エドワード・ゴーリーを巡る旅 | けろみんのブログ

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日記・観た映画のこと・観た展覧会の感想

2023.6.4

台風一過の晴天の中エドワード・ゴーリーの展覧会に行きました。会期終了(6月11日)が近いせいか、見終わった13時30分には、受付から外まで長い行列が出来てました。



ゴーリーは絵本作家として有名です。私の育ちは洋書の絵本など置いてあるようなハイソ家族ではなく(日本の漫画は山ほどある)その後ゴーリーを読む機会に恵まれませんでした。なので今回の展覧会は初めてゴーリー作品をまとめてみる機会になりました。

面白いなと思った作品は

「不幸な子供」

・幸せだった少女が不幸になり最後は非業の死を遂げる

「ギャシュリークラムのちびっ子たちーまたは遠出の後で」

・アルファベット26文字が頭文字の子供が、色んな理由で死ぬ

「うろんな客」

・変な生き物が勝手に家に入って17年居着いて面倒を起こす

「狂瀾怒濤」

・指の彫像の中でスクランプ、ナイーラー、フィグバッシュ、フーゲリブーというおかしな生き物がなんかしてる(あらすじは分かりませんでした)

とても子供向きではない絵本ですが彼自身は子供向け絵本だと言っていた作品が幾つかあるそうです。彼の作品はとても細かく描き込まれて長く楽しめそうです。私が子供の頃読んだら眠れなくなるので無理ですが。

彼の絵本のストーリーは、きっちり韻を踏んだ美しい文章になっています。

それを日本語に訳すと、元文の良さが消えてしまって残念。彼の本には訳を載せる隙がないのです。

松濤美術館のあのくつろぎのソファで幾つか絵本を手に取り、邪魔とはいえ、それがなければ解読不能なのでやむなく訳の方を読みました。ソファが解禁されてとても嬉しい……

なぜこんな、「胸糞」とよばれる、救いのない話ばかりつくっていたのか?思うにゴーリーは世の中の何かを戒めたいとか、秘めたテーマを提示する意図はない気がします。様々な解釈が出来る話に読者が困惑したり、終わり方に絶望したりと読者が翻弄される様子を意図して。それにしても淡々とした作風には突き放されたけど、清々しい思いをした、というような感情が生まれます。

ゴーリーの作品では、壁紙や塀、絨毯や路面などが丁寧なハッチングでそれぞれの質感を出しています。人間や「いきもの」はそれに比べるととても小さくて、フワフワと重みがなく今にも飛んでいきそうなところを細かな背景がつなぎ止めてるって気がしました。鳥や、コウモリや、化け物も、みなフワフワしています。晩年は象を描くことが多かったようですが象は、1枚で動いているみたいな不思議な感覚に襲われました。

ほとんどがインキとペンで描かれていて、1箇所だけエッチングの作品がありました。エッチングにしてもクールなゴーリーの魅力はそのままでした。「蒼い時」というフランスちっくな絵本には綺麗なブルーが使われていて、それだけがこの展覧会のカラー作品でした。

他に彼の愛したバレエ団のタオル(化け物付き)バレエが好きで独身の偏屈な画家と言うとドガを連想します。関係ないけど……



2020年のゴーリーの絵をモチーフにしたファッション、ゴーリーの映像作品など250点あまり、途中ビデオや絵本を眺めて夫婦でゆったりと楽しく鑑賞できて、コロナだいたい終わって良かったとつくづく感じました。混んでるけどね。


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