②渋沢栄一 「日本産業革命の父」としての側面 | 美と健康の明日を考える佐藤友美のブログ

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今回は、昨日紹介した渋沢栄一が「日本産業革命の父」と呼ばれるようになる経緯についてご紹介します。

 

 

パリ万博と大政奉還

 

前述しているように、渋沢栄一が27歳の時に随行したパリ万博と欧州諸国を周った経験を活かし、「資本主義」という考え方を日本に持ち込みました

渋沢栄一が欧州周遊をしている間に、日本では大政奉還が行われ江戸幕府から明治政府へと政権が変わっているという時代背景がありました。

 

 

株式会社の原点を作る

 

自分だけが・お金持ちだけが会社を作り運営していくのではなく、みんなで出資して会社を大きくしみんなで利益を分配する"株主と配当"の仕組みの「商法会所」を静岡に設立し銀行、商社、貿易などを行う日本初の株式会社を設立しました。

こうして日本に資本主義が根付かせたことで、日本の産業が急速に発展することとなりました。

 

 

大蔵省(今の財務省)の基盤を作る

 

欧州から帰国後の29歳で、大隈重信から国家の手伝いをするよう説得され大蔵省に入省し、郵便制度、廃藩置県、戸籍法、鉄道開業、新貨幣、富岡製糸場、国立銀行条例、地租改正などに関わることで近代化を推しすすめました。

 

新貨幣を円と名付けたのは、実は大隈重信なんです!

Bankを銀行と訳したのは渋沢栄一だそうです。

 

 

文明開花・西洋化を推進する

 

富岡製糸場:絹織物が日本の産業を支える事業であることに目をつけ、雇用と貿易を発展させました。

 

他にも、第一国立銀行(現:みずほ銀行)、王子製紙、東京ガス、KDDI、キリンビール、サッポロビール、アサヒビール、東京海上保険、帝国ホテル、東京証券取引所、東急電鉄など現在の日本のインフラを支える企業の設立に渋沢栄一が関わっているんです。

 

また、富岡製糸場や王子製紙設立の際に機械化を図りますが「どんなにいい機械を使っても使いこなせる人がいないと意味がない」、まずは教育が大事!と一橋大学、東京経済大学、早稲田大学、二松学舎大学、日本女子大学、東京女学館など教育機関の設立にも貢献しました。

企業だけでなく教育機関の設立にも関わっているのは驚きですね。

 

さらに、日本赤十字設立や養育院(現・健康長寿医療センター)の院長、聖路加病院の初代理事長を務めるなど、主要なインフラの設立に力を注ぎました。

 

ここまででも、渋沢栄一がいなければ日本産業の目覚ましい発展はなかったとも言えるでしょう。

 

次回は渋沢栄一の教えをご紹介します。

 

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