自分と向き合うweekの中で

→自分の中を明確にする1週間

→自分の中を明確にするため、ひたすら書き出した1週間

 

HSPの発信についてもどうするのか考えました。

 

発信をやめるか、続けるか

それぞれ自分の中にある思いを書き出して

 

やめる…の中にあった言葉のひとつに気になるワードがあって

 

それは

"ここでHSPを伝えるのをやめたらきっと後悔する!"というワード

 

わたしがそもそも

HSPの発信をしようと思ったのは

 

心理士さんからHSPであると告げられて

心から安心したからなのですが…

 

詳細は前回のブログへ

→HSPの発信 ーここでやめたらきっと後悔するー

 

 

わたしの発信するHSPの概念は

心理士さんとの話の中で理解したものが根本になります。

 

そしてそれは

エレイン・アーロン博士の提唱された概念の理解に

直接つながるとてもシンプルなものでした。

 

わたしは敏感であることを

そもそもネガティブにもポジティブにも捉えていなくて

ただ「そういうもの」として理解しています。

 

でも

ネット上や日本の書籍の中では

HSP(敏感)であることがとてもネガティブに語られている…

 

当初から違和感を感じていました。

 

最近では何かの能力者のように

書かれているものもあって正直驚いています。

 

▶︎知った当初・関連するブログ

→HSPであることの受け取り方

→心理士さんとのHSPのはなし

→HSPと知ったことでのリフレーミング

→”生まれ持った敏感さ”と”環境や経験で作られていくもの”

 

 

わたしは

 

敏感であること

悩みやつらさを生むのではなくて

 

思考のクセや

ものごとの受け取り方・捉え方によって

生きづらさは生まれるものだと理解しています。

 

 

だってもし

敏感さそのものが、悩みやつらさを生むのなら、

 

わたしたちHSPは

不利なものを抱えて生まれてきたことになります。

 

エレイン・アーロン博士も書籍の中で

このようにおっしゃっています。

 

わたしの知る限り、子どもが、"生まれつき"、怖がり、内気、臆病、ネガティブ、人見知りであるというデータはありません。

人間は社会的な動物なので、もし生まれつきこのような特性を持っているとしたら、それは弱点になってしまいます。

人間の進化の過程で、その弱点が淘汰されず受け継がれてきたとは考えにくいのです。

 

悩みやつらさが生まれるのは

何か経験があってこそのもの。

 

生まれつきそれらを抱えているとは

考えられません。

 

 

ですが

ネットや日本の書籍の中では

まるでHSPであること"そのもの"が

 

"とても大変でつらくてしんどくて

敏感だからこんなに生きづらいんだよ"

 

そう言わんばかりの内容で溢れている。

 

生まれつき不利なものを抱えていて

それらに対処することしかできないような

そんな絶望すら感じさせる。

 

「そうではない」

 

とわたしはわかっているのに

 

それらを目にすると涙が溢れてきて

ココロがぐっとしめつけられる思いになりましたし、

 

誘導されているような

そんな憤りも感じました。

 

 

でもみなさん、納得されていますか?

 

HSPであること"そのもの"が生きづらい

 

わたしは納得できません。

 

でも、そう言われていても

納得している方も多いように感じます。

 

つらいのは「HSPだから」だと。

 

HSPと知って悩まないのは

HSPではない

 

そのような空気さえ感じたし

実際にそうおっしゃっている方も見かけました。

 

 

「悩んでいる人・生きづらい人=HSP」ではありません。

 

実際に

生きづらさを抱えていないHSPもいますし

 

わたしのように

生きづらさを抱えていたけれど

そうではなくなった人もたくさん知っています。

 

 

悩みや生きづらさというのは

環境や経験によって作られた

 

思い込み、思考のクセ、

ものごとの受け取り方・捉え方によるものです。

 

つまりそれは

HSPであってもなくても変わらないのです。

 

※HSP(HSC)は環境の影響をHSPではない人より良くも悪くも受けますが

 それはまた別の話になるのでここでは割愛します。

※思考のクセなどは誰にでもあるもので、あってはいけないというものではなく

 生きづらさとはそれらが根っこだということです。

 

わたしは

 

HSPであること

"そのもの"が生きづらいのではないし

 

HSPの概念が

つらさを証明するものではないと信じています。

 

「敏感だから」とせず

自分の思考のクセや捉え方に気づけば

生きづらさから抜け出せることも知っています。

 

なのでそれらを伝えてきたのですが

 

恥ずかしながら

表現や発信の力不足で(人間力も、かもしれません)

共感どころか反感すら買ってしまい

厄介者扱いをされてしまうこともありました。

 

 

そういったことがあったので

HSPは生きづらいということで

多くの方が納得されているのなら

 

もうそれでいいんじゃないか、

わたしが「そうではない」と伝える必要はないんじゃないか

 

そう思うこともあったので

 

選択肢のひとつとして

・発信をやめる

ということも含めて考えたのです。

 

 

ですが、

前回のブログでも書いたように

 

ここでやめたらきっと後悔するという思いが

とても強くありました。

 

半年間、もやっとしながらも

発信をやめられなかったのはこの思いが強くあったから。

 

 

それはなんでか、と考えたら

 

HSPという概念自体がレッテルになってはならない

 

そう強く思うからです。

 

もうすでにレッテルになりかけている。

 

いや…もうなっているように感じます。

 

"どうにかしなければならないもの"

そう捉えている人がとても多い。

 

 

そしてその先入観に苦しむのは

大人もそうではあるのですが、何より子どもです。

 

つまりHSC

 

わたしは

自分自身がレッテルに悩んだ

 

レッテルを剥がそうと自分らしさを見失い

頑張りすぎてポキっと折れた。

 

うつ病です。

 

※HSPだからうつ病になったのではなく

 レッテルによるそうであってはならないという思考のクセなどで

 ムリを重ねた結果がうつ病だったということです。

 

わたしは

 

第2のわたしを生み出したくない

 

わたしの本当の根っこにある思いは

ここでした。

 

 

本来、生まれ持ったものというのは

良い悪いで判断できるものではありません。

 

どうにかしなければならないものでもありません。

 

 

わたしにできることはないかもしれない。

そうではない、というのは本当に勇気がいる。

 

でもわたしは

 

わたしの信じるHSPの概念を伝えていく

 

そう覚悟を決めました。

 

 

まだまだ未熟ではありますが

できることを精一杯やっていきますので

よろしくお願いいたします。

 

 

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