マティス 自由なフォルム
2024.2.14~5.27
国立新美術館二階 (乃木坂、六本木)
2024年2月14日、マティス展を見に行きました。開館時間に出向いて講演会の整理券を受け取り、ゆっくりと展覧会を鑑賞しました。
講演会ではとても善いお話を聞いたのですが私が記録するのが遅くなり、少ない脳みそから記憶が流れ出してしまったため、単なる覚書になってます。
最初は展覧会のキャプションから絵の感想。
次に講演会メモから講演内容の1部。
最後は撮影可能ゾーンにあったキャプションの文字スキャンです。
国立新美術館は、広くて外光溢れるガラス張り。マティスの明るい雰囲気にピッタリだと思いました。
1 初期
ギュスターヴ・モローに学ぶ。(モローの教え子は皆個性的)
1898頃 セザンヌ発見。画風に影響する
・ハーモニウムの生物 とても不安定な実験的な絵だ。
アジャクシオからトゥールーズへ
静物画にはフォーヴィズムを予告する純色
・フヌイエの家
荒々しいタッチで空がピンク。奥さんの地元トゥールーズにて
フォーヴィスム
コリウールでアンドレ・ドランと活動。
・マティス夫人の肖像
斬新だが、鮮やかでは無い
彫刻ー絵画の並行
マティス自身は目指すものは別だと表明しているが、同じポーズがある
・横たわる裸婦
左肘を地面に右手を頭の後ろにまわし右足で左足をまたぐおなじみの姿勢で横たわる。寛いでいて、曲線が美しい
アルベール・マルケとアンドレ・ドラン
1898頃から刺激を受け合う
・マティス夫人の肖像
マルケらしい垢抜けた色合い
2 アトリエ
ニースについて
ニースの光に惹かれてアトリエを点々とする
・ニースの嵐
珍しいニースの雨をホテルの一室から描いたもの 新しい時代感がある
オブジェのコレクション
・赤いムシャラビエ(赤いタピストリー) 小さなピアニストという絵のの後ろに描いてある。
・ヴェネツィアの肘掛椅子
はみ出してるせいで実物よりずっと大きく見える
彫刻の連作
頭部の連作は段々にゆがめられ仮面に近くなる
・アンリエット123
同じモデルの時期違い3になるとなんか気の毒なくらい変形した。フォルムの追求は立体作品により現れる、気がする。
・女性像、ニース
リディア・デレクトルスカヤ1934からモデル、晩年は制作助手
・肘掛イスの裸婦緑の植物
淡い色の中藍色の宝石3粒が目立つ。肘掛椅子に足をかけるポーズはマティスのお気に入り。独特のエキゾチックみ
1940年代の(ヴァンス室内画)
縦型のヴァンス室内画
垂直と水平の軸強調
・黄色いテーブルで読書する女
黒い輪郭線のみの静物画。透明に見える。
版画とデッサン
オブジェを配置した室内で、東洋風の衣装を着たモデルがマティスのマイブーム
・アラベスク
様々な模様に囲まれてる。版画は線が伸びやかで簡素、伊東深水みたい
物憂げな女性もたれてるとか
デッサンーテーマとバリエーション
マティスの魅力がつまっているように思う。小倉遊亀が影響を受けた作品を沢山描いている。垢抜けて都会的。
・ナイチンゲールの歌(モンテカルロ・バレエ団の舞台)
可愛い日本の匠がペコペコしてた。日本のペコペコする様はそんなに印象的なのだろうか?
バーンズ財団の(ダンス )壁画制作1930~33
台に乗り長い棒に括り付けたコンテで高い位置に描くマティスの写真。すごく体力を使いそうだ
タペストリーの計画
1935キュットリから依頼を受けた
大きなタピストリーの下絵
4自由なフォルム
1940 切り絵を完成
デッサンと色彩の永遠の葛藤
切り絵の個々のフォルムを変容させそれらを結合、複製していきます。西洋の絵画表象に伝統的な図と地は交互に入れ替わり作品の中心と周縁という区別もなくなりまさに自由なフォルムとなる
・ジャズとヴェルヴ
切り絵をボショワールというステンシル技法の1種を用いて印刷。ジャズは、私の中でマティスといえば真っ先に思い浮かぶ作品。
・ポリネシア、海
タペストリーを切り絵でマケットにするハワイアンキルトみたいな作品
・クレオールの踊り子
1950年頃から女性の体をモティーフに1930年代訪れたニューヨークでのアフリカ系アメリカ人のショー
これらはグアッシュで彩色された絵を切って貼ってある
どれも伸びた楕円に切り取った星のようなのが多い
メモはここまで。次にこの日(2月14日)に開催された記念公演「アンリ・マティスと壁画ー《花と果実》を例として」の感想を書きます。
講演者のフラニーズ・グラモン氏は前ニース美術館館長。この展覧会の監修者でもある。フランス人の発音では「マティス」より「マチス」の方が近いのが印象的。
マティスは1869年生まれ。1890年に個人の依頼で壁画を描く注文を受ける。印象派→ポスト印象派→ナビと装飾的な絵を自分のものとし、装飾的で大型の絵を描くことに意欲を持ったマティスは芸術に大衆の日常生活を描く。生涯のうち、転機となる仕事は5つ。
1シチューキンの依頼した「ダンス」
ロシアの実業家シチューキンは1917年の革命で接収た自宅がそのまんま美術館になるほどのコレクターで、1909年1階の広間に飾る大きな作品をマティスに依頼このトルベツコイ宮殿の1階は訪ねてきた人の気分をかるくするような作品、二階は家の精神と沈黙を表す絵を、三階は静寂、安らかをテーマに飾られていたそうです。
1910年完成の「ダンス」はマティスの代表作になりました。しかし当時は、あまりにも前衛的で理解されませんでした。荒々しい有史以前の絵のようだと言われました。マティスは大作が作れる規模のアトリエを作って作製、あらゆるものを削ぎ落とし、3色、グラデーションなし、人物は実物より大きく描かれていて、より抽象的にリズミカルに。言葉を介さず表現出来る音楽という題材はカンディンスキーにも影響を与えた。
2 バレエ芸術 ナイチンゲールの歌
1919年、バレエ団バレエ・リュスの興行師ディアギレフの2番目の依頼でアンデルセン童話に基づくストラヴィンスキーのオペラをストラヴィンスキーが再構成したバレエの舞台装置、衣装を担当した。Wikipediaによると衣装(白鷺の羽を使った帽子!)は予算超過で足の出た分はストラヴィンスキーとマティスが支払ったそう。マティスはこのために東洋的な美術館でインスピレーションを得て、様式化されたデザインとなりました。縫い合わせる型紙と、作り方は後の切り紙絵に繋がります。公演は失敗に終わったが、マティスの得たものは多かったようです。
(ここで眠ったようでメモが読めない)
3 バーンズの注文
1939年9月、マティスはアメリカに行きバーンズの依頼を受ける。
4 ジャズ 色とデザイン
5 ヴァンス礼拝堂と最後の注文
レジーナのアトリエを新築。
1941年 手術のせいでほぼ寝たきりになる。
(ここから全て判読不能)
アシスタントが塗った紙を車椅子に乗ったマティスがスラスラとハサミで切り、アシスタントに壁に仮止めして様子を見る、という動画を最後に見せて下さいました。海藻や、波、花、花、星などは、見たところ下書き無しで自由に切り抜いているようです。ずっと時代を先取りした作品を発表しているマティスは最後まで斬新です。
ブログはその2につづきます。会場のキャプションを文字スキャンしたものです。分かりやすいのでその2だけでも是非。予習に使えますよ
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