前回のブログでは

わたしがHSPの上映会の準備で

思いもかけず考えさせられる結果になった経緯を書きました。

 

どうしてHSPは生きづらいという前提なんだろう。

そう感じたのですが、

 

HSP上映会の準備で改めて考えさせられたこと

今回はこちらの続きになります。

 

 

HSPにとって必要なのは

HSPと知ってからのリフレーミング(捉え直し)です。

→HSPと知ったことでのリフレーミング

 

敏感さは今まで

「神経質」「臆病」「人見知り」「引っ込み思案」「内向的」など

 

ひとつの行動からしか判断できないことで

間違った呼び名をつけられてきた過去があり

根本にある「敏感さ」は見過ごされ誤解されてきました

 

根本にある「敏感さ」は周囲からは見えないので、

 

例えばですが、

 

敏感な人(子)は慎重に観察してから進む傾向にありますが

周囲からは「臆病」や「人見知り」などに見え誤解されることが多いんです。

 

ですので子どもの頃から

周囲から見たイメージを言われてきたことにより

 

本当は「慎重に観察しているだけ」なのに

自分は「臆病なんだ」「人見知りなんだ」と

思い込んでしまっているケースが大いに考えられます。

 

この思い込みを捉え直すことがリフレーミングです。

 

HSPと知り、

博士の概念を理解すると

 

周囲からは「臆病」や「人見知り」に見えていたことも

本当はそうではなく「慎重に観察しているだけだったんだ」と

根本から捉え直すことができるのです。

 

 

準備にあたって拝見させていただいた多くの情報には

「HSPは生きづらい」という前提の言葉がたくさんありました。

 

人間関係が苦手なのも

周囲になじめないのも

職場でうまくやれないと感じるのも

言いたいことを言えないのも

人に合わせすぎて振り回されてしまうのも

 

HSPだから。

 

この世の中は

HSPにとっては生きづらい…と。

 

自分のほうが苦しい思いをしているから

自分のほうが敏感さが強い

 

そうお聞きしたこともありました。

 

わたしの疑問は一点

どうしてHSPは"生きづらい"という前提なんだろう

 

敏感さがつらいという視点なら

そうなのかもしれない

 

でもそうではないかもしれないという視点からだと

だからつらい、とは言い切れないと思いました。

 

 

そして

その前提がつくる未来が怖いな、と感じました。

 

 

その理由は「確証バイアス」が関係しています。

 

 

生きづらさはHSPであるかないかに関わらず

抱えている方、または抱えていた方は多いのではないかと思います。

 

ネットや書籍でHSPだと知ったという方も

多いと思うのですが

 

そこに「HSPだから生きづらい」とあったら

生きづらさの原因はHSPだからだったんだ、と

理解しますよね。(※)

 

原因がわかって救われた、と思うかもしれません。

 

その後

 

ではどうしたらいいのか、と

検索したり本を読んだり誰かに会ったりすると思うのですが

 

そのときに起こるのが「確証バイアス」という現象です。

 

どういうことかというと

 

「HSPだから生きづらい」という

個人の中にある情報に基づいてそれと合致するものがあると

「やはりそうだったんだ」と結論を出す。

 

いい悪いではなく

人間というのは誰しも

自分にとって都合のいい情報を集め、

自分の中にある情報を補強したりするものなんです。

 

こちらを参考になさってください。

→参考 : 科学事典 確証バイアス

 

「HSPだから生きづらい」と目にすることが多いと

「やはりそうだったんだ」が積み重なって真実となり

結果として「そうなんだ」と思い込んでしまうことになる。

 

実際に「生きづらさの原因がHSPだと知って」と

メッセージをいただくことも多いので

すでにそうなってしまっているのかもしれないと感じます。

 

※生きづらさは生まれ持ったものではないので

 原因がHSPだからということはありません。

 

 

ここで大事だな、と思うのは

「そうではないかもしれない」という視点。

 

つまり

 

「HSPだから生きづらいのではないかもしれない」

という視点です。

 

 

HSPであるかないか

個人が敏感さを「どう捉えるか」は問題ではありません。

 

エレイン博士からいただいたメッセージの中にも

敏感さを"どう捉えるかはあなた次第"とありました。

 

混同しないで知っておきたいなと思うのは

 

「敏感さの概念」と

「敏感であることをどう捉えるか」は別であるということ

 

「生きづらい」というのは

個人のそれぞれの「捉え方」ですので

「概念」とはまた異なるのです。

 

 

でも

 

「HSPだから生きづらい」という情報が多かったら。

 

「HSPだから生きづらい」という

原因や理由を集めてしまう状況が用意されていることになるのではないか。

 

「そうではないかもしれない」という視点を

持つ機会すらなくなってしまってはいないか。

 

その結果として

 

わたしが怖いなと感じるのは

「生きづらさの原因」が「HSP」となってしまうことです。

 

うまくいかないのは…HSPだから

つらいのも…HSPだから

 

自分でどんどん理由づけして

「そう設定」してしまうことは

望むところではないと思います。

 

 

敏感であることを弱点のように捉え

克服しよう、対処しよう、という流れになっている今は

 

「HSPは生きづらい」ことが

確定となっているような気がして

それはとても悲しいなと思いました。

 

 

ここでわたしとは違う意見も当然あって

 

救われるのなら概念にこだわらなくていい

正しさを求めすぎてつらい

 

そうですね

それもひとつの考えだと思います。

 

どう捉えるかは個人の自由

それぞれに異なります。

 

 

ただわたしにはわたしなりの理由があって

「概念」を伝えていきたいという思いがあります。

 

 

その理由はこちらに続きます。

→わたしが「HSPの概念」を伝えたいと思う理由

 

 

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