龍馬と夢紀行

歴史が好きだから、歴史の仕事を手探りで始めてみた。


発端は、ただそれだけ。


でも不思議なもので、そんな瞬間から「趣味」が「仕事」になりました。

1

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

岐阜関ケ原古戦場記念館オープン

天下分け目の戦いとして有名な関ケ原の戦いから420年。

昨日、「岐阜関ケ原古戦場記念館」がオープンしました。

記念式典では古田肇知事をはじめ、

館長の歴史学者・小和田哲男(静岡大学名誉教授)、

さらにアンバサダーに就任した女優の竹下景子さんらが、

テープカットをして記念館の開館を祝いました。

そしてエントランスには、

高山市出身の世界的な左官職人・挾土秀平さんによる土壁が披露。

 

この華々しい式典とお披露目の模様を、

今朝の東海地区のテレビや新聞が大々的に報道していました。

 

今回の施設の目玉となるシアターは、

映像にあわせるようにして風や振動が加わる演出がなされ、

あたかも関ケ原の戦いに参戦する疑似体験ができるとのこと。

 

さらに記念館の二階には、

甲冑や刀、火縄銃などの武具のほか、

「関ケ原合戦図屏風」など100点ほどの史料が展示。

 

まさに事前の触れ込み通り、

〝関ケ原の戦いの歴史を体感しながら学べる〟施設のようだ。

 

そして弊社の監修者でもある小和田哲男館長によれば、

「関ケ原の戦いは多くの人が知っているが、

 実際にどこなのかは知られていない。

 記念館を訪ねてくれる人が増えれば、

 そこに記念館が建てられた一つの大きな価値がある」と語られています。

 

そんなニュースをメディアで拝見しながら、

会社に出勤してから小和田哲男館長方に、

今回の館長就任のお祝いを兼ねてメールをお送りしました。

 

近々、この記念館でご挨拶できる運びになると思います。

今日は旧暦の9月15日

今日10月21日は、旧暦の9月15日。

戦国ファンなら誰もが知る関ケ原の戦い本戦当日。

 

またついでながらもう少し深掘りすると、

旧暦の9月15日の戦国時代の出来事といえば、

天正7年(1579)に家康の嫡男・松平信康が、

不行状などにより自刃させられた日でもあります。

 

さらに家康絡みでいえば、

徳川十六神将のひとりに数えられる大久保忠世も

文禄3年(1594)のこの日に死去しています。

 

さて、以前から色々と書いてきましたが、

旧暦の関ケ原の戦いの今日に合わせた420年後の本日、

待望の「岐阜関ケ原古戦場記念館」がオープンしました。

今朝、私の顔見知りの方々が地元テレビに登場。

弊社にとっても〝いよいよ〟という感じで、

必然的に大きな期待感が私の中で醸成されました。

 

実質、オープン後は私以外のスタッフが実務担当し、

私は記念館での販売数字の推移を見守りますが、

今後の関ケ原への興味喚起、さらに理解深度までもが、

これまで以上に促進できることを願って止みません。

 

この記念館の開館にあたっては、

新型コロナウィルス感染症拡大防止対策として、

当面の間は入館者数や入館方法に制限されますが、

関ケ原とその戦いが〝一望〟できる仕組みがあります。

是非ともお楽しみいただければと思っています。

 

近々、私も伺ってくる予定にしています。

季節を運んでいたもの

今日、久しぶりに社内で広告の話をしました。

 

それがどんな話かというと、

最近のテレビやら平面広告などに感じることは、

広告を通じて季節感を感じることが少なくなったこと。

 

それこそひと昔、いやふた昔前の広告は、

〝季節を運んでくる〟という役割も担っていました。

 

春の訪れ前には、化粧品各社がテレビCMで競い、

夏前には、航空会社がキャンペーンを展開し、

年末前になると年賀状類の広告が世間を席巻という具合。

 

嫌が応にもそれらの広告に接すると、

自然と「もうそんな時期になったのか」と条件反射するのですが、

今ではそう感じさせるような広告が少なくなり、

さらにこのところの広告には漲る元気が感じられません。

 

16年ほど前の起業したての頃は、

糊口をしのぐ一つの手段として広告業務をしていましたが、

新規事業として〝歴史〟に活路を見出した瞬間に、

広告から距離を置き現在に至り、

当事者から傍観者に立場を変えて眺める広告となりました。

 

年々、クライアントニーズの多様化で広がり、

「みんなが見るだろうと想定して作る広告」だけでは対応できず、

それがそのまま広告パワーの分散化になっているのでは。

 

このコロナ禍に関わらず、

日本の広告業が衰退するのは時間の問題だと囁かれる昨今、

本当の底力を発揮してほしいと思っているのです。

人盛んにして神祟らず

今日は弊社の幕末商品の監修をお願いしている

木村幸比古氏の中日文化センターにおける講座の日。

 

講座の終了時間に合わせるように会場に伺い、

二ヶ月ぶりに二人で昼食を共にする。

今回は名古屋めしの代表格〝ひつまぶし〟を賞味。

木村幸比古氏は、

先月末をもって50年間半世紀にわたり勤務され、

京都・霊山歴史館の副館長としての役目も終えられ、

現在は同館の学術アドバイザーに就任されました。

 

ある意味、一区切りをつけられたわけですが、

それでも相変わらず引く手数多らしく、

今後も引き続き幕末の舞台でのご活躍を拝見できそう。

 

さて昼食をしながら四方山話をさせてもらったのですが、

木村幸比古氏の所蔵品に関する興味深い話を聞きました。

 

なんでも高杉晋作が京都の某所に通っていたときに、

拝んでいたとされる厨子(ずし)を所蔵されているとのこと。

厨子とは仏像・仏舎利などを中に安置する仏具の一種。

 

それにしても〝人盛んにして神祟らず〟とか、

〝仏力も強力に勝たず〟のような高杉晋作が、

神仏を拝んでいたとは意外や意外。とても面白い。

 

値段など下世話なことは聞けませんでしたが、

今後は自社商品の図版として使用させてもらいたい、

そんな気持ちが自然と湧いてくる感じがしたのです。

 

今年は戦国モノに傾注していただけに、

今日のような愉快な話を聞かせてもらうと、

久しぶりに幕末系モノを手がけてみたいと思うのでした。

通勤のベストルート

気候も良くなりましたので、

日々のウォーキングに精を出しやすくなりました。

 

夏場は強い日差しを避けるようにして、

名古屋駅前の地下街を端から端までを有効活用。

そうして会社まで普段なら20分くらいのところを、

50分ほどかけてウォーキング通勤していました。

 

既述のように気候が良くなりましたので、

夏場とは異なり地上に出て遠回りしながら会社へ。

 

今週も名古屋駅前から円頓寺商店街を抜け、

慶長年間の「清洲越し」で清洲の五条川にかかった

木造の橋をそのまま名古屋に移築した五条橋を渡ります。

 

もちろん当時の橋は現存しておらず、

昭和初期に木造の橋に似せた意匠で架け替えられていますが、

御影石の親柱、高欄、擬宝珠などが落ち着いたイメージを醸成。

古に思いを馳せることができるから、

どことなしにこの佇まいが心地よいものになります。

とにかくここ1年というものは、

通勤ルートとして名古屋の中心部を隈なく闊歩。

その中でも「名古屋駅前、円頓寺、五条橋」はベストルート。

 

来週もまたこのルートを進んで会社に向かうことになると思います。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>