期待感の表れか
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で秀吉・秀長の妹となる「あさひ」が初回放送からほんの少しですが登場しました。
「あさひ(朝日姫、旭姫とも)」は、秀吉の母・なかとその再婚相手である竹阿弥との子として出生。はじめ佐治日向守に嫁ぎますが、小牧・長久手の戦いの講和成立後、佐治日向守と離縁させられて家康の継室(後妻)として再嫁することになります。
この時、家康45歳で「あさひ」は44歳。駿河府中に居を構えたことから「駿河御前」とも呼ばれました。
無論、この婚姻は秀吉による家康への懐柔策の一環でしたが、3年後の天正17年(1589)に生母の病気見舞いのため上洛した後に聚楽第で病没(法名は南明院殿)することになります。
ある意味、兄・秀吉の野望のために人生を翻弄された女性と言えるかもしれません。
さて、会社前の幹線道路沿い200mほど東方面に朝日神社があります。
この朝日神社は、元々清洲城下の朝日郷(伊勢神宮の神領地)に鎮座していたとされ、名古屋城築城にともなう家康の〝清州越し〟によって現在地に移築遷座されました。
その後、家康の正室となった朝日姫の氏神として城下町碁盤割りの守護神となりました。
ゆえに神社本殿前の浄財箱には、葵の御紋ではなく、豊臣氏の家紋である五七の桐が目を惹きます。
さらに往来の人々は目を止めませんが、江戸時代にこの神社の向かい側に牢獄があったことから、文化6年(1809)に不浄な空間を神の目から隠すために設けられた蕃塀(ばんべい)が貴重な遺構として残っています。
私も、ほぼ毎日のようにこの神社の前を通っていますが、昨日今日と参拝者が例年より少し多いように思われますが、単なる気の所為でしょうか。
こんなところにも私の期待感が表れているように感じます。
今日が仕事始め
今日が仕事始め。
学生が少ない分、ゆったりとした通勤電車で通勤。
9日間の休みを経て全員の笑顔が見られたことにまずは一安心。
こうして迎える仕事始めはなんとも心地良し。
今年もこのメンバーで広大無辺なビジネス領域を駆け抜けるという気持ちと共に自分自身の境涯も弁えることに。
年頭の簡単なミーティングを終えると、その後は少し早めの昼食を摂るべくスタッフ全員で会社近くの中華料理店へ。
円卓を囲みながら年末年始の四方山話に花を咲かせ、午後からは通常業務に突入と相成りました。
さて、大河ドラマ「豊臣兄弟!」が始まりました。
いつもは主人公の幼少時から描かれることが多いのですが、今回は成年の頃で信長に出仕する直前からのドラマ展開となりました。
躍動感溢れるような描き方に、今後の兄弟の活躍が包含されているようで、楽しみな初回放送になったように感じます。
番組平均視聴率も前作の「べらぼう」を上回る結果となったとの発表がなされ、まずまずの船出となったようです。
そして、名古屋の交通機関にも「豊臣兄弟!」大河ドラマ館のポスターが12月から貼られるようになりました。
弊社の歴史商品の一部もここで発売される事になっていますので楽しみです。
それと話は年末の「紅白歌合戦」になりますが、今回特別企画で出演した永ちゃんのステージパフォーマンスは圧巻の一言。
久しぶりにカッコイイ大人を見せつけられた感じがしました。
さらに全盛期に近い雰囲気を今も維持していることにも感服させられました。
三曲目の「トラベリングバス」はソロになった初期の頃の曲ですが、たまたま昨年末にブログで触れた「西岡恭蔵」作詞によるもの(作曲は矢沢永吉)。
個人的に聞き惚れるほど感動を覚えた一曲となりました。
パワースポット「金神社」へ
今にも雪が舞ってきそうなどんよりとした寒空の下、今年も岐阜の「金神社」へ初詣に出かけてきました。
ちなみに「金神社」と書いて「こがね神社」と読みます。
〝金〟の漢字で察しがつくと思いますが、古来より産業繁栄、財宝・金運招福、商売繁盛の御神徳あらたかな神として信仰を集めている神社。
ここの大鳥居は全国でも珍しく朱色ではなく金色に輝いていて、まさに金運パワースポットを地で行くようなもの。
こんな鳥居をくぐるだけでもご利益がありそうな感じ。
聞くところによると、やはりここが金運アップする岐阜のパワースポット第1位になっているそうです。
愛知県北西部の自宅からだと名古屋の熱田神宮という手もあるのですが、さすがに正月の熱田神宮の参拝客は半端ではありません。
拝殿まで数珠繋ぎの長い列が出来ていて相当な時間を要しますので、ここ数年というものは、南から北へと方角を変えて岐阜の駅前から徒歩で10分程度の金神社への初詣というのが恒例となりました。
岐阜での初詣といえば、岐阜城が聳り立つ金華山麓に御鎮座している伊奈波神社がつとに知られていますが、こちらはこちらで風趣に富んでいます。
さて、そんなこんなで年末年始の9日間があっという間に終了。
いよいよ明日が2026年の仕事始めとなります。
これまでも自宅の書斎で時間を見つけて仕事に精を出していましたが、明日からまた慌ただしい一年がスタートすることになります。
70歳までの葛飾北斎
昨夜、岡田准一がMCを務めたテレ朝系放送の「霊峰富士山のすべて」を視聴しました。
そのなかで青木ヶ原の謎の石垣について解説するべく弊社の戦国系の監修者・小和田泰経氏が登場しビックリ。
年末に名古屋で会食をしていましたが、直近のテレビ出演にもかかわらず話題になっていなかったからです。
それはそれとして、年末には別のテレビ局の番組で、「岡田准一×小和田泰経」の組み合わせがあったばかりで、それ以前にも同様な組み合わせがありました。
それゆえに私のなかでは名コンビ感が醸成されています。
そして、番組内では富士山に因んで葛飾北斎の「富嶽三十六景」についての専門家による解説などもなされました。
「富嶽三十六景」をはじめとする北斎の作品は、19世紀後半にヨーロッパでジャポニズムの火付け役となり西洋画壇においても「浮世絵愛好家」を生み出す事になりました。
番組内では専門学芸員から「富嶽三十六景」は北斎が70歳過ぎに制作された旨の説明がありました。
北斎自身が「七十歳までに描いたものの中には、見るべきものは何も無い」と、人生を振り返って述べた言葉が残されていることや、さらに続けて、この年代になってから鳥や獣、さらには虫や魚などの本当の姿が目に映り込むようになったとも語っていますから、この「富嶽三十六景」も自己評価において秀作の部類に入るのでしょう。
北斎は90歳という長寿を全うしましたが、本人が突き詰めた飽くなき創作意欲は70歳を過ぎてからだというから全くもって驚かされます。
平均寿命がゆうに80歳を超える現代であればまだしも、おそらく50歳前後くらいだったであろう江戸時代に於いて、それは超人的であると強く感じられた次第です。
驚きの数字
新年早々に驚きの記事を目にしました。
昨年度2025年の企業の「倒産」件数が1万件を超える見込みのようですが、それ以上に深刻度を増しているのが企業の「廃業」件数だそうです。
これも前年ベースでいくと7万件を超える数字になりそうで、倒産件数の7倍という驚愕するほどの現実に驚きを禁じえません。
さらに記事は続けて、一部の中小企業では「終活」を意識してエンディングノートを作成しているところも多くあるらしい。
そして、昔からの取引先がかしこまって「会えませんか」との連絡があると、ほとんどが「廃業します」という突然の報告がなされるとのこと。
そういわれてみると、私も昨年に改った感じで「挨拶に」といわれ、奇妙なタイミングの挨拶だと訝しんでいたところ、同様な状況を体現させられました。
そのようなことが私自身にもあったことで、なるほどと頷きました。
確かに後継者がいなくて事業承継に悩んでおられる中小企業の経営者は多いと思われ、さらに雇用の問題、コスト高、構造の変化など抱える問題は多い。
そして本来ならコストを販売価格に転嫁することが可能なのですが、「強み」がない中小レベルでは簡単にいかず、加えて買い手の優越的地位の濫用が行われれば言わずもがな。
それゆえに資金面などで対応しきれない部分が多く存在することになってしまいます。
それに経営者自身が高齢となり、意識減退ともなれば、もうお手上げ状態。
どっぷりとレッドオーシャンに浸かれば二進も三進もいかなくなってしまいます。
ああだこうだと長期的な展望などを描ける余裕など寸毫にもありません。
なんだか、身につまされる話に感じます。



