戦国武将の〝十八番〟 | 龍馬と夢紀行

戦国武将の〝十八番〟

戦国武将には〝十八番(おはこ)〟のような戦術がありました。

 

よく知られているところでは、

島津家の必勝戦術で「釣り野伏せ(つりのぶせ)があります。

 

敵陣に突入した先攻部隊を意図的に退却させることで、

それにより誘導されて追ってきた敵軍を、

あらかじめ茂みの中に隠れていた多くの伏兵が側面から不意打ちする戦法。

 

そして、古くは北条早雲が用いた火牛の計(かぎゅうのけい)。

牛の角に松明(たいまつ)をつけて敵中に突撃させる戦法で、

元は中国の春秋時代の斉(せい)の武将が発案した戦法とされ、

木曽義仲が倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いでも用いました。

 

さらに武田信玄が用いた啄木鳥の戦法(きつつきのせんぽう)。

軍師・山本勘助献策によるものとされますが、

啄木鳥が木をつつき驚いて飛び出てきた虫をとらえるように、

別働隊を進軍させるなどして敵陣の背後から攻めさせ、

敵軍が追い出されてきたところを前後から挟み討ちするという戦術。

 

これに対して上杉謙信は、車懸りの陣(くるまがかりのじん)で応戦。

円形の陣形が水車のように回転しながら、

次から次へと新たな隊が突撃するという波状攻撃を行う戦術。

部隊が入れ替わることで、力を蓄えた新しい部隊の突撃力が増すという按配。

 

加えて、秀吉が得意とした干殺し戦法(ひころしせんぽう)。

説明するまでもなく、補給経路を断ち飢えさせて餓死させる戦術。

武力を無駄に使わないことで、

自軍の戦力も減らさずにすむことが大きなメリットになります。

また、秀吉には水攻め戦法なるものもありました。

 

最後は、伊達政宗の騎馬鉄砲隊(きばてっぽうたい)。

武田の騎馬隊と信長の三段打ちをセットにしたような戦術で、

機動力に優れた騎馬隊に、最新の兵器だった鉄砲を組み合わせた戦法。

これも名馬の産地の奥州を領地としていた伊達政宗ゆえの集団戦法でした。

 

来年の戦国手帳で紹介させてもらっています。