朝令暮改!個人情報保護&情報公開に関する
市の運用は滅茶苦茶。
9月26日にさかのぼりますが、
市が懲戒免職した職員が、これを不服として公平委員会に申し立てた結果、
停職6か月の懲戒が妥当であると修正された裁決をうけて、
さらに市が再審査を公平委員会に求めました。
その件について同日、私を含む無所属議員3名は、
総務部から資料を提示され、経緯や市の主張などについて説明を受けました。
資料の中に、当事者である職員のフルネームが記載されていたので、
「個人情報がそのままになっているが、これでよいのか」
と私が質したところ、部長がはっきりと回答しないので、
「議員さんなので信頼して提供した」と課長が答えてくれました。
そこで、再度、部長に、
「部長の見解はどうか」と尋ねたところ、部長は
「間違いない」と言い、さらに、
「総務部の公式見解でよいか」と念押しすると、
部長は、「そのとおり、正式な見解だ」と断言しました。
ダメ押しで、
「議員3人が、しっかり聴いたので、後から違うなどと言わないように」
と、クギを指しました。
これまで、情報公開しても「非開示」となり、「議員なのに何故非公開なのか」
という押し問答が多々ありました。
そのたびに「議員でも一般市民でも同じ扱いだ」と説明してきたのに、
市の運用が一転したのは何故なのか?
また、このような個人情報は本来、非開示のはずだが、
市にとって気に食わない個人の情報は提供するのか?
との(少々嫌味な)問いには、さすがに苦笑いせざるを得ないようでした。
ところが!!その翌日、控室の机の上に「差し替え」資料が置かれていました。
「これは何のための差し替えなのか」と総務部の副部長に尋ねると、
「事務的なミスがあったので」という説明。
具体的な内容を求めたところ、
「個人名が消去されていなかったので・・・」とようやく返答。
私は呆れながらも「昨日、市の公式見解を確認しているので、認められない」と告げました。
その後、数日経ってから、課長・部長が、「間違っていました」と謝罪。
「どのような経過で、市の見解が変更されたのか」と質すと、
「情報開示の専門は自分ではない」とか「私の資質の問題」などと
答えにならない答えが返ってきました。
納得できず、市の見解が一夜で翻った理由を文書で回答するよう要請しましたが、
未だ、なしの礫です。
さらに当事者への謝罪はどうなっているのか、と聞いたところ
「その必要はない」
「議員にしか提供していないし、回収したので(問題はない)」と居直り、
議員が当該職員の氏名を知ってしまったことの問題性は
微塵も感じていないようすでした。
市の個人情報保護や情報公開の司令塔である総務部が、
このような出鱈目な運用でまかりとおっていることに、愕然とします。
そして、当然このことは市のトップへ伝わっているはずですが、
「資質のなさ」を認めた管理職が何らかの処分を受けた、
という報告もありませんので、
市のトップを含めて、いい加減さのお手本のようです。
そして、このような市の姿勢を容認し、何も言わない議会も、
問われています。
ああ、あまりにも酷い。
看過せず、しっかり正していかねばと、痛切に思います。
市のほころび、その1
今回、公平委員会委員の選任について、議会に同意を求める議案が提案されました。
公平委員会は、
市の職員が、懲戒や意に反するような不利益を被る処分を受けたとき、
不服申し立てについて、公平・中立な第三者機関として
準法的な手続きで、処分が適法か、妥当性があるかなどを審査します。
公平委員会は3名で構成され、
弁護士や企業の経営者など、「人格が高潔で、地方自治の本旨及び
民主的で能率的な事務の処理に理解があり、
かつ人事行政に関し見識を有するもの」
を選任することになっています。
今年度、1名が任期途中で辞職されたため、新委員が選任されたばかりです。
それなのに、また1名の委員を、1期目の任期を(10月末で)終えるから交代させる、
というのですから、少々驚きました。
(公平委員は市長が提案し、議会の同意を得て、選任されます)
過去20年間、わずか1期だけの就任というのは2名だけ。
ちなみに、3名の委員のうち、もう1名の方は現在4期目(14年目)です。
今回、交代を告げられた委員は委員長でもあるので、
素朴に「何で?」という疑問が拭えません。
そもそも、今年4月に、市の懲戒免職処分が重すぎる、
と停職6か月に修正された公平委員会の裁決がありましたが、
9月26日付で、市はこの裁決を不服として再審査を申し立てた、
というタイミングでした。
人事権は市長の専権事項なので、できるかぎり尊重したい。
でも、議会に同意を求められる以上、私たちにも責任があるので、
判断材料を求めて、
①委員長である1期目の委員から辞退の意向はなかった。
2期目も引き続き選任しない理由は何か
②過去20年間のなかで、1期だけの委員はわずか2名だけ。
委員の継続任期について、どのように検討されたか
③今回の選任について「総合的に勘案した」とされる具体的理由
を本会議で質問しました。
しかし、市長の答弁は①②③への回答はなく、
「総合的に勘案して」「これは新委員の選任なので」というものでした。
これでは判断できず、提案された新委員の資質がどうの、という以前の問題です。
しかたなく、私は同意できない理由を述べ、
私を含む無所属議員3人が不同意でしたが、
他の19人が同意したので、市長が提案した新委員が選任されました。
さて、9月26日に市が再審請求した件については、
もう1つ報告しておかねばならいことがあります。
長くなりますので、続きは明日に。
今回、公平委員会委員の選任について、議会に同意を求める議案が提案されました。
公平委員会は、
市の職員が、懲戒や意に反するような不利益を被る処分を受けたとき、
不服申し立てについて、公平・中立な第三者機関として
準法的な手続きで、処分が適法か、妥当性があるかなどを審査します。
公平委員会は3名で構成され、
弁護士や企業の経営者など、「人格が高潔で、地方自治の本旨及び
民主的で能率的な事務の処理に理解があり、
かつ人事行政に関し見識を有するもの」
を選任することになっています。
今年度、1名が任期途中で辞職されたため、新委員が選任されたばかりです。
それなのに、また1名の委員を、1期目の任期を(10月末で)終えるから交代させる、
というのですから、少々驚きました。
(公平委員は市長が提案し、議会の同意を得て、選任されます)
過去20年間、わずか1期だけの就任というのは2名だけ。
ちなみに、3名の委員のうち、もう1名の方は現在4期目(14年目)です。
今回、交代を告げられた委員は委員長でもあるので、
素朴に「何で?」という疑問が拭えません。
そもそも、今年4月に、市の懲戒免職処分が重すぎる、
と停職6か月に修正された公平委員会の裁決がありましたが、
9月26日付で、市はこの裁決を不服として再審査を申し立てた、
というタイミングでした。
人事権は市長の専権事項なので、できるかぎり尊重したい。
でも、議会に同意を求められる以上、私たちにも責任があるので、
判断材料を求めて、
①委員長である1期目の委員から辞退の意向はなかった。
2期目も引き続き選任しない理由は何か
②過去20年間のなかで、1期だけの委員はわずか2名だけ。
委員の継続任期について、どのように検討されたか
③今回の選任について「総合的に勘案した」とされる具体的理由
を本会議で質問しました。
しかし、市長の答弁は①②③への回答はなく、
「総合的に勘案して」「これは新委員の選任なので」というものでした。
これでは判断できず、提案された新委員の資質がどうの、という以前の問題です。
しかたなく、私は同意できない理由を述べ、
私を含む無所属議員3人が不同意でしたが、
他の19人が同意したので、市長が提案した新委員が選任されました。
さて、9月26日に市が再審請求した件については、
もう1つ報告しておかねばならいことがあります。
長くなりますので、続きは明日に。
またまた行政の綻びが目立つ議会でした
9月議会は42日間の日程を終えて、15日に閉会しました。
前半は条例・補正予算を審議する常任委員会。
後半の委員会は2012年度の決算審査でした。
委員会での大きな争点は、
◆保育所・幼稚園の民営化や株式会社参入問題
◆新放課後モデル事業問題
◆緊急経済対策を活用した「起業支援」を助成する委託事業のあり方をめぐる問題
◆国民健康保険料の値上げ(「累積赤字は加入者が負担すべき」をめぐる賛否の議論)
などがありました。
もちろん、これ以外にもさまざまな議論がありましたが、
総体的に委員会は早々と終わり、
本会議での討論も少なくなり、
一般質問も3分の1以上の議員が行わないなど、
議会改革を議論している割には、
活性化しているとは言えない状況でした。
最大の問題は、2元代表制としての議会が機能していない。
行政のチェック機関ではなく、「市長の御用機関だ」と
指摘された市民の方がいらっしゃいましたが、
まぁ、悲しいかな、否定できない側面があるように思います。
7日・8日の本会議では、
中西は、質疑と、3つの討論、一般質問を行いました。
その内容については、まもなくHPにアップする予定です。
今議会でも、行政の答弁にはツジツマが合わないものが散見されました。
(あ~あ、ダメでしょ!)
過ちはだれにもあるけれど、要は間違いに気づいたとき(指摘されたとき)
どのように対応するかで、評価が分かれます。
やはり市民に信頼される行政であってほしい。
(そうならねば!!)
という思いを込めて、順次、報告していきます。
9月議会は42日間の日程を終えて、15日に閉会しました。
前半は条例・補正予算を審議する常任委員会。
後半の委員会は2012年度の決算審査でした。
委員会での大きな争点は、
◆保育所・幼稚園の民営化や株式会社参入問題
◆新放課後モデル事業問題
◆緊急経済対策を活用した「起業支援」を助成する委託事業のあり方をめぐる問題
◆国民健康保険料の値上げ(「累積赤字は加入者が負担すべき」をめぐる賛否の議論)
などがありました。
もちろん、これ以外にもさまざまな議論がありましたが、
総体的に委員会は早々と終わり、
本会議での討論も少なくなり、
一般質問も3分の1以上の議員が行わないなど、
議会改革を議論している割には、
活性化しているとは言えない状況でした。
最大の問題は、2元代表制としての議会が機能していない。
行政のチェック機関ではなく、「市長の御用機関だ」と
指摘された市民の方がいらっしゃいましたが、
まぁ、悲しいかな、否定できない側面があるように思います。
7日・8日の本会議では、
中西は、質疑と、3つの討論、一般質問を行いました。
その内容については、まもなくHPにアップする予定です。
今議会でも、行政の答弁にはツジツマが合わないものが散見されました。
(あ~あ、ダメでしょ!)
過ちはだれにもあるけれど、要は間違いに気づいたとき(指摘されたとき)
どのように対応するかで、評価が分かれます。
やはり市民に信頼される行政であってほしい。
(そうならねば!!)
という思いを込めて、順次、報告していきます。
報道と事実は違う。悲壮な避難市民の声
今日、被災地(福島・いわき市)から自主避難された方の
お話を綴ったメールをいただきました。
避難者の方の生の声を、ひとりでも多くの人々に知って貰いたいので、
以下に貼り付けます。
長いですが是非、読んでください。
そして、私たちに何ができるか、
一緒に考えていただければと思います。
*** *** ***
――ここから――
糸島「ひなん者お話会」から、mikoさんのお話
3.11福島原発事故で、故郷いわき市から、昨年1月に
北九州市に自主避難してきました。
今日は、主に北九州市に来るまでの9ヶ月、私が見て
きたこと、体験したこと、感じたこと、そして今を話します。
福島原発から42kmのいわき市に住んでいました。私は、
そこで、ピアノ教室の主宰として、夫は市職員、子供2人
と生徒たちに囲まれて、毎日、楽しい時間を過ごしていま
した。
さて、3.11後私たちの生活は一変しました。いわき市の
北のほうは、30km圏内だったのに、市長が「風評被害」
という言葉をつくり、圏内からはずしました。事故前は1時間
あたり、0.05マイクロシーベルトだった放射線量は、23
マイクロシーベルト。460倍に。
当時、長崎大学の山下俊一教授が100ミリシーベルトまで
安全だと大キャンペーンを、テレビ、新聞、ラジオ、学校、
講演会で行き渡ったころには、学校で0.5マイクロシーベ
ルト、通常値の10倍でも、外の活動を安全だとして行いま
した。
100ミリシーベルトが安全ですので、当然、給食は最初
(事故1ヶ月後)地産地消ということになり、私たちは署名活動
を根気よく続けて地産池消をすぐにやめさせました。尚、教育
委員会が給食を食べない自由を認めたのは、2学期になって
からです。
ですから、安全説を信じた人の子供たちは、給食を食べさせ
ていました。先生や学校に言っても無駄でした。
外の放射線量は同じではありません10cm違っても、2.3マイ
クロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍、と様々です。
私が、疑問に思ったのは、市の職員、学校の教員が放射能汚
染から子供を守らなかったことです。
さて、原発が爆発したときのことを、話しましょう。
3月11日の大地震での被害は、私の家は殆どありませんでした。
ただ、いわき市の水道が20日間とまりました。
水道が止まったので、次の日、給水車に2時間ほど子供と一緒に
並びました。
3月12日1回目の爆発がありました。あとで測定データを見ると、
23マイクロ普段の460倍でした。
この時、「危ないから屋内退避しなさい」 という広報車もなく、
私たちは、爆発したことも知らず、2時間外にいました。
日本は安全といっていましたが、今現在、私達母子3人ともに、
甲状腺に異常有りの血液検査の結果と、息子には、5mmの
のう胞があります。
今、報道をみると、甲状腺がんは生活習慣病になりました。
たとえ癌になっても自己管理のせいといわれ、放射能の影響
と国はいわないと思います。
私は、子供たちのホールボディカウンターを事故後すぐにうけ
ようとしました。しかし、どこに問い合わせても受けられません
でした。東京まで行って、受けてきた人がいましたが、データー
を渡してもらえませんでした。私も、何箇所か電話で確認しまし
たが、データーを渡してくれるところはありませんでした。
では、甲状腺の血液検査と思い、電話しましたが、いわき市内
一斉に甲状腺の検査はしないと、耳を疑う結果になりました。
どこで被曝した証拠を残せるかと福島県に聞きましたが、「ない」
と回答されました。
私の主人は市の職員です。何かあったら、1番に連絡があるは
ずだと主人は言ってましたが、結果は爆発も知らされず、母子とも
に外で被曝しました。
また、私の主人(市職員)は放射能の知識はゼロですが、国から
与えられた文書を丸暗記するほど、電話対応に追われていました。
事故から5か月後、いわき市発表の放射線量は0.12μsv/hで
した。私が市役所からガイガーカウンターを借りて測ると、
0.24~ 22.14μsv/h。
また、有志で土壌検査や剪定した木の測定をすると、
20000bq/kgありました。
「行政は私たちを守らない」と、主人と放射能の測定結果を見て
そう感じました。
例えば、水道水NDといわき市のホームページで発表されてい
ます。
それで、ストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を
見たいというと、「市民が混乱する」という理由で詳細なデーター
を出さず、ヨードとセシウムNDの文書を出されました。
私たちの無知に付け込んで、本当に腹が立ちます。
私の避難の選択は、放射能を怖がるというよりは、行政、学校、
の対応と自分たちの目でみた測定値と家族におこった体の異変
で判断しました。
毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの。これらは、
原発事故後に家族、友人に、実際おきた体の変化です。
放射能の影響は癌だけではないと知ったのも後になってです。
国の発表と事実はちがう。
国は明らかに法律違反を市民に強要しているのに、職員は国の
言いなりにしか動きません。
文書公開制度すら、嘘にならない嘘で市民を騙し、出させない、
書かせない、時間をかせぎます。
学校は生徒、児童を守らない。放射能に気をつける父兄を許さ
ない。
放射能をなるべくさけようと、お弁当にすると、他のクラスメート
からいじめられ、暴力をうけても、いじめた児童父兄を指導せず、
放射能を怖がらないように私が指導をうけました。
私が、避難を決意したのは、娘の登校拒否でした。放射能を
防御することを周りの空気が許しませんでした。
私は、それでも、いわき市で暮らせる方法をたくさん探し、行政に
文書で色々請求しましたが、のらりくらりとかわされました。
年老いた両親と共に避難を説得しましたが、今更ふるさとから
離れたくない。と言われ、夫は安全論。夫の母には、「立場を
わきまえなさい」と避難することを許してもらえませんでした。
結局、行政と格闘しながら、悩み、私の両親から子供を1番に
考えなさいと言われ、夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、
北九州に避難しました。
今、話したように、報道と事実は違います。
先日、産廃の中間報告書を文書公開したら、福岡県のある企業
では、福島、茨城、山形、神奈川からも汚泥、ばいじんを受け入
れ、北九州市瓦礫受け入れ以前から今も処理しています。
瓦礫受け入れ騒動のかげで、粛々と放射性物質の焼却をバグ
フィルターのない状態で処分しています。
今報道では、PM2.5は中国からやってくると、大キャンペーン中
ですが、本当にこのPMは中国産でしょうか?
九州の産廃、セメント工場では、福島の石炭の焼却灰を受け入れ、
リサイクルしています。
北九州の公文書を見ると、PM2.5が昨年4月に230超え、他の
月でも100超えがよくありました。国産、九州産PM2.5で間違い
ありません。
これからは、福島県民におきたことが、日本国民におこるでしょう。
それは、呼吸と食品からになると思います。先日も、北九州の「ドン
ナマンマ」という情報誌で、大学の教授や講師、行政職員が、放射
能安全と言ってました。放射能安全説が完全に全国に行き渡って
しまいました。
「放射能が薄めて安全」という一方で、実際に福島では人が死ん
でいます。
私の従兄弟が亡くなった次の日に、友人の夫が死にました。
私はなんでもかんでも放射能のせいとは言いません。
チェルノブイリの教訓があるだけです。
国は、認めません。 でも、私たちは安全論、危険論、両方聞き、
見たこと、聞いたことで 「選ぶ権利」 があります。
私が、今このような状況にあるのは、原発の危険性を知らなかっ
たからです。
放射能が消えないということを知らないで、家の前をひとりで除染し、
放射能を吸い込みました。
今、福島には人が住んでいます。
みんな、
「どうせ、わたしら、モルモットだし、補償がないから逃げても
貧乏、生活できない」 「今の生活レベルを落としたくない」
「国が安全といってるから安全だっぺよ」 「死ぬ人多いねー」
「でも、何もできない、変わらない、やっても無駄」
「楽しいことだけ考える」
と言いながら、
除染し、生活排水は、汚泥、焼却灰となって、高濃度の放射性
廃棄物を毎日排出しています。
それが自分に帰ってくる事実と向き合うことはありません。
除染は無駄です。自分でやったので知っています。
0.5が0.2にさがり、2週間後には、0.5に戻ります。ということ
です。
大量の除染後の汚染土壌はどこへいくのでしょうか?
国が責任をもって処理するとは、産廃に出すということだと思うの
ですが.....
産廃に出したものは、セメントや鍋、腐葉土になって、全部自分に
帰ってきます。
保養を否定はしませんが、根本的な救いにはなりません。
私は、測定、事実の公表、十分な補償を約束して、福島県民に選
んでもらうことが唯一の復興だと思っています。
放射能は拡散させず、福島に閉じ込める。
私の先祖の墓は福島原発から2kmです。放射性廃棄物を置い
てください。
お墓どころか、家、広大な土地の所有者であっても、そう思って
いる福島県民は沢山いますが、その声は消されています。
実は、今年の3月、福島県の鮫川村で8000bqの稲わら焼却の
実験炉の建設を止めに行きました。
あと一歩、書類の提出と記者会見を予定していましたが、なんと、
反対していた本人に邪魔され止められませんでした。
反対派が賛成派である事実。わたしは体験しました。
北九州の瓦礫反対運動の中でも、「瓦礫反対」の署名はOKで、
「公害防止協定の締結を求める署名」はNG。
北九州で「漁協の反対が最後の砦」という話を聞きましたが、実際
に公文書請求したら、漁協からの「反対声明文」の提出はありませ
んでした。
明確に「反対」とかいてないのです。
瓦礫焼却されてからも、反対派がテント村に集まっている頃、私は
「反対声明文」を出してくれるよう漁協にお願いして回りましたが、
会って下さったのは2箇所で、どちらも反対声明を出してくださいま
せんでした。
あの時、どこか1つの漁協で反対声明文、焼却炉周辺住民2人以上
の「公害防止協定書の締結を求める声明文」を出せれば....それらを
させないため、数々の妨害を受け、フクシマからの避難者である私だ
けが陥れられました。
反対運動の実態を見て、「フクシマが救われることは無理」と絶望しま
した。
さて、これから、バグフィルターをほぼ100%セシウムを取るという嘘
を通したように、まず、福島ではヘパフィルターを付け安全といって、
全国に8000bqの焼却炉建設、また、福島の森林を使ったバイオマス
発電所が全国に建つのではないでしょうか。
国はお金持ちなので、テレビで考えることを止めさせ、殆ど嘘の報道で
国民に一定の空気を作り、そこから漏れた人たちを、様々な運動で取り
込み、
「私たちは、またも、うっかり、同じ方向を向くようにされています。」
私の考える本当の繋がりは、トップの言うことに従うのではなく、わからな
いことを教え合い、
一人一人の知識レベルをあげて、事実の共有をして、それを、身近な
ところへ伝える。
もう少し勇気があれば、企業、行政が1番に抱き込む漁協、清掃工場
や産廃、セメント工場の周辺住民へ事実を伝える。
北九州市が瓦礫受け入れの時に、清掃工場周辺自治会長へ、
「お一人様説明会」をしたように、
私たちも、周辺住民に、「お一人様勉強会」をしていくことが、子供たち
を守っていくことに繋がると思います。
私は報道に騙され、子供たちを被曝させてしまいました。
無知でうわべだけしか知らなかったので、避難しても、子供たちを守る
ことができませんでした。
私にできることは、経験した事実を話すことだけです。知って選んでく
ださい。できれば、知って伝えてください。
事実を見誤ってはいけません。 「勇気」を持って「自分で考えて行動」
すれば、事実が見えるはずです。
私達の最後の盾は地方自治体です。
地道に「住民教育」からはじまり、知識を持った住民が教師、職員を
教育していくしかありません。
やっぱり、面倒でも自分が動かないと自分の子供を守ることはでき
ないことがわかりました。
忙しくても、おいしいごはんを作りながら、出来ることをできる範囲
で続けていきます。
今日、被災地(福島・いわき市)から自主避難された方の
お話を綴ったメールをいただきました。
避難者の方の生の声を、ひとりでも多くの人々に知って貰いたいので、
以下に貼り付けます。
長いですが是非、読んでください。
そして、私たちに何ができるか、
一緒に考えていただければと思います。
*** *** ***
――ここから――
糸島「ひなん者お話会」から、mikoさんのお話
3.11福島原発事故で、故郷いわき市から、昨年1月に
北九州市に自主避難してきました。
今日は、主に北九州市に来るまでの9ヶ月、私が見て
きたこと、体験したこと、感じたこと、そして今を話します。
福島原発から42kmのいわき市に住んでいました。私は、
そこで、ピアノ教室の主宰として、夫は市職員、子供2人
と生徒たちに囲まれて、毎日、楽しい時間を過ごしていま
した。
さて、3.11後私たちの生活は一変しました。いわき市の
北のほうは、30km圏内だったのに、市長が「風評被害」
という言葉をつくり、圏内からはずしました。事故前は1時間
あたり、0.05マイクロシーベルトだった放射線量は、23
マイクロシーベルト。460倍に。
当時、長崎大学の山下俊一教授が100ミリシーベルトまで
安全だと大キャンペーンを、テレビ、新聞、ラジオ、学校、
講演会で行き渡ったころには、学校で0.5マイクロシーベ
ルト、通常値の10倍でも、外の活動を安全だとして行いま
した。
100ミリシーベルトが安全ですので、当然、給食は最初
(事故1ヶ月後)地産地消ということになり、私たちは署名活動
を根気よく続けて地産池消をすぐにやめさせました。尚、教育
委員会が給食を食べない自由を認めたのは、2学期になって
からです。
ですから、安全説を信じた人の子供たちは、給食を食べさせ
ていました。先生や学校に言っても無駄でした。
外の放射線量は同じではありません10cm違っても、2.3マイ
クロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍、と様々です。
私が、疑問に思ったのは、市の職員、学校の教員が放射能汚
染から子供を守らなかったことです。
さて、原発が爆発したときのことを、話しましょう。
3月11日の大地震での被害は、私の家は殆どありませんでした。
ただ、いわき市の水道が20日間とまりました。
水道が止まったので、次の日、給水車に2時間ほど子供と一緒に
並びました。
3月12日1回目の爆発がありました。あとで測定データを見ると、
23マイクロ普段の460倍でした。
この時、「危ないから屋内退避しなさい」 という広報車もなく、
私たちは、爆発したことも知らず、2時間外にいました。
日本は安全といっていましたが、今現在、私達母子3人ともに、
甲状腺に異常有りの血液検査の結果と、息子には、5mmの
のう胞があります。
今、報道をみると、甲状腺がんは生活習慣病になりました。
たとえ癌になっても自己管理のせいといわれ、放射能の影響
と国はいわないと思います。
私は、子供たちのホールボディカウンターを事故後すぐにうけ
ようとしました。しかし、どこに問い合わせても受けられません
でした。東京まで行って、受けてきた人がいましたが、データー
を渡してもらえませんでした。私も、何箇所か電話で確認しまし
たが、データーを渡してくれるところはありませんでした。
では、甲状腺の血液検査と思い、電話しましたが、いわき市内
一斉に甲状腺の検査はしないと、耳を疑う結果になりました。
どこで被曝した証拠を残せるかと福島県に聞きましたが、「ない」
と回答されました。
私の主人は市の職員です。何かあったら、1番に連絡があるは
ずだと主人は言ってましたが、結果は爆発も知らされず、母子とも
に外で被曝しました。
また、私の主人(市職員)は放射能の知識はゼロですが、国から
与えられた文書を丸暗記するほど、電話対応に追われていました。
事故から5か月後、いわき市発表の放射線量は0.12μsv/hで
した。私が市役所からガイガーカウンターを借りて測ると、
0.24~ 22.14μsv/h。
また、有志で土壌検査や剪定した木の測定をすると、
20000bq/kgありました。
「行政は私たちを守らない」と、主人と放射能の測定結果を見て
そう感じました。
例えば、水道水NDといわき市のホームページで発表されてい
ます。
それで、ストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を
見たいというと、「市民が混乱する」という理由で詳細なデーター
を出さず、ヨードとセシウムNDの文書を出されました。
私たちの無知に付け込んで、本当に腹が立ちます。
私の避難の選択は、放射能を怖がるというよりは、行政、学校、
の対応と自分たちの目でみた測定値と家族におこった体の異変
で判断しました。
毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの。これらは、
原発事故後に家族、友人に、実際おきた体の変化です。
放射能の影響は癌だけではないと知ったのも後になってです。
国の発表と事実はちがう。
国は明らかに法律違反を市民に強要しているのに、職員は国の
言いなりにしか動きません。
文書公開制度すら、嘘にならない嘘で市民を騙し、出させない、
書かせない、時間をかせぎます。
学校は生徒、児童を守らない。放射能に気をつける父兄を許さ
ない。
放射能をなるべくさけようと、お弁当にすると、他のクラスメート
からいじめられ、暴力をうけても、いじめた児童父兄を指導せず、
放射能を怖がらないように私が指導をうけました。
私が、避難を決意したのは、娘の登校拒否でした。放射能を
防御することを周りの空気が許しませんでした。
私は、それでも、いわき市で暮らせる方法をたくさん探し、行政に
文書で色々請求しましたが、のらりくらりとかわされました。
年老いた両親と共に避難を説得しましたが、今更ふるさとから
離れたくない。と言われ、夫は安全論。夫の母には、「立場を
わきまえなさい」と避難することを許してもらえませんでした。
結局、行政と格闘しながら、悩み、私の両親から子供を1番に
考えなさいと言われ、夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、
北九州に避難しました。
今、話したように、報道と事実は違います。
先日、産廃の中間報告書を文書公開したら、福岡県のある企業
では、福島、茨城、山形、神奈川からも汚泥、ばいじんを受け入
れ、北九州市瓦礫受け入れ以前から今も処理しています。
瓦礫受け入れ騒動のかげで、粛々と放射性物質の焼却をバグ
フィルターのない状態で処分しています。
今報道では、PM2.5は中国からやってくると、大キャンペーン中
ですが、本当にこのPMは中国産でしょうか?
九州の産廃、セメント工場では、福島の石炭の焼却灰を受け入れ、
リサイクルしています。
北九州の公文書を見ると、PM2.5が昨年4月に230超え、他の
月でも100超えがよくありました。国産、九州産PM2.5で間違い
ありません。
これからは、福島県民におきたことが、日本国民におこるでしょう。
それは、呼吸と食品からになると思います。先日も、北九州の「ドン
ナマンマ」という情報誌で、大学の教授や講師、行政職員が、放射
能安全と言ってました。放射能安全説が完全に全国に行き渡って
しまいました。
「放射能が薄めて安全」という一方で、実際に福島では人が死ん
でいます。
私の従兄弟が亡くなった次の日に、友人の夫が死にました。
私はなんでもかんでも放射能のせいとは言いません。
チェルノブイリの教訓があるだけです。
国は、認めません。 でも、私たちは安全論、危険論、両方聞き、
見たこと、聞いたことで 「選ぶ権利」 があります。
私が、今このような状況にあるのは、原発の危険性を知らなかっ
たからです。
放射能が消えないということを知らないで、家の前をひとりで除染し、
放射能を吸い込みました。
今、福島には人が住んでいます。
みんな、
「どうせ、わたしら、モルモットだし、補償がないから逃げても
貧乏、生活できない」 「今の生活レベルを落としたくない」
「国が安全といってるから安全だっぺよ」 「死ぬ人多いねー」
「でも、何もできない、変わらない、やっても無駄」
「楽しいことだけ考える」
と言いながら、
除染し、生活排水は、汚泥、焼却灰となって、高濃度の放射性
廃棄物を毎日排出しています。
それが自分に帰ってくる事実と向き合うことはありません。
除染は無駄です。自分でやったので知っています。
0.5が0.2にさがり、2週間後には、0.5に戻ります。ということ
です。
大量の除染後の汚染土壌はどこへいくのでしょうか?
国が責任をもって処理するとは、産廃に出すということだと思うの
ですが.....
産廃に出したものは、セメントや鍋、腐葉土になって、全部自分に
帰ってきます。
保養を否定はしませんが、根本的な救いにはなりません。
私は、測定、事実の公表、十分な補償を約束して、福島県民に選
んでもらうことが唯一の復興だと思っています。
放射能は拡散させず、福島に閉じ込める。
私の先祖の墓は福島原発から2kmです。放射性廃棄物を置い
てください。
お墓どころか、家、広大な土地の所有者であっても、そう思って
いる福島県民は沢山いますが、その声は消されています。
実は、今年の3月、福島県の鮫川村で8000bqの稲わら焼却の
実験炉の建設を止めに行きました。
あと一歩、書類の提出と記者会見を予定していましたが、なんと、
反対していた本人に邪魔され止められませんでした。
反対派が賛成派である事実。わたしは体験しました。
北九州の瓦礫反対運動の中でも、「瓦礫反対」の署名はOKで、
「公害防止協定の締結を求める署名」はNG。
北九州で「漁協の反対が最後の砦」という話を聞きましたが、実際
に公文書請求したら、漁協からの「反対声明文」の提出はありませ
んでした。
明確に「反対」とかいてないのです。
瓦礫焼却されてからも、反対派がテント村に集まっている頃、私は
「反対声明文」を出してくれるよう漁協にお願いして回りましたが、
会って下さったのは2箇所で、どちらも反対声明を出してくださいま
せんでした。
あの時、どこか1つの漁協で反対声明文、焼却炉周辺住民2人以上
の「公害防止協定書の締結を求める声明文」を出せれば....それらを
させないため、数々の妨害を受け、フクシマからの避難者である私だ
けが陥れられました。
反対運動の実態を見て、「フクシマが救われることは無理」と絶望しま
した。
さて、これから、バグフィルターをほぼ100%セシウムを取るという嘘
を通したように、まず、福島ではヘパフィルターを付け安全といって、
全国に8000bqの焼却炉建設、また、福島の森林を使ったバイオマス
発電所が全国に建つのではないでしょうか。
国はお金持ちなので、テレビで考えることを止めさせ、殆ど嘘の報道で
国民に一定の空気を作り、そこから漏れた人たちを、様々な運動で取り
込み、
「私たちは、またも、うっかり、同じ方向を向くようにされています。」
私の考える本当の繋がりは、トップの言うことに従うのではなく、わからな
いことを教え合い、
一人一人の知識レベルをあげて、事実の共有をして、それを、身近な
ところへ伝える。
もう少し勇気があれば、企業、行政が1番に抱き込む漁協、清掃工場
や産廃、セメント工場の周辺住民へ事実を伝える。
北九州市が瓦礫受け入れの時に、清掃工場周辺自治会長へ、
「お一人様説明会」をしたように、
私たちも、周辺住民に、「お一人様勉強会」をしていくことが、子供たち
を守っていくことに繋がると思います。
私は報道に騙され、子供たちを被曝させてしまいました。
無知でうわべだけしか知らなかったので、避難しても、子供たちを守る
ことができませんでした。
私にできることは、経験した事実を話すことだけです。知って選んでく
ださい。できれば、知って伝えてください。
事実を見誤ってはいけません。 「勇気」を持って「自分で考えて行動」
すれば、事実が見えるはずです。
私達の最後の盾は地方自治体です。
地道に「住民教育」からはじまり、知識を持った住民が教師、職員を
教育していくしかありません。
やっぱり、面倒でも自分が動かないと自分の子供を守ることはでき
ないことがわかりました。
忙しくても、おいしいごはんを作りながら、出来ることをできる範囲
で続けていきます。
学童保育問題と福島の課題
今日、先日のブログについて、ご意見を(間接的ですが)伺いました。
「学童保育」について。
支援を必要とする子どもたちを、
現場スタッフが何もしないでいるかのような誤解を与えているのではないか。
現場は現場で一生懸命やっている・・・
そう、スタッフ全員が怠慢だとか、という問題ではありません。
現場で働くひとは真面目にとりくんでいる人が多い。
個々人がどうなのか、ということよりも
体制がとれているか、人員が足りているのか、ということであり、
まずは、委託する側の教育委員会の理念や指導・監督が問われ、
事業主は協定書どおりに実施するための体制を組めていたのか、
ということを振り返って検証してみる必要があります。
そうしなければ、いつも同じことを繰り返してしまうでしょう。
この辺のことが、説明不足だったために、
誤解を与えてしまったようで・・・
自分なりに反省しています。
保護者の立場、スタッフの立場、市の立場・・・
それぞれの角度から見つめると、
たしかに映り方が違ってくるし、言い分もあるかと。
それぞれの方の立ち位置や使命を踏まえながら、
誤解を生まないような発信をしていかねば、
とあらためて肝に銘じたいと思います。
また、立場や意見の違うもの同士が、
きちんと向き合う、ということが大切です。
だからこそ、先日の学習会には、
事業者側の方々にも参加して欲しかった。
それぞれの視点で、真摯に意見を交わすなかで、
より良い解決方法が見いだせるのではないでしょうか。
保護者の方々は、何度も「この事業に反対なのではなく、
もっと良いものにしていくために」と強調されていましたっけ。
さて、そういう意味で「福島」の問題も
誤解のないように、補足しておきたいと思います。
①「福島産のものを食べて応援しよう」
②「汚染がれきの焼却を拡散させるな」
③「福島の人が県外にでると汚染が広がる」
①は福島のひとたちに寄り添い、支援しようという心が伝わりますが、
「福島は安全」=「住んでも大丈夫」=「病気の発症はない」
=「因果関係が認められず、補償の必要なし」
ということにつながっていきます。
③は、風評被害をまねき、差別的な発想です。
②は、主張は正しいが、これだけでは誤解を招きます。
今、東電は情報を隠し、被害を過小評価して、被災者への補償も
総体的に十分に進んでいません。
国も同様で、被災者支援法が制定されたのに、
最近になってやっと出てきた「基本計画」も問題がいっぱいあります。
東電も国も被災者を「捨てている」と言わざるをえない状況で、
情報隠し、情報操作が行われています。
でもそんなかで、福島を出ていきたくても経済的な問題、
家族で見解が分かれたり、地縁関係が強い地域での人間関係など
複雑な要因があって、福島にとどまるしかないと考えている人。
また、汚染状況や放射能禍を把握しきれず、
故郷に対する愛着を大切にしたいと考えている人。
国や自治体が「安全です」という限り、
この状態は続くのでしょう。
だからこそ、放射能汚染の状況・情報をオープンにし、
被害を受けた方々への十分な補償、
少なくとも影響を受けやすい子どもたちや妊婦、若い人たちは
疎開できる体制が必要。
また避難したいと願うひとたちが自立した生活が営めるための体制整備、
どうしても故郷を離れたくない、と望むひとへの最大限の環境整備など
東電・国がやるべきことを実行するように、
私たちは声をあげていかねばならないと思います。
民間レベルの保養キャンプは、各地で広がっていますが、
まだまだ不十分です。
そしてなによりも③のような声ばかりが先行しないよう、
被災者の方々の人権が守られるよう、配慮と丁寧な説明が必要です。
関西にいると、放射能汚染に対する関心が薄く、
ピンとこない人が多いように感じます。
今夏の保養キャンプで、リアルな声を聴くことができました。
未だに洗濯物が表に干せない。
安全な野菜を手に入れるのが大変。
経済的に、かなり切羽詰ってきた。
福島県は、福島産の米を学校給食に充てた。
県庁職員(食堂)は県外のものを食べているのに許せない!
などなど(これはほんの一例です)
みんな、子どもに対して「すまない」とか「これでよいのか」と
悩み、苦しみながら、日々を送っておられます。
とても過酷で切ない・・・でもみんな明るく、前向きでちから強い。
「食べて応援」というなら、せめてベクレル値を公表していくべきでしょうし、
国の高すぎる基準値まかせにしないで、独自に計測する必要があります。
自分たちで調査し、
東電・国・自治体にやるべきことをしっかり求め、
被災者の方々と繋がり、理解者を増やして
支援を続けていきたいと思います。
今日、先日のブログについて、ご意見を(間接的ですが)伺いました。
「学童保育」について。
支援を必要とする子どもたちを、
現場スタッフが何もしないでいるかのような誤解を与えているのではないか。
現場は現場で一生懸命やっている・・・
そう、スタッフ全員が怠慢だとか、という問題ではありません。
現場で働くひとは真面目にとりくんでいる人が多い。
個々人がどうなのか、ということよりも
体制がとれているか、人員が足りているのか、ということであり、
まずは、委託する側の教育委員会の理念や指導・監督が問われ、
事業主は協定書どおりに実施するための体制を組めていたのか、
ということを振り返って検証してみる必要があります。
そうしなければ、いつも同じことを繰り返してしまうでしょう。
この辺のことが、説明不足だったために、
誤解を与えてしまったようで・・・
自分なりに反省しています。
保護者の立場、スタッフの立場、市の立場・・・
それぞれの角度から見つめると、
たしかに映り方が違ってくるし、言い分もあるかと。
それぞれの方の立ち位置や使命を踏まえながら、
誤解を生まないような発信をしていかねば、
とあらためて肝に銘じたいと思います。
また、立場や意見の違うもの同士が、
きちんと向き合う、ということが大切です。
だからこそ、先日の学習会には、
事業者側の方々にも参加して欲しかった。
それぞれの視点で、真摯に意見を交わすなかで、
より良い解決方法が見いだせるのではないでしょうか。
保護者の方々は、何度も「この事業に反対なのではなく、
もっと良いものにしていくために」と強調されていましたっけ。
さて、そういう意味で「福島」の問題も
誤解のないように、補足しておきたいと思います。
①「福島産のものを食べて応援しよう」
②「汚染がれきの焼却を拡散させるな」
③「福島の人が県外にでると汚染が広がる」
①は福島のひとたちに寄り添い、支援しようという心が伝わりますが、
「福島は安全」=「住んでも大丈夫」=「病気の発症はない」
=「因果関係が認められず、補償の必要なし」
ということにつながっていきます。
③は、風評被害をまねき、差別的な発想です。
②は、主張は正しいが、これだけでは誤解を招きます。
今、東電は情報を隠し、被害を過小評価して、被災者への補償も
総体的に十分に進んでいません。
国も同様で、被災者支援法が制定されたのに、
最近になってやっと出てきた「基本計画」も問題がいっぱいあります。
東電も国も被災者を「捨てている」と言わざるをえない状況で、
情報隠し、情報操作が行われています。
でもそんなかで、福島を出ていきたくても経済的な問題、
家族で見解が分かれたり、地縁関係が強い地域での人間関係など
複雑な要因があって、福島にとどまるしかないと考えている人。
また、汚染状況や放射能禍を把握しきれず、
故郷に対する愛着を大切にしたいと考えている人。
国や自治体が「安全です」という限り、
この状態は続くのでしょう。
だからこそ、放射能汚染の状況・情報をオープンにし、
被害を受けた方々への十分な補償、
少なくとも影響を受けやすい子どもたちや妊婦、若い人たちは
疎開できる体制が必要。
また避難したいと願うひとたちが自立した生活が営めるための体制整備、
どうしても故郷を離れたくない、と望むひとへの最大限の環境整備など
東電・国がやるべきことを実行するように、
私たちは声をあげていかねばならないと思います。
民間レベルの保養キャンプは、各地で広がっていますが、
まだまだ不十分です。
そしてなによりも③のような声ばかりが先行しないよう、
被災者の方々の人権が守られるよう、配慮と丁寧な説明が必要です。
関西にいると、放射能汚染に対する関心が薄く、
ピンとこない人が多いように感じます。
今夏の保養キャンプで、リアルな声を聴くことができました。
未だに洗濯物が表に干せない。
安全な野菜を手に入れるのが大変。
経済的に、かなり切羽詰ってきた。
福島県は、福島産の米を学校給食に充てた。
県庁職員(食堂)は県外のものを食べているのに許せない!
などなど(これはほんの一例です)
みんな、子どもに対して「すまない」とか「これでよいのか」と
悩み、苦しみながら、日々を送っておられます。
とても過酷で切ない・・・でもみんな明るく、前向きでちから強い。
「食べて応援」というなら、せめてベクレル値を公表していくべきでしょうし、
国の高すぎる基準値まかせにしないで、独自に計測する必要があります。
自分たちで調査し、
東電・国・自治体にやるべきことをしっかり求め、
被災者の方々と繋がり、理解者を増やして
支援を続けていきたいと思います。