こんにちは!佐藤友美です♪
突然ですが…私お金が大好きなんです。
やっぱり一番好きなのは福沢諭吉が印刷されている一万円札です。
2024年度に、新しいお札に変わることはご存知ですよね。
では、一万円札の顔になることが決まっている渋沢栄一もご存知でしょうか。
福沢諭吉は慶応大学の創設者であり「学問のすすめ」の著者としても広く知られています。
これから、一万円札の顔となる渋沢栄一はどのような方だったのか歴史好きな私が紹介していきます。
渋沢栄一
明治時代以降に数多くの会社を創業したことから、「日本資本主義の父」と呼ばれる偉人です。
天保11年2月13日(1840年3月16日)に現在の埼玉県深谷市の農家に生まれ、家業を手伝いながら論語などを学びます。
倒幕⁇
江戸時代末期の農家の生まれであり士農工商の身分制度などがあった時代背景から、江戸幕府への重なる不満を皮切りに「尊王攘夷」思想の影響を受け、江戸幕府を相手に高崎城乗っ取りの計画を立てましたが...
従兄弟からの猛反対と、「八月十八日の政変」による長州弾圧があったことにより倒幕の考えを中止して京都へ赴きました。
慶喜との出会い
京都では一橋慶喜に仕えることになり、一橋家の家政の改善などで実力を発揮し、栄一が27歳の時に15代将軍となった徳川慶喜の実弟・後の水戸藩主の徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学しました。
その後はヨーロッパを周遊しながら欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情を知ることとなりました。
時代の変化
大政奉還を機に帰国を余儀なくされ、将軍を退いた慶喜と面会し自身の道を歩むこととなったのです。
「商法会所」を静岡に設立した後、大隈重信の推薦で明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わりました。
1873(明治6)年に大蔵省を辞めた後は、一民間経済人として活動していくことになります。
その始まりが「第一国立銀行」(現みずほ銀行
)の総監役(後の頭取)を務めることで、第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続け、大蔵省を辞めた33歳から生涯に約500もの企業に関わったといわれています。
1909年70代で自身が手がけた様々な財界を引退し1931(昭和6)年11月11日、91歳の生涯を閉じました。
生涯、約600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力した日本の資本主義を築いた人物です。
何が言いたいのかというと、現在の日本の経済基盤を築いたすごい方なんだ、ということです!
では、渋沢栄一が日本産業革命の父と呼ばれるようになった経緯もこの後の投稿で紹介していきます。
次回もお楽しみに♪
それでは、また!
Twitterもやっています♪
tomomi@tomomi87652597
今日は眺めのいいところで、筋トレ😄 景色がいいと気分もリフレッシュされ、さらにモチベーションが上がります✨ https://t.co/YB1IDWxr6U
2022年07月20日 19:02