 夫妻のヴィラはロサンゼルスのホームビー・ヒルズ地区に位置する典型的なアメリカの「ミッドセンチュリーモダン」様式の邸宅です。内装と家具を担当したのは室内装飾家。デザイナーのウィリアム・ヘインズ。ヴィラは複数のテラスやベイウィンドウ、広いパティオ を備え、外部へといっぱいに開かれているのが特徴でした。パティオには巨木がそびえ、壁の白い表面は木漏れ日でちらちらと震えます。この空間用にヘインズは「マリブ」 シリーズをデザインします。カリフォルニアのくつろいだ暮らしを喚起する、すっきりと した線で構成された椅子やソファーです。陶板絵 《花束》 は1954年に制作、55年8月 に設置されて、青天井の客間ともいうべきパティオを活気づける一助となりました。




陶板への転写



マティスは、切り紙絵で制作したマケット (《アポロン》 と 《花束》) を転写して陶板壁画 とする過程を入念に監修します。もともとのグアッシュの色を最大限忠実に再現するた めには、複数の釉薬を用いた試作が必要でした。陶板要素は完成すると、漆喰で覆ったコンクリートのパネルにはめ込まれました。輸送 を簡易化するため画面は複数の部分に分解され、設置現場で組み立てられました。陶板制作は南仏ジュアン=レ=パンにあったシャルル・コックスの工房で行われました。作品の組み立てを担当したのは ロベール・ロソラン。《アポロン》の顔は、釉薬を塗った正方形の白いタイルに、焼きしめる前にマティスが 自らデッサンしたものです。


《アポロン》


やはりブローディ夫妻の注文に応えてつくられた《アポロン》 (切り紙絵はストックホルム近代 美術館、陶板絵はトリード美術館) は、前2作とはまた別の発想を出発点とし、異なるフォーマットで展開したものです。この装飾プロジェクトに熱意を燃やすあまり、マティスは ブローディ夫妻がどのようなサイズを希望しているかも知らないうちから制作を始めたため、《仮面のある大装飾》と《花と果実》が横長であったのに対し、本作はほぼ正方形 となりました。他の2作と同じく画面を両脇から2本の柱が挟み込む一方、顔/仮面 はギリシアの神アポロンとなり、頭上に頂く太陽から発する光がその神としての性格をはっきりと表します。アポロンが見下ろす世界では、色鮮やかな植物形態たちが楽しく踊っているかのようです。


《花束》


《花束》(切り紙絵はカリフォルニア大学ロサンゼルス校、陶板絵はロサンゼルス・カウンティ美術館) は最後のプロジェクトで、「何かもっとシンプルなもの、白地に色斑が散らばっているような作品」を希望したブローディ夫妻が購入することになったのが本作でした。実際本作 は全面的に、さまざまな色や形態、大きさの植物モティーフ(マティスの切り紙絵を象徴 する葉や海藻)で構成され、これらが広々とした白の表面上に配されて、さながら一個 の巨大なブーケのようです。要素の並べ方のおかげで、縦と横の両方向にほとばしり出るような動勢が作品いっぱいに満ちています。



注文×1=プロジェクト×4


1952年、モダンアートのコレクターであるフランセスとシドニーのブローディ夫妻が、 ロサンゼルスに建ったばかりだったモダニズム様式のヴィラのパティオ (中庭) を飾る陶板作品の制作を依頼します。これに応えてマティスは1952年から53年にかけて、切り紙絵を用いて4種類のプロジェクトを練りました。本性からして自由な形式である切り紙絵のおかげで、マティスはインスピレーションのおもむくままに制作する ことができ、また同時進行する複数のプロジェクトのあいだをフォルムが自由 に行き来することになりました。



《仮面のある大装飾》と《花と果実》


《仮面のある大装飾》 (ナショナル・ギャラリー、ワシントンDC) と 《花と果実》 は同一のテーマや 形式に基づいており、密接に関連しています。後者より大きい前者では、オレンジを 3つ一組にしたモティーフのかわりに仮面がいくつか筆でデッサンされています。どちらのヴァージョンも花をモジュール(基本単位)として組み合わせ、画面全体にわたって繰り返すというやり方でつくられました。《花と果実》の保存修復に際しておこなわれた 調査の結果、以上のような原則に加え、モジュールの中にはまったく同一のものもあり、 どちらの画面でも同じ位置に配されていることがわかりました。


日本



1951年、東京の国立博物館で「アンリ・マチス 礼拝堂・油絵・素描· 挿絵本」展が開催されました。存命中では日本において最初で最後と なったこの展覧会は、大阪市立美術館と大原美術館へ巡回しました。 このときマティスはヴァンス礼拝堂の仕事を仕上げつつあった頃で、 そのため礼拝堂関連の作品が多く出品されました。展覧会の主催者 のひとつであった読売新聞社に、マティスは3点の 《顔》 を寄贈 しました。また文芸雑誌の 『別冊文藝春秋』誌では、4回にわたり表紙 と裏表紙にマティスの切り紙絵が掲載されました


ヴァンスのロザリオ礼拝堂


1948年から51年にかけて、マティスは南仏のヴァンスのロザリオ修道院に暮らすドミニコ会修道女たちのための礼拝堂の制作を指揮します。彼はこの礼拝堂を、芸術家としての自らの生涯の到達点にして精神的達成とみなしました。 礼拝堂制作のプロジェクトには、実際、建築家、ガラス工、陶工など、様々な職能集団が動員されました。マティスは建築全体から図像プログラム、典礼用調度のごく細かなディテールにまで心血を注ぎ、礼拝堂を綜合芸術作品としてデザインしました。


マティスは、ロマネスク様式の小教会に着想を得て礼拝堂の構造が非常に シンプルになるよう提案し、ステンドグラスを通して建築内部へと降り注ぐ光の働 きを工夫して建築空間を広げるというアイデアのもと作業を開始します。南側と西側、祭壇の背後に一連の開口部を設け、そこにステンドグラスをはめ込んで光が入ってくるようにする計画です。マティスは礼拝堂のステンドグラスのマケットをレジナ館の高い天井を活かして実物大の切り紙絵で試作しました。切り紙絵 《蜜蜂》は試作の段階で創られたものですが、この案は採用されませんでした。最終案となったのは《生命の木》で、本展ではその習作が展示 されています。


ステンドグラスと並行して、マティスは、「聖ドミニクス」、「聖母子」、「十字架の 道行」の3つのテーマを中心に展開する図像プログラムを組み立てました。これ らは、長い竹竿に筆を取り付けて墨を含ませ無数の習作を描いたのち、釉薬を塗って焼きしめた白の陶製タイルにデッサンを施して作られました。また祭壇や 燭台、磔刑像などの典礼用調度に加え、カズラ (上祭服) などの司祭服 一式も制作しました。




ヴァンスのロザリオ礼拝堂


礼拝堂内部の壁面は、3点の陶板壁画と3組のステンドグラスで構成 されています。陶板壁画については、それらの習作であるデッサンと陶板の《聖ドミニクス》 、《星形のある背景の聖母子》 、そして 《十字架降下》が出品されています。《十字架降下》は、キリストの受難から復活までの14の場面を表した《十字架の道行》の中で13 番目の場面に位置づけられるものです。ステンドグラスにはいくつかの案が切り紙絵で制作され、試作の段階で創られたのが切り紙絵 《蜜蜂》です。その結果、最終案となったのがステンドグラスの習作《生命の木》です


カズラ(上祭服)



マティスは礼拝堂の典礼用調度品のみならず、司祭服一式、つまり カズラ(上祭服)、ストラ (頸垂帯)、マニブルス(腕帛)、ブルサ (聖体布入れ)、聖杯用覆布もデザインしました。このセットは色違いで6種あり、それぞれの色は典礼暦により象徴的意味が厳密に決まっています。 マティスはゆったりとした近代的なフォルムでカズラをデザインしました。 正面と背面はほぼ半円に近い形で、人が着用するには十分にゆとり のあるデザインです。またカズラの装飾要素のほとんどは、海藻類のフォルムが着想源になっています。



ヴァンスのロザリオ礼拝堂 (内部空間の再現)


マティスはヴァンス礼拝堂を芸術家としての自らの生涯の到達点にして精神的達成とみなしました。 それはすべてを包み込む、大いなる総合だったのです。1947年12月、マティスはドミニコ会のルイ= ベルトラン・レシギエ修道士から、ヴァンス礼拝堂の建設について相談を受けました。1948年からこの計画に加わったのがドミニコ会のマリー=アラン・クチュリエ神父です。彼は教会の装飾に現代的 趣向を取り入れる「アール・サクレ (聖なる芸術)」という宗教芸術への新たな取り組みを推進した人物でした。礼拝堂の建築設計については、鉄筋コンクリートを積極的に採用したフランスの近代建築家オーギュスト・ベレと相談のうえで遂行されました。


採光にこだわった設計の礼拝堂の内部構造は非常にシンプルで、身廊の南側壁面に2組、祭壇奥の西側壁面に1組のステンドグラスが設置されています。また陶板壁画については、祭壇奥の北側壁面に《聖ドミニクス》が、身廊の北側壁面に《聖母子》が、そして東側壁面に《十字架の道行》が設置されています。



礼拝堂の特徴の一つは、ステンドグラスを透過して内部に差し込む色のある光です。礼拝堂内の床や壁に差し込む光は、夜明けから日暮れにかけて、1日のうちで移り変わります。ここでは、礼拝堂で光の移り変わりを撮影した映像を参考にして、時間を圧縮した映像を新たに作り直し、複数のプロジェクターで再現しました。また、季節によっても礼拝堂内に差し込む光の量は変化します。 礼拝堂を見るのに一番好ましい季節は冬で、時間は朝の11時だと、マティスは語っています


礼拝堂再現。
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