内と外からあなたらしく生きる -4ページ目

「わかっている」ということは「なにもわかっていない」のだということ

「わかっている」ということは、

「なにもわかっていない」

のだということ。

その可能性を探求できるということ。

 

●「あの人はああいう人だから」

●「もうだいたいわかった」

●「そんなの絶対おかしいよね」

●「こうすべきにきまってるよね」

●「経験を積んできたから、

もう全部わかっちゃうんですよね」

 

そうやって、

なにかを、

言い切るとき、

断定するとき、

絶対信者になっているとき、

 

そういうとき、

「わたしはなにも知らない」

のだということを、

思い出したいのです。

 

ひとつの「わたし」側面から、

ものごとを見ているとき、

この世界の中には、

同じものごとを、

無数の別の側面から、

見ているひとびとがいて、

無数の別の「真実」が、

存在している、ということを。

 

「わたし」というひとつの側面から、

「絶対こうだよね」などと、

決めつけられることなんて、

ないのだということを。

 

真実というのは、

「真実というもの」が

あるのではなく、

 

わたしにとっての真実とは

どのようなものなのだろう?と、

つねに疑問を抱えながら、

 

この世界の無数の真実

(なのではないか?と見えるもの)

に触れていくことで、

 

ああ、こんなものなのだろうか?

と追求していくことができる、

この世界の豊かさに、永遠に、

出逢っていく美しさだと思うから。

 

それを知っておいた上で、

 

敢えて

「わたしはこう信じる」

信念を掲げる

ということと、

 

目の前に起きてくる

ものごとに、

「わたし」が翻弄されて、

ただ自動反応

することとは、

 

まったく違うのだ

ということを、

知っておきたいのです。

 

 

 

それは、

わたしという存在が、

ちっぽけな存在なのだと、

とるに足らない存在なのだと、

いうことではなく、

 

わたしという存在が、

それだけ、変幻自在に、

無限に変容できる、

 

いくらでも、

どうにでも、

進化していくことができる、

 

すさまじい存在なのだと、

奇跡を起こせる存在なのだと、

知っていたいということ。

 

そのように、

じぶんを、

ひとを、

この世界を、

信じていきたいのです。

 

今日も、みなさまが、

たくさんの奇跡を、

みることができますようにドキドキ

 


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ひとが「じぶんのほんとう」に深く深くつながってしまう場所って? 〜愛が、あふれだし、こぼれだす〜

ひとが自然と

足を運びたくなるところ、

 

そこに行くために

ワクワクして目が覚めてしまうところ、

 

そこで「じぶんのほんとう」

に深く深くつながってしまうところ、

 

さらにその「じぶんのほんとう」

(とその時点で自分が思い込んでいる)

を余裕で超えてくるような

ブレイクスルーの連鎖が、

その場所を離れても起こり続ける、

 

そういう場には、

なにがあるんだろう?

 

10年程かけて、国内外の

セミナーやワークショップ、

リトリートに参加しながら、

もしかするとわたしは、

女スナフキン的に、

ずっと、ずっと、長いあいだ、

それを探求してきた気がします。

 

そのエッセンスを求めて、

それに細胞レベルで触れ続けたくて、

そういう場をつくりたくて。

 

そういう、魂が、

揺さぶられるような瞬間に、

わたしは、ただただ、

立ち会いたいし、

たまらなく、魅了されてしまう。

だから、淡々と、のめりこんで、

研究してしまう。

 

場に一体感が生まれ、

ひとりひとりの、気づきが、

とてつもなく深い、そんな場には、

 

●「ここで自己開示してもいいかな」

と感じられる安心・安全な場が形成

されていると同時に、

「ただいるだけでもいい」

「ただ来てくれてありがとう」

という強いられるものがない

スタンスがある。

(「自己開示することこそ素晴らしい」

「あるがままのそのひと」を変えようと

したりする強いエネルギーがない

 

●ひととして対等である。

共にこの場をつくっていってほしい、

という、主催者と参加者のあいだの、

平等な共同関係のようなものが存在する。

 

●すべての「声」が拾われている。

つまり、参加者の一部や大多数が

盛り上がっていても、そのエネルギー

で暴走してしまうことがなく、

それ以外の「声」にも

目が向けられている。

(拾わなくてはいけない、

ということではなく、その場にある

「すべてのほんとう」が、

打ち消されることなく、表面化している)

 

●笑いとユーモアがある。

主催者が完全にリラックスしており、

参加者もそうなっていき、

「ヘッポコリンでもいいのだ」

みたいな雰囲気が醸成されている。

(そういうところでは、

「問題」(だと思っていたこと)

が、笑い飛ばせるようになっていったりする)

 

こうやって、言語化していくと、

いくらでも、でてきそうだけど、

なにか、もっと、もっと、

深々としたものが、

そこにある気がして。

 

つきなみですが、

それはやっぱり、

「溢れんばかりの愛」なのだろうと、

ここにきて、思うのです。

 

数年前、わたしが、

尊敬や憧れなどという、

ことばでは表現できないほど、

愛してやまない、とあるアメリカ人

ワールドリーダーのワークショップ

に参加したときのこと。

 

ワークショップの半ば、

あるロールプレイを見せる時間で、

静けさと集中力を必要とするようなとき、

参加者の携帯が鳴り響いたのです。

その方は「ごめんなさい!!(涙)」

と必死で謝っていらっしゃったのですが、

 

Don't be sorry! 

「謝らないで。

鳴らしてくれてありがとう!

きみは完璧なんだよ。

こうなることになっていたんだよ。

世界はいつも完璧なんだよ!

だからほんとうにありがとう!

きみの存在に感謝だよ!」

 

とすかさず

彼はおっしゃったのです。

 

 

それを目の当たりにしたわたしは、

なんだか胸が熱くなって、

じんわりと涙腺が

ゆるんでしまいました。

 

数百人が参加していた

ワークショップでしたが、

場の空気も、その瞬間から、

なにか、ひとりひとりが、

深々としたものに触れたような、

一体感のようなもの

が生まれていました。

 

愛を体得している、

そんなレベルではなく、

歩くそばから、

愛が、溢れ出して、こぼれだしている。

そんなひとでした。

 

愛する、とか

愛を与える、とか、

愛を体現している、とか、

そういうことばでは

到底、言い表せない、

存在が愛そのものだということ。

 

思い出しただけで、

なにか、感涙してしまいそうな、

そんな方なのです。

 

わたしはそういうひとを、

心の底から尊敬するし、

その愛の「ひとしずく」でも、

あふれだしてくるような、

そういう生命体でありたいな。

 


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どんな経験をしていても、どのように咲くかは、ひとりひとりが選択できる

一輪のバラのひとつひとつに、

バックグラウンドがあり、

ヒストリーがあり、

ルーツがあり、

ファミリーがいる。

 

 

どこで生まれ、

どんな風に育てられ、

どのようなユニークさを持ち、

どれだけの出逢いがあり、

どうやってここにやってきたのか。

 

そこに至るまでには、

かならず、

たくさんのひとの、

愛があり、

それらをめいいっぱい、

吸収していって、今があり。

 

そのバラにしか、
醸し出せない
表情と雰囲気と世界がある。
どんな経験をしていても、
どんな風に咲くかは、
ひとりひとりが選択できるから。

 

人間もバラも、
おんなじだね。


バラを愛で、
バラと対話する、
そんなわたしの、
あやしい浮遊人生。

 

昨日は、

いま、いちばん、

お気に入りの、空間で、

ランチをいたしましたドキドキ

 

 

 

 

 


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