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中西とも子の日々の活動や、思い、お知らせをタイムリーにブログで発信します。

逢坂悟郎先生の記念講演「みなさんの老後はいかに?
~この街で安心して暮らし続けるため秘訣を伝授!~」は大盛況!


箕面認知症家族の会「びわの会」は、認知症家族の介護中または介護体験をもつ人々が会員になって、
この20年間、定例会や勉強会、ボランティア、井戸端会議、山歩きやお料理講習など、
さまざまに会員同士が繋がり、支え合いながら活動してきました。
私も会員の一人ですが、会員ナンバーはずっと下の方です。
20年間にわたり在宅介護のかたわらで、しっかりと活動を続けてこられたのは、
ほんとうに凄いと思います。

とにかくみなさん、パワフルで明るい!!
会合に参加すると、いつでも元気をもらいます。

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この日は予定していたよりも多くの方がお越しくだって、
会場は満杯になりました。

講演では、今後の箕面のまちについて、少子高齢化が進むとともに人口が減少する。
それは生産人口も減少することになり、
75歳以上の人口は今の2倍になることとを併せて考えなければならない。

「12年後の自分がどうなっているかを想像しましょう」
ということで、そのときの経済的な事情、健康状態と住居の構造、家族の介護体制、福祉・医療機関の状況、ご近所との関係などのシュミレーションがありました。

逢坂先生のお話は分かりやすく、ユーモアにあふれているので、
会場は笑いの渦と、真剣に頷く姿とで、うとうとする人は皆無!
あっという間の2時間でした。

国は財源の厳しさを背景に、
高齢者対策として病院や施設で受け入れるよりも、
在宅看護・介護の方針を強く打ち出しています。

たしかに自宅で過ごすのが理想的だと思いますが、
小家族・単身化・低所得の世帯では、現実的とはいえず、過酷な状態が想像できます。

そこで、たとえば大東市では健康体操を市内全域で展開し(100か所)、
元気な高齢者も虚弱な高齢者もそれなりに体操し、
健康維持に努めた結果、介護保険料が200円減額できたそうです。

また介護予防とともに、元気なうちに転倒予防ともなるバリアフリー住宅への転居を考え、
準備するべきだという提言がありました。

さらに決定的に重要なのは、行政の限界を何で補うか、という点です。
潤沢に経済力のある人は、お金で解決できることもあるでしょうが、
高齢認知症対策は、スポーツや人との関わりが大切になってきます。
単身世帯になれば終日、誰とも言葉をかわさなくなる、ということが、悪循環を招くでしょう。

そのためには、医療・リハビリ・介護の機関連携とご近所・友人との
関わりやネットワークが大切になってきます。

今、箕面市内でいくつかの助け合い組織が活動していますが、
このような互助活動で、見守りや連携、ともに支えあえる体制をつくり、
そのような組織が市内に網の目のように張り巡らせるようにしなくてはなりません。
そのためのコーディネイトも必要となってきます。

さらに会場からは、そのための人材育成が大切だという意見が出ました。

数年前に、私は以上の内容と同じような一般質問を行いましたが、
答弁は「自治会加入率をあげる」というようなそっけないものでした。

来るべき近い将来に待ち受けているであろう現実を直視して、
想像力を働かせなければなりません。


今後も、協働・共生のまちづくりに向けた提案を行っていきますので、
”この指たかれ”のココロで、同調し行動してくださる方が増えますように。
2大開発のゆくえは?
持続可能なまちづくりが行えるのか?


彩都は森町に比べると、当初の人口予測からはかなり遅れています。
また立会山エリアのマンション計画(650戸)はUR・阪急電鉄㈱で進められていましたが、
このたび戸建住宅用の分譲に変更されました。

手頃な価格など人気の分譲地は売れ行きも良さそうですが、
更地のままで、まだ販売の目途がたっていないエリアもかなりあります。
あと5年かけて完売となるのか、不安はありますが
街びらきした以上は、住民の方々が安心して暮らせる持続可能なまちづくりに向けて
行政は責任をはたしていかねばなりません。

さらに彩都の施設導入地区(立会山エリア)は、「関西イノベーション国際戦略総合特区」として国の指定をうけています
そこで、箕面市はバイオ・ライフサイエンス、イノベーション関連事業者を誘致しようとしていて
減税(10年間のうち、最初の5年間は固定資産税、都市計画税、法人市民税は無税、もう5年間は法人税を除き、2分の1減税にする)を打ち出しています。

この減税額は最大で9億円という試算が示されていますが、
メッリトについては企業誘致で4800人の企業関係者がある、雇用が増える、活性化する
などの説明がありましたが、
具体的な数的試算については、まだこれから計算するので答弁できないとのことでした。
まもなく始まる2月議会で、このための条例が提案されるそうですが、
費用対効果を検討しないで減税を決定する、
後付けで、説明をこしらえるという手法は、未だに”顕在”のようです。

市の財源の根幹をなす市税を免除する、ということは重大なことなので
しっかりと説明責任をはたしてほしい、と要望しました。

さらに第3区域は今年度中に大阪府が方針を明らかにすることになっていますが、
現在のところは、明確な回答が得られていません・


12時40分頃に委員会は終了し、
午後から現地の視察へ。

小雪の舞うなか、森町の第1区域の緑地管理棟、第2区域の地域集会視等を見学したのち、
旧とどろみ幼稚園を改築した自治会館などを視察しました。

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第2区域は豊田通商㈱という民間が開発していますが、
自社販売だけではなく他のハウスメーカーにも転売。
さらに開発予定地の半分は箕面市に寄贈したいと申し出があるなど、
見通しの厳しさがうかがえます。

貴重な緑をごっそり削り、
将来的に少子化・人口減少が明らかであるにもかかわらず、
ニュータウン開発に積極的に加担してきた箕面市。

このツケは少なからず将来に及ぶのではないかと危惧します。
(市は、財政的にはあと2年で黒字転換すると主張していますが・・・)



学びの場において、
「システムの間に感じるジレンマ」と「どんなシステムをつくるか?」


「教育」を熱く語るしゃべり場的つながり空間が、
箕面こどもの森学園が主催する「教育カフェ・マラソン」です。
私はこの日で2回目の参加でした。

本日の講師(話題提供者)は、京田辺シュタイナー学校理事の吉田敦彦さん。
「教育とは何か」「学びのカタチ」を考え続けて、
「学校に子どもを合わせるのではなく、子どもに合わせた学校を創ろう」を実践し、
①学校づくり
②学んだことを色んな人々とシェアすること
をライフワークに取り組んでこられました。

穏やかで優しい風貌の吉田さんは、
語り口調も見た目どおり。

知り合いの神父さんや中2の担任教諭に似ていて、
なんとなく親近感をいだきながら、お話を伺いました。

ご自身が高校生の頃、学校内で起きた投身自殺をきっかけに、
学校の対応が、凍りつくようで”からだの中に突き刺さった感覚”となり、
以来、学校へ行くのが苦痛になった話からはじまり、

「学校」や「学び」が誰のためのものなのか、
学びのカタチ、子どもが学びたいことと向き合える”学びの場づくり”へ繋がることになった
さまざまな体験や経緯をお話ししてくださいました。


1970年代の中央教育審議会の答申は、
私が大学生だった70年代後半、大きな議論になっていました。
高度経済成長を突き進み、
お金儲けできるヤツが偉い、みたいな価値観と、
さまざまな解放運動が盛んで、人権を訴える市民運動や日教祖などとの
せめぎ合いの時代だったように思います。(かなり大雑把ですが・・・)

学生運動を起こさない人づくり教育、
経済界にとって「有益」な(言われたことを従順に黙々とこなす人材が再生産される)教育、
へまっしぐらの政策が展開されてきたと思います。

80年代から今日に至っても、
公教育の中身は中教審路線を貫いているようですが、
ごく一部の自治体では、独自の教育実践にも取り組んでいます。

教育基本法や学習指導要領など公立学校はがんじがらめになっていますが、
まもなく私学にも規制が及んでくる気配さえあります。

なお、この日の講演はUstreamで見聞きできるそうです。


さて、後半は参加者が3つのグループに分かれて「熟議」といわれる
グループディスカッションを行います。

1つのチームに10人程度。みなさん個性的で、
「おお、そんな見方もあるんだ・・・」と興味深々。


そもそもシステムとは何ぞや?
管理のための装置なのか、
誰もが平等に公教育を享受できるための配慮なのか。
と、私などはつい考えてしまいます。

そのシステムに異議を唱えることができるのか。
建前はOKだけど、現実的にはハードルが高い。

お金があれば、気に入った私学にも行けるが、
経済的に許される子どもは少数だ。


また、「どんなシステムをつくるか?」
については、自律的にかかわり、民主的につくる。
と、これまた個人的には思いますが、それにしてもこのテーマを語るには
時間が足りない!のでした。



最後の各チームの発表や講師のまとめでは、

何で必要なのか、
持続させるための最低限のルールがどこまで必要か悩んでいる

評価がネック
何のための教育か
問い続けることが大事

柔軟で変えることが大切



そして、誰にも得て不得手があるが、みんなが参加してつくるプロセスが大事であり、
(検証し、合わないものは)潰し(止めて)、つくり変え続けることが重要だ、

ということで締めくくられました。



今日はいつにも増して
終了後も多くの方々が残って”続き”(?)の話を語り合っている様子でしたが、

次の予定がある私は、仲間に入りたい気持ちを抑えて、こどもの森学園を後に。

多様な意見を交換し、繋がる場があるのはすばらしい。
次回(3月15日は寺脇 研さんです)も是非、参加したいと思います(^^)


通報処理委員会の動きが見えない「謎」!?

箕面市には公益通報に関する「要綱」が定められています。
法的な拘束力のあるり市の条例や規則はありません。

上位法である「公益通報者保護法」があるので、条例はも制定しないということらしいです。
ところで市の要綱には、公益通報があれば公益通報処理委員会に報告する(第6条)となっており、
報告を受けて公益通報処理委員会は「受理」・「不受理」の判断を行うことになっています。(第8条)

そして通報者には「受理」か「不受理」かの連絡と理由を説明しなくてはなりません。(第9条)
また、受理して調査が必要な場合は、速やかに行い、その連絡・理由説明も通報者におこなうことになっています(第9条、第10条)

しかしながら・・・

11月に市長宅の新築に関して市民から公益通報された件について、
12月議会の追及では、「12月21日に処理委員会を開催した」ことが判明したものの、
受理したのかしないのか、
通報者に連絡を入れたのか、調査の必要が認められたのか、
「一切言えない」とのことです。

理由は「公務員の守秘義務」だそうです。
制度の本旨を理解しているならば、通報者の不利益にならない点を考慮して
上記の簡単な進捗を説明できるはずだと思います。

「隠す」から「なぜ?」と疑ってしまうのですが・・・

もうやがて3か月が経とうとしています。
議会にも通報者から「通報した」という連絡があった訳ですし、
処理委員会に報告するよりも、いち早く議会に弁明をおこなった総務部なのに、

何とも歯切れの悪い対応です。
この通報処理委員会の委員長は奥山副市長です(要綱に記載)

通報の対象が市長であるのに、処理委員は市長と密接な関係にある人たちです(副委員長は井上副市長、ほか教育長、上下水道企業管理者、病院事業管理者、市長政策室長、総務部長、消防長及び総務部超など)

受理されたのかどうかも、調査が進んでいるのかも(内容は別として)明らかにできない、というのはやはり、この委員会のメンバーと市長との関係性にあるのではないでしょうか。


だからこそ12月議会の一般質問で質したように、
やはり第三者機関に委ねるべきだと考えます。

ちなみに、他にも通報があったのではないか、
という噂があったので(インターネットで、そのような情報が飛ぶかっているけれど、
どうなの?という市民からの問い合わせがありました)、
総務に確認しましたが、「ノーコメント」でした。

理由はおなじく「公務員の守秘義務」とか。
この「守秘義務」といい、「資料は開示請求してください」といい、
この間、職権乱用じゃないの?と思える対応が横行しています。
いや、もしかしたら職員さんも本意ではないのかも!?

なんにしても、箕面市の行政の在り方は改革の必要あり!です。
この制度については2月議会でも引き続き、議論します。
今夏、8月12日~18日の日程で行うことに。

今年の夏休みに、東北で被災した子どもたちを大阪に招こうと、昨秋から準備を進めています。
あの未曾有の災難をもたらした3.11の事故からまもなく3年になります。
放射能は原発労働者や生活者、とりわけ子どもたちに容赦なく影響を及ぼしていて、
深刻な事態になっているという情報が寄せられています。

震災後の原因不明の鼻血や福島県で実施された健康管理調査結果の「のう胞」「結節」などの甲状腺異常など、
子どもたちや保護者の不安を考えると、胸が押しつぶされそうです。

先日、知人の医師はありえない状況だ、と驚き嘆いていました。

がれきは拡散させず、人々は一刻も早く安全な場所へ。
今も、安全な地域へ転居したくても、
住む場所、働くところが確保できないため、
現地に留まるしかない人たちが大勢いらっしゃいます。

せめて子どもたちには、安全な場所で過ごさせてあげたい。
思い切り戸外で遊ばせてあげたい。

たとえ1週間でも通常の放射能値のところで過ごすだけで、
セシウムの体外排出に効果的だという専門家の指摘があります。

少しでも力になれることはないか・・・
3年前から、各地で子どもたちの保養プログラムの輪が広がっています。
そして、北摂でも老若男女が集まって企画を進めています。

今日は、実施日や具体的な骨格の検討を行いました。
日々、支援の輪が広がりつつあり、協力を申し出てくださる方がいらっしゃいます。

この企画を通じて、東北被災地の方々の想いに寄り添い、
脱原発に向けた市民の輪がいっそう拡がることを願っています。