合戦絡みのアイテムが続々と
2017年に要図を用いて戦国の合戦を解説した「バトル25」という見開タイプのクリアファイルを商品化しました。
商品名が示すように戦国時代の主だった25の戦いにスポットを当てています。
その「バトル25」の販売開始から8年が経過した現状でも好調な販売状況を鑑みて、さらなるマニアックさを追求するべく、合戦への深度を求めることにしました。
それが今年商品化した「東日本バトル」です。
これまで通りのコンセプトをエリア区分によって詳細なものとしました。
掲題通り戦国時代における東日本の主だった25の戦いに関して要図を用いて解説してみました。
いうまでもなく「東日本バトル」があれば、「中日本バトル」「西日本バトル」も戦国ファンにとっては興味が沸くところかもしれません。
ということで追従するようにして「中日本バトル」「西日本バトル」の制作に取り掛かっていましたが、昨日、同時に出来上がってきました。
「東日本バトル」「中日本バトル」「西日本バトル」の三種類で、戦国時代の72の合戦が集約され、一応、商品企画的にコンプリートとなりました。
一廉の商品として認識されれば、制作者にとって望外な喜びとなりますが、これからの販売の結果がどのように推移するのかを見守りたいと思います。
そして、現在制作中なのが、105の戦国合戦を一覧できる内容の「THE 戦国日本 合戦編」。
見開タイプのクリアファイル表裏にぎっしりと合戦内容を押し込めてみました。
こちらは社内制作が終わったばかりですので、これから監修者のもとで校正が行われ、商品化までにはまだ2ヶ月ほどを要することになります。
旅行に携える文庫二冊
明日の土曜から一泊二日の予定で北関東へ出かけてきます。
名古屋からのぞみで東京まで1時間40分、東京から宇都宮まで東北新幹線で1時間。
結構な時間を携帯をいじくって過ごすのも良いのですが、やはりこれだけの時間を過ごすのには読書が一番。
ということで、旅行前に書店に足を運んであれこれと物色するのも楽しみ。
今日も会社近くの大型書店に出向いて、本の背表紙を眺めてきました。
そして今日は5冊ほど購入してきたのですが、旅行用はこの2冊。
いずれも講談社学術文庫で、平尾道雄氏の『維新暗殺秘録』と加藤政洋氏の『花街』。
平尾道雄氏は亡くなられてから50年近く経過していますが、本書は昭和42年(1967)に刊行されたものを、先月3月に講談社学術文庫から再発刊されたようです。
平尾氏は半世紀にわたり高知県の歴史、民俗学研究に取り組んだ歴史家。
特に幕末期の土佐藩史に詳しく、龍馬をはじめとする著作も多く、幕末維新史の権威として大きな功績を残された方でもあります。
これまでも平尾道雄氏の著作を数々読ませてもらっていますが、久しぶりに味読することができ、ワクワクしています。
本文庫の内容は、桜田門外の変での井伊直弼の暗殺から始まり、吉田東洋、島田左近、本間精一郎、塙次郎、池内大学、清河八郎、大藤幽叟、姉小路公知、佐久間諸山、住谷寅之介、原市之進、坂本龍馬と中岡慎太郎、伊東甲子太郎、世良修蔵、横井小楠、大村益次郎、広沢真臣など幕末維新期に起こった30の暗殺事件が取り上げられています。
綿密な平尾氏の文脈に触れ、きっちりと幕末の復習をしてみたいと思っています。
今日4月17日
私が広告代理店時代から大変お世話になり、起業後も何かと気に留めてもらっていたビジネス上の恩人が亡くなってちょうど一年が経過。
今日4月17日は、その恩人の本命日であるとともに、実は私の誕生日でもあります。
何やら「俺のことを忘れるな!」とでもいわれているようで、私が生涯忘れることのない日に黄泉の国へ旅立たれました。
今では国内370店舗を数えるコンタクトレンズ販売最大手の元経営陣の一人で、東海地区の店舗を統括されていたときからの縁で長いお付き合いをさせていただきました。
先方は二回りくらい年嵩がありましたが、とにかく経営者としてとても厳しい目を持たれていて、私は広告代理店の営業として担当させてもらっていましたが、褒められることなど滅多になかったように記憶しています。
それでも冷静に俯瞰してみると、その厳しさというものが今の自分の土台を築いてもらったといっても過言ではなく、今にして思えば感謝しかありません。
私が広告代理店を退職した時点で、二人の間にはビジネス上の利害関係が解消されていましたが、現在の事業に挑戦しようとしたおりに「歴史ビジネス?聞いたことがない世界で面白そうじゃないか。挑戦してみる価値がありそうだ」と、さりげなく背中を押されました。
そして、ご自身がコンタクトレンズ販売の親会社の中興の祖から直接に伝えられたという「小さな池の大きな魚」を私に話され、精神的な柱を授けられたと思っています。
それ以降、人生と経営の先輩と後輩という関係に形付けた関係となり、先方が在住する関西から名古屋に来られたときを見計らって、月に一回昼食を共にすることが、氏が病に臥せるまで18年間続きました。
氏からの電話で「絶対、元気になって名古屋に行くからな」とか細い声で気持ちを語られ、その吉報の到来を鶴首するように私は日々を送っていましたが、それが氏の最後の言葉となり一年前の今日に帰らぬ人に。
もう一つ4月17日といえば、過日に4月17日で誕生日が同じ叔母から連絡があり、今日4月17日に心臓の手術を行うとのことでした。
手術は無事に終わったのでしょうか。そちらも気になります。
思慕の情を寄せるもの
今年のメジャー第1戦となる男子ゴルフのマスターズ・トーナメントがオーガスタ・ナショナルで行われ、ロリー・マキロイがプレーオフを制して初優勝。
加えてマキロイは優勝賞金420万ドル(約6億円)を獲得するとともに、史上6人目のメジャー4大会全制覇を成し遂げました。
残念ながら松山英樹は21位に終わり、来年の巻き返しに期待したい。
とんとゴルフのテレビ中継など観なくなりましたが、マスターズだけは観るに値するものが感じられます。
それほどオーガスタはゴルファーにとっての聖地であり、あこがれの場所など、唯一無二の存在であることは人口に膾炙しています。
とにかくコースが美しく、ショットごとに臨場感があり、ナイスプレイに対して分け隔てなく惜しみない拍手がプレイヤーに賛辞として送られる。
オーガスタ・ナショナルの独特な雰囲気というか、その風致が堪りません。
これらの感覚からこのマスターズは別格で、プレイを見ているということもさることながら、もう一つ上の上質なゴルフ物語を見ていているような錯覚に陥るトーナメント。
これほどまでに観ていて昂揚させられるトーナメントなどそうはない。
広告代理店時代の私はゴルフが仕事の一部という側面がありましたが、20年前に起業した時点でキッパリとゴルフをやめ、ゴルフクラブそのものを封印。
そして、自宅に3セットあったゴルフクラブも息子二人と知人へ進呈。
ゴルフとは無縁の関係となってしまいましたが、一年に一度だけ「ゴルフを再開してみようかな」と思う瞬間が、このマスターズをテレビで観るときなのです。
マスターズに比肩するものなし。そして思慕の情を寄せる。
早くも来年のマスターズが待ち遠しい、そんな気分です。
5段抜きの珍しい記事
今朝の地元紙・中日新聞の第二社会面に、頼山陽の漢詩の草稿が発見されたという記事が掲載されました。
この地方で頼山陽の記事が掲載されることはとても珍しいことで、しかも今回の掲載は5段抜きの大きなスペースが割かれていました。
ご当地の戦国武将の新出の書状などであればいざ知らず、当地にゆかりの少ない人物でこれだけの扱いは稀ではないでしょうか。
強いていうなら草稿が名古屋市内の古美術店で発見されたことと、頼山陽の弟子で犬山藩の郷校・敬道館の教授だった村瀬太乙が真筆と保証した添え書きがあったという近縁性からなのでしょう。
さて、今回の草稿の内容は、掛け軸に仕立てられた「画兎二首」と題された七言絶句。
研究者によると草稿が発見されるのは珍しいとのことですが、そういわれてみると確かに下書きとか草稿などが出回ることはあまりないかもしれません。
頼山陽のマニアにとっては垂涎の的となるであろうこと請け合い。
少し古い話で恐縮ですが、戦前では頼山陽の軸一幅で家一軒が建ったといわれるほどの値がついていたそうですが、今はその足元に及ばないほどの感じ。
それでも、この場合は希少価値ということを鑑みれば、それなりの値がつくことになるのでしょう。
個人的には草稿の金額よりも、むしろ同じ名古屋市中区ということで、どこの古美術店か気になります。
ちなみに頼山陽は、京都三本木の水西荘(山紫水明処)を営み、梁川星巌、篠崎小竹ら多くの文人たちと親交。
さらには22歳のときから書き始めた『日本外史』は、幕末期に広く読まれて尊王倒幕の志士らに多大なる影響を与えました。