戦国の監修者との会食
今日は弊社の戦国系の監修者が名古屋に来られましたので、このタイミングを利用させてらい昼の会食をセッティングしました。
どこに行こうかと少し悩んだのですが、久しぶりに天ぷら専門店に足を向けることにしました。
今日お連れしたのは、大正時代の創業ということで、ゆうに100年以上も続いている老舗の天ぷら専門店です。
今日はちょっと無理をいって、奥まった6人用の個室を貸切で利用させてもらいました。
モダンで落ち着きのある店内の雰囲気の中で、美味しい天ぷらに舌鼓を打ちながら歓談。
勿論、現状の歴史商品をはじめとする仕事絡みの打ち合わせが主体でしたが、今日は今後の新たなるビジネス展開などについても忌憚なく考えを述べさせてもらい、それに対する協力のお願いもさせてもらいました。
そして、仕事の話がひと段落すると、歴史について深掘りしたいことなど諷意をこめてぶつけることに。
専門家から鋭く新たな蘊蓄や見識が示されることで、自分自身にとって刮目に値することなどが得られるからとても有意義。
ついつい仕事を忘れて一歴史ファンとして楽しんでいるようでした。
さて、既述のように今年に入って新たな展開を模索し、ようやく形づけられるようになってきました。
そして監修者からの協力も取り付けたことで、これからどのように動かしていくかという段階に差し掛かります。
どちらに転ぶか、まだわかりませんが、とりあえずチャレンジしてみようと思っています。
厭世観が強くなってきている
先週末のアメリカ・イランの和平協議が合意に至らなかったことを受け、中東情勢の不確実性がますます深まっています。
当初はアメリカ・イラン戦争を対岸の火事のように眺めていましたが、日を追うごとに色々な状況に於いて変化が見られるようになってきました。
そして、いつしかその状況の変化が仕事の弊害となってきて苦慮している今日この頃です。
今日のニュースでも、中東の混乱でナフサなどの供給が滞っている現状を踏まえて、TOTOがユニットバスとシステムバスの新規受注を停止したとの報道がなされていました。
弊社もアライアンス企業からOPP袋の不足が物事の嚆矢となり、ついで合成ノリの不足が続き、昨日はトランプの梱包プラスチックケースが品不足との連絡もあり、今日は今日でクリアファイルの原材料が入りにくくなってきたとの一報が寄せられました。
仔細なことでも積み重なってくると支障をきたすことになるなど、原油由来の製品が軒並み大変なことになってきています。
この状態があと2ヶ月も続けば、商品を作ることすらできなくなってしまうのではないかという火急を要する事態になりかねません。
どうすることもできないジレンマに陥っていて、何とも消化しにくい感じ。
今週に入ってからゴールデンウィークに向け全国の施設から歴史商品の注文が多く寄せられていますが、自社のバックヤードを概観すると悲観的な要素が多すぎることで、喜びも半減してきています。
現状、トランプ氏の一つ一つの発言を耳にするたびに、厭世観が増してきている状態。
果たして戦闘終結に向けた落としどころはあるのだろうか。
弊社にとっても切実な問題を孕んできているように思えます。
興味喚起された記事
今晩放送されたNHK「鶴瓶の家族に乾杯」は、大河ドラマ「豊臣兄弟!」で小一郎(豊臣秀長)の幼なじみ・直役で注目を集めた白石聖さんがゲスト出演。
名古屋市中村区の常泉寺にある「秀吉産湯の井戸」から番組がスタートしました。
さて、そんな秀吉の出生地に関する新説が昨日の地元紙の地方版に取り上げられました。
これまで秀吉の誕生地は名古屋市中村区(中村説)が通説として定着してきましたが、今回新たに愛知県北部に位置する江南市の「飛保村雲(ひぼむらくも)説」が新たに登場と相成りました。
〝中村説〟に関しては江戸時代に書かれた『太閤素生記』が元になっていますが、かたや〝飛保村雲説〟の方は大村由己が著した『関白任官記』が根拠です。
昨年出版された『図説 豊臣秀長』の著者である奈良大学教授によれば、『太閤素生記』に記されているのは「尾張国〝飛保村雲〟」と解釈ができ、「『飛保』と『村久野』を意味しているのであれば、尾張国葉栗郡となる」と説明がなされています。
そして、江南市には「前飛保」「後飛保」「村久野」の町名があることから、ある種の説得力を伴いますが、『関白任官記』自体が荒唐無稽な表記などもあることから秀吉の出生地に関しても注目されてこなかたというのです。
確かに、『関白任官記』には秀吉の先祖が天皇家に仕えていたような表記がされるなど、どこか眉唾物が多いのです。
続けて新聞記事によれば、昨年の秋に磯田道史氏が〝飛保村雲説〟について「出生地まで当てずっぽうに示すだろうか」「出生の候補地として、江南市村久野は検討に値するのではないか」と文芸春秋で肯定的に捉えているそうです。
さらに地元の歴史民俗資料館や区長の話によれば、「伝承のようなものを聞いたことがない」としつつも、関係性を否定する要素もなく、微妙な対応を迫られている感じ。
今後も、これといった手がかりが出てくることを期待しても、確証を得る資料などの新発見は現実的にかなり厳しいと思われます。
それはそれとして、個人的に興味喚起された記事でした。
みなさんは、どのように思われますか。
一冊の愛読書について
ネットニュースの記事だったように記憶していますが、過日に今な亡き京セラの創業者・稲盛和夫氏の愛読書について書かれていたものを目にしました。
鹿児島生まれということで、郷土の英雄である西郷隆盛を崇拝されていたことは承知していました。
ゆえに『西郷南洲翁遺訓(さいごうなんしゅうおういくん)』を読了されているとは自然な流れとして認識を持っていましたが、それがご本人の愛読書であることは露知らず。
私が思っていた以上に西郷隆盛に対して思慕の情を寄せられていたようです。
ご存知ない方のために敢えて叙述すると、『西郷南洲翁遺訓』は「敬天愛人(天を敬い人を愛する)」を実践し信念を貫いた西郷の言葉を集めて編纂された遺訓となりますが、意外にもこれを西郷の死後に取りまとめたのは、戊辰戦争で幕府方に与し薩摩と一戦を交えた敵方となった庄内藩士らの手によるもの。
本来であるなら、憎き敵将の西郷となるはずなのでしょうが、豈図らんやそんな西郷を讃えているのです。
それは、敵味方の関係性を乗り越え、経験や知識をもとに卓越したメンターとしての西郷の評価以外の何者でもない感じ。
稲盛氏が『南洲翁遺訓』と出会ったのは30代半ばの頃だそうで、以降は前述のようにご本人の愛読書として繰り返し何度も読まれていたようです。
それこそ文字通り一冊の『南洲翁遺訓』を座右に置き、事あるごとに本書を紐解いては反芻されることを一途に貫かれたとのことが記されていました。
おそらく西郷の高潔な思想というものが、人跡未踏のような領域と解釈されていたのでしょう。
その『南洲翁遺訓』の一説には、「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し」とある。
やはり西郷は、同時代における偉人の中でも一頭地抜けた存在であったようです。
新たな歴史検定が開催されます
先週、「戦国歴史検定 ~秀吉編~」の報道発表がなされました。
これは歴史検定及び資格試験や「文具女子博」を開催する日販グループ会社が手掛ける検定となります。
これまでも歴史絡みの検定だけでも、龍馬検定、家康検定、新選組検定などこれまで数々の実績を積んできています。
最初の歴史検定となった「龍馬検定」に際し、弊社もオフィシャル・サプライヤーとなり微力ながら協力をさせてもらいました。
ちょうど福山龍馬の年でしたので、ものすごい反響があったことを記憶しています。
そんな関係性もあり、過日に当該会社の社長が東京から来社されました。
今回の「戦国歴史検定 ~秀吉編~」についての打ち合わせの中で、これまでとは異なる形で協力をさせてもらうことになりました。
具体的な関わり方はこれから双方で詰めていくことになりますが、まずは来週再び東京から先方の社長が来社されますので、その折に諸事についての提示などがなされると思います。
先般の打ち合わせでは、「大河ドラマ(主人公)=検定」に対する社会的な使命感のようなものを披露されていましたが、その考え方に私も同調しながら話を伺っていました。
ちなみに「戦国歴史検定 ~秀吉編~」の開催日は、今秋の開催を予定していて、オンライン受験(実会場での開催も検討中)とのこと。
これに準ずる形で、いつものように公式テキストブック(ぴあ刊、監修:黒田基樹氏)が今年の6月頃に出版予定となっています。
詳しいことが分かり次第、またブログにアップします。

