吹きガラス 妙なるかたち、技の妙 | けろみんのブログ

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2023.4.30

サントリー美術館「吹きガラス 妙(たえ)なるかたち、技の妙(みょう)」


2023.4.22~6.25まで。


サントリー美術館らしいガラスの作り手目線で作品を味わう展覧会です。


今回はガラス工芸史家の井上暁子先生による、「吹きガラスの魅力ー西と東ー」にも出席しました。展示室で見てきたメモと講演の中で心に残ったことなどを書いていこうと思います。


藍色ちろり


吹きガラスはドロドロに溶けたガラスに息を吹き込み風船のように膨らませる技法で、紀元前1世紀に遡る歴史があります。



最古のガラス製品はBC3000~2500年のメソポタミアの遺跡から珠などが出土しています。

最もガラス工芸が盛んだったのはシリア地方。ここは燃料となる木材が豊富でその他の材料も手に入りやすい地域でした。


BC16世紀 コアガラス技法で小瓶制作


BC8世紀 透明ガラス制作


BC3世紀 モザイクガラス


BC1世紀後半、エルサレムで発見されたガラス管、容器片から吹竿をつくりガラスを吹いた形跡を発見。


吹きガラスには、ガラスのもつ可塑性を最大限に活かせる宙吹き、便利な成形法である型吹きの2つの技法があります。


セネカの詩「どのような器用な手を持ってしても出来ないほどの実に様々なガラス品を、その息によって形成される」こう歌われる頃には、吹きガラスは急速に発達、伝播していました。


ポンペイの遺跡からは日用品としてガラスを使っていた形跡があり、オリーブオイルやワインを入れる実用的なものから、職人技の光る観賞用の器まで作られていました。


吹きガラスは、重力、遠心力を利用し職人の腕次第で自由自在なガラス表現が可能となる画期的な技法。しかも短時間で容器を作ることができ、価格が抑えられます。

銅貨1枚でガラス器が買えたとか。



この技術には伝統的に培われた除冷技術があったことで容易に発展したそうです。除冷というのは霊を払う方じゃなくて、できたガラス製品の冷やし方です。厚く大きくなるほど、急激な温度変化は禁物で、ゆっくりと温度を下げて行く必要があります。この頃のガラス釜の内部は3段あるいは2段になっており、下に燃料、その上に坩堝(すごい名前ですよね)最上階が、除冷スペースとなっております。場合によっては二階建てで除冷は2階の離れになっている時もあります。


4〜5世紀ローマのガラスはのびやかな装飾、自然な曲線美が特徴です。



ローマ帝国は自由に行き来出来たので、この技法もあっという間に広まり吹きガラスにカットを加えて付加価値を高めたカットガラスはオリエント、東アジアへと向かい、正倉院の白瑠璃碗に見られます。トーハクで見ましたがとても透明で美しい器ですよね!


3世紀頃からローマ帝国が衰退、8世紀にはローマだったところが次々とイスラム化していき、ガラス製品は地方独特の製品が登場します。 


細々と続くガラス工芸は、10世紀頃からヨーロッパ北西部の豊かな森林資源を使って植物灰でアルカリを抽質したカリ・ガラスと呼ばれるものが発達します。美しい光沢と、自然な着色、プランツ装飾が特徴です。


船型水差し

16~17世紀

イタリア


プランツ装飾とは、この頃の食卓ではナイフはあってもフォークはないので手がヌルヌルになり、器を持った時に滑らないように付けたイボイボ装飾のことです。


こんな素朴なガラスですが凄い環境破壊の筆頭であります。なんと1キロのガラスを作るのに50キロのブナ、アルカリを取るのに100キロのブナが必要なのです。最後期は植林したりもしたそうですがいくら森が豊かでも、どんどん森林がなくなっていったかと思うと胸が痛みます。


15~17世紀 イタリア、ヴェネツィアではガラス工芸品の中継地として機能していたけれど、これをヴェネツィアで作れば大儲けできるのでは?と考え中世に停滞していた高級ガラスを復活させました。先程の写真の舟形水差しがその時期に当たります。


水差しの拡大

どれだけ見ても、見飽きない職人芸はガラスの持つポテンシャルが計り知れないことを感じさせます。


ガラス工芸の技法の説明もあります。


ホットワーク 

溶解炉で溶けたガラスを使って成形加工すること


舟形水差しの拡大図 透明です

ジャック、ピンサー、モールドといぅた道具を使う。


コールドワーク

固まったガラスを削るなどする(ダイヤモンドポイント彫りなど)


バーナーワーク

ガラス棒を火であぶって加工する


ヴェネツィアで開発されたクリスタッロのお陰でほぼ無色透明なガラスが出来ました。(それまでは緑。青、黄色など色がついていた)これも画期的な改良でますます素晴らしい作品が作られていきます。


ヴェネツィアの繊細なレースガラス

無色透明と、乳白色のガラスを組み合わせ引き伸ばすとレース編みをガラスの中に閉じ込めたような繊細な文様に覆われた作品かできます。これも、金太郎飴のようにセットされた精緻な柄を一気に膨らませ、遠心力で薄く平らに伸ばします。格子状に作る時は2つの逆回りらせんを貼り付けて作るので、とても手間がかかります。それをやってのけたのがムラノ島のガラス職人たちなのですね。


イギリスでは、ガラスの重量によって課税された為、ガラスの中に空気を入れたエアーツイストという技法が発達しました。ふんわりしたレースが反射で煌めきとても素敵でした。さすがイギリスと言った、上品さがあります。

レースガラスのコーナーには、表面が滑らかでなくギザギザしたものが1点あり、ダイアモンドのように輝くレースといった素晴らしいものでした。


レースガラスを模した作品が撮影可能です。



ファイバーレースボロネーゼ 白龍 2022年伊藤周作





東アジアのガラス


北魏ではじまったガラス工芸。

小さく薄手でホットワークの装飾が少なく素朴な愛らしさ、儚げな美しさが魅力です。


東アジアの特徴


・ポンテをつかわなかったこと。


ポンテとは、別の吹竿にガラス種を付けたもので吹いたガラスの底に熱いうちにくっつけ、吹いていた方を外すことで、広口の器や平たい形状が作れるものです。


・除冷技術が伝わらなかったこと


除冷を完全に行わないと大きなもの、厚いものは作れないのでとても重要ですが伝わりませんでした。

ガラス技法のどの書を読んでも除冷のことは出てこないそうです。秘伝であった可能性もあります。


これらの制約で小さく薄いものしか生産出来ないのですが、その限られた技術の中で独特の製品が作り出されました。


瑠璃からびいどろへ



ガラスは仏経典の中で「七宝」のひとつに数えられ、小さなお舎利をいれる宝珠の形で作られたり、仏像の目にふき玉を使用して眼力で迫力を出したりしたそうです。


12世紀には博多で吹きガラスが作られた様子。これは後年の長崎やヴェネツィアと同じで中継するより作った方が儲かるんじゃね?という発想から来たらしいです。材料は最初宋からの輸入品でしたが次第に対馬産の鉛など国産で生産できるようになりました。

細い吹き竿を使った形跡があります。


17世紀長崎にヨーロッパのガラスが多数流入。今までの「瑠璃」から、実用的なビードロの存在が知られます。


18世紀初頭、見事な型吹きガラスが製造され技術は京、大阪、江戸へと広がります。文様や形も、和式に変化していきます。


「びいどろさかさま」とは、ガラスを吹いた形を逆さまにした様が美人のたとえとして長く使われました。江戸時代の人はよっぽど面長がすきだったんですね!


19世紀、明治になると官営の品川硝子が英国技師による直接指導を行い、日本でのガラス工芸技術が飛躍的に向上。


日本でのガラスは実用品としての歴史がとても浅くこの頃からになります。


20世紀初頭に旭硝子が遂に手吹き円筒法による板ガラスの工業化に成功!15キロもあるガラス玉を円筒状に人間が吹くのですから大変な作業です!


細長い球体に吹き、上下を切って円筒状にして切れ目を入れて再加熱すると切れ目からパカッと開いていくため、それをのしてつくります。


そんな画期的な工業化が進んだガラスも、近頃では「昭和ガラス」と呼ばれちゃうくらいあまり見なくなりました。展示ケースに使われたガラスは反射せずに中の美術品が見られるのでつい寄りすぎてしまうほどです。


先生はガラスのツヤについても語っておられました。良いガラス工芸品はツヤも違うと。ついつい透明感や細工の細さに目がいってしまったのでこれからガラスを見る時はツヤも見ていこうと思います。


手吹きガラスというと、子供の頃お小遣いで買った中空のウキのようなものを思い出します。コップに入れてゴムで蓋して浮き沈みを楽しむものですがあんな安価で小さなガラスをせっせと作り売っていた職人たちはもう居ないでしょうね。



20世紀の氷コップ。かき氷を入れるものです。庶民の間で江戸時代から手に入ったのは風鈴や、金魚鉢など。涼し気なガラスの佇まいは夏の風物詩に多いようです。

いちごを思わせる配色で見ただけで甘いものが食べたくなりますね。

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