龍馬と夢紀行

歴史が好きだから、歴史の仕事を手探りで始めてみた。


発端は、ただそれだけ。


でも不思議なもので、そんな瞬間から「趣味」が「仕事」になりました。

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ええじゃないか

過日の帰宅途中、

駅構内に貼られた一枚のポスターに目を奪われました。

10月19日・20日に開催される「ええじゃないか豊橋まつり」の内容。

聞き覚えがないような祭りでしたので、

初開催かと思いつつ自宅に戻ってからネットで調べてみると、

今年で68回目ということでしたが、

2014年から名称が「ええじゃないか豊橋まつり」に改められたらしい。

 

それでも10年間ほどこの祭りの存在を知り得ず、

愛知県民としての不認識を恥じることになりました。

 

さて、「ええじゃないか」と「豊橋まつり」の関連性を

改めて説明するまでもないかもしれませんが、

幕末の動乱期の慶応3年(1867)7月から12月にかけ、

集団で町々を巡って熱狂的に乱舞する現象が起こりました。

 

囃子言葉の「ええじゃないか」と共に政治情勢が歌われたことから、

この騒動を慶事の前兆とした民衆らが仮装して参加。

近畿・江戸などの東海道筋を中心にすぐさま広まり、

さらに尾道、広島、四国、信州松本あたりまで広範囲に広がっていきました。

 

その端緒が、お札が降ったという噂が広まった三河(豊橋)で、

地元発祥とされるそれをモチーフにした祭りのようです。

 

「ええじゃないか」が幕末期という大きな変革期に起きたことから、

世直し的な風潮を反映した騒動だと一般的には解釈されていますが、

異説として討幕派が社会秩序の攪乱に利用したともいわれています。

 

ちなみに私が所蔵する「ええじゃないか」の錦絵です。

当時の様子を感じ取ってみてください。

心に響かないアナウンス

先週、宇都宮に在住する二男一家のもとを訪ねました。

 

ネット社会だからなのでしょうが、四方山話をしていたところ、

「名鉄は、やたら多いよね」との言い回しで、

名鉄電車の事故などによる遅延の話を二男がふってきたのです。

 

以前もブログに書きましたが、

事故だけに限らず5分程度の遅延などは当たり前といった感じで、

慢性的というか頻繁にそんなことが起こっています。

それくらいで目くじらを立てているわけではありませんが、

何だか無理をしているような違和感は覚えます。

 

特に夕方の帰宅時間帯のラッシュ時は、

混雑ということも考慮せねばならないと思いますが、

車両事故以外でもやたら遅れが目立つように感じます。

 

本線の運行における遅延は、

主だった駅で接続する引き込み線への遅れにも繋がり、

利用者がうんざりすることも多いのではないでしょうか。

 

これらの背景には、

名鉄とJR東海の競争原理などが働いていることが想定されますが、

スピードに劣る名鉄はきめ細やかな地域密着ダイヤを強調し過ぎで、

それが密着ではなく過密になっているのでないかと思えるくらいです。

 

そして、これに関して駅構内や車内の以前のアナウンスはというと、

「○分程度の遅れが発生しております」だったものが、

遅延の頻度が多くなってきたからなのでしょうか、

最近では「先行列車の遅れにより」などと、

根本的な理由を明らかにしない妙な言い回しが増えてきました。

 

さらに、最近のアナウンスはというと、

「安全確認のため、○分程度の遅れ、、、」というワードを多用され、

さもカスタマーサティスファクションを強調しますが、心に響かない。

 

今日は今日で、遅れではないのですが、初耳のアナウンスがありました。

「関係箇所からの指導により6両を4両編成にして運転しています」。

思わずどこからの指導なのだとツッコミを入れたくなるような妙な言い訳。

 

これにより私が乗車した今朝の通勤電車は押し合いへし合い。

朝から一仕事を終えて名古屋駅に降り立ったような気分に。

もう少し改善されることを願います。

必需品と奢侈品

過日、家内がメガネを新調することになりました。

 

ショップに入るとすぐさま家内はお好みのフレームが見つかったようで、

それほど迷うこともなく速攻で購入することになりました。

 

このときの私は、あくまでもお供で一緒に出かけたつもりでしたが、

色々なフレームを目にするうちに、座視でできない心持ちとなり、

あれこれとフレームに手を伸ばしては、

メガネの掛け心地やその雰囲気を鏡で確認していました。

 

そんなことをしているうちに、

ついつい私も購入モードに突入していく心変わりを察知することに。

こうなれば流れに棹さすようにとばかりに、

家内に目配りをして「これはどうだろう」と暗に購入の意思を示唆。

 

家内は「いいんじゃないの」といいながらも、

その表情から汲み取ると「心底からYES」という感じではなさそう。

 

でも買ってしまえとばかりに、

スタッフにフレームを差し出して装着のレンズは前と同じでとお願い。

オプチカルスタッフは過去の購入履歴をパソコンでチェックしながら、

一つ前の購入だけをチェックすれば良いものを、

「この一年で三本目ですね」といいながら三本のブランド名を連呼。

 

余計なことをいわなくてもと思いながら、

さすがにこのシチュエーションを考慮して、

私が支払うことが得策と考えて会計を済ませることにしたのです。

 

ところが、家内と二人でショップを後にすると、

「私は(メガネ)傷んでいたから購入、つまり必需品。

 それに比べてあなたは何本もあるから奢侈品。

 同じ購入でも意味合いが全然違いますよ!」と釘を刺される始末。

 

そんなこんなで厳しい視線を浴びながら購入した15本目のメガネはこれ。

今回もボストン型のセルフレームをチョイスしてみました。

開業60周年だそうです

東海道新幹線が開業60周年を迎えたとのこと。

 

開業は東京オリンピック開催の昭和39年(1964)10月1日だそうで、

東海道新幹線の乗客は累計で70億人に達したらしい。

 

年間でおおよそ1億2000万人が利用するということは、

ざっくり言うと全国民が年間一回は乗車する勘定となります。

そして当初、東京・新大阪間の所要時間は4時間かかったそうですが、

現在は2時間半ほどに短縮され、更なる重要なインフラになりました。

 

私なぞは飛行機が苦手な口ですので、

北海道や鹿児島にも行くにも新幹線がなくてはならない交通機関です。

 

さて、今日は60年近く前の新幹線開通直後の話を少々。

 

当時、私は岐阜羽島駅の近くに住んでいました。

ある日突然、広大なる荒蕪の地に岐阜羽島駅がポツンと建設されたのですが、

同時に駅前にはどデカい銅像(大野伴睦夫妻)も現れるなど、

年少者の私ですらあまりの異空間ぶりに大層驚かされました。

 

小学校から岐阜羽島駅まで直線にして500メートル少々。

その間に遮るものなど何一つなく、

否が応でも岐阜羽島駅を目にする日常でした。

 

新幹線の岐阜羽島駅開業にともなってでしょう、

ある日、学校の写生大会が岐阜羽島駅へ行われることになり、

学級全員で岐阜羽島駅に足を運び絵筆を走らせることになりました。

 

勿論、私も駅前に座り込んで描いていたわけですが、

なんと私が描いたものがトントン拍子に審査を駆け上がり、

寸毫も思って居なかった岐阜県内で銀賞を受賞することに。

 

さらに、その描いた絵が今度は東海地区でも上位にランクされて、

ついにNHK名古屋放送局での授賞式に出席することに。

 

当日、担任の先生の車に乗せてもらい岐阜から名古屋へ向かいましたが、

その時に先生が私に言ったことは、

「名古屋には道幅100mの道路があるから驚かないように」でした。

 

小学校に入りたての田舎の少年に対する先生の配慮だったのでしょう。

今考えれば何とも微笑ましい話で、お笑い種かもしれません。

 

東海道新幹線開業60周年のニュースに接し、

そのようなことを思い出した次第です。

むしろ「他山の石」に

前職の広告代理店時代、

媒体などに掲載する広告内容に関するチェックには気を遣いました。

間違った内容は言うに及ばず、誤解されやすい表現なども含め、

掲載するに際して集中力を持って校正をするのが常でした。

 

それでも細かなミスなどを含めれば撲滅とまでは至らず、

ミスのたびに胸を撫で下ろすこともあったように感じています。

 

校正ミスで個人的に忘れられないのが、

国内最大規模のヘッジファンドの金融商品の利回りの誤表記。

新聞掲載で「利付金融債」と「割引金融債」の利回りを反対に表記。

20代の頃の私の大チョンボで苦い思い出です。

 

今でこそ平常心でこのことを書けますが、

クライアントから誤表記の旨の非情な通告がなされたときは、

さすがに顔面蒼白となったことを思い出します。

 

何故にこのような話をしたのかと言いますと、

今朝から先月発売された中央公論社の新書を読み始めたところ、

冊子の中に一枚のお詫びと訂正が挟み込まれていることに気づきました。

 

その内容は、「著作者の誤表記」についてとあり、

それに従って確認すると違う漢字が当てられていました。

 

決してそれをあげつらうわけではないのですが、

こんなことが起こり得るのだろうかと訝しむと同時に、

出版社の担当者はさぞかし肝を冷やしているのだろうと案じました。

 

これは決して「対岸の火事」ではなく、

むしろ「他山の石」の気持ちを持たなくてはならないと、

自分自身に置き換えて考えさせられた次第です。

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