前に記したブログのように、私はとてつもない腰痛に苦しんでます。
個人情報なので少しボカして書きますが、
私が鬱病になったのは約20年前。
精神科を受診したのもその年でしたが、
当時正社員で働いていた会社をクビ(実質は退職理由を自己都合にしてくれと社長に言われた)になりました。
その会社はある工場で、1年間のアルバイト期間を経て正社員に採用され、社員2年目で数ある工場のひとつの工場の責任者を任されるまでになりました。
アルバイトの時は時給で働いていて、あまり残業は無かったのですが、正社員になったとたんに残業手当て無しで働いてました。
そして工場責任者になった時は、給料明細に[主任手当]が数千円、月給に付いただけでした。
無茶な残業続きと、仕事の多さで、遂に朝起きれなくなり、遅刻や欠勤が続いた為に、社長から会社を自己都合で辞めてくれと捨てられたのと同然でした。
初の鬱病に関してあまり知識が無くて、少し治療して、また働けるように頑張って仕事を探しました。
ある時は引越しをしてまで職場を探してアルバイトに就きました。
精神科の通院を続けながら。
しかし、数ヶ月で鬱病が悪化して少し治療に時間を充て、当時若かった勢いもあり、次のアルバイトに就いて、ダウンしてを繰り返してました。
そして、ある会社へ正社員で採用されて働きましたが、そこでもダウンして、一度静養目的で実家へ帰りました。
そこで1年間過ごしましたが、当時鬱病になっていた父親とソリが合わず、治療に専念出来なかったので、札幌で縁のあった方へ電話して、仕事の口がないか尋ねたところ、私の過去のそこでの仕事ぶりを評価してくれて、再び札幌で過ごす事になりました。
コンビニなので雇用形態はアルバイト以上にはならない職場でしたが、現在の店舗から街中へ移転する準備段階で、数ヶ月後にはこのコンビニを一度畳むとの事でした。
確かに、そんなに密集した住宅街でもないし、以前私がそこで働いていた時よりもライバル店舗が増えていました。
そして新しいお店へ移転オープンしました。
私は、夜中のシフトの体制を整えるようにオーナーと一緒の時間に働きました。
前回のお店の時も、実はオープンして2ヶ月しか経ってない状況で、シフトの体制があって無いような感じでした。
そこで先輩2人が辞めてから、私が率先して夜のシフトを作り上げた実績がありました。
だから、今回の移転オープン準備でのタイミングの私の話を快く受け止めてくれたと思います。
そしてオープンから約2ヶ月経った辺りで、夜のシフトからオーナーが抜けて、オーナーは早朝の精算時間へシフトしました。
その頃、周りにあまりライバル店舗が無かったので、コンビニの手軽さもあり、お客さんが大賑わい。
夜の街なので、昼より夜が忙しい特徴でした。
ヒマだった前のお店と同じく、夜中2人体制でしたが、あまりにも忙しくてオーナーに3人体制をお願いを何度もしたのですが、ことごとく断られました。
私の出番の時はその時間帯の責任者なので、相方のアルバイト君にはしっかり休憩をとらせましたが、私は休憩をもらう振りして、追いついてない仕事を埋めてました。
なぜ、そうしたかと言うと、仕事をこなせてなかったら早朝に来るオーナーに怒られるからです。
以前のお店にいた時とオーナーの性格が変わってしまったというか、この街中の所属するコンビニ企業で売り上げ金額が札幌市内で上位にランクインするようになってから、そっちの記録ばかり気にするようになり、自分と考えと合わないバイトの人にわざと出番を少なくして、収入を減らしバイトの人から「収入が少ないから辞めます」と言わせるようにしていました。
逆に私の出番は多くなり、どんどん忙しくなっていきました。
コンビニって、過去に体験した工場より体力は使いませんが、地味に飲料が重かったり、商品の棚に向かう時に中腰になったり、雑誌が入荷した時は業者が床にどんどん商品を置いてくので、立ったりしゃがんだりがとても多くなります。
相変わらず2人体制のままで、ろくに休憩出来ない働き方を続けてました。
それが災いとなり、半年で30kgも体重を落としてしまい、体脂肪率5%というプロボクサー並みに痩せてしまい、遅刻を数回した後に腰に激痛が走り、動けなくなりました。
病院へ行って検査してもらったら、椎間板ヘルニアが2カ所ある事が判明しました。
(何番目と何番目の骨かは記憶してません)
実は椎間板ヘルニアになったのはこの時で2度目でした。
前回もオーナーのお店のコンビニで働いてる時に椎間板ヘルニアを発症したのが初めてでした。
(その時は飛び出たのは1カ所)
その1回目の時は若さゆえか、2週間ほどで職場に復帰しました。(でも痛さはあったので体勢には気を付けるようにしてました)
そして、整形外科で椎間板ヘルニアの証拠として診断書をもらって、お休みをもらおうとオーナーに診断書を渡したら『こんなモン持って来なくていい!』と突き返されました。
オーナーからそんな態度をされた事にショックを受けましたが、とにかく働けない状況になってしまったし、ハードな仕事の積み重ねだったので、労災申請しようと、再び整形外科で労災用の診断書を書いてもらおうとしたら、医師から『半年で30kg減ったというデータは無いし、この椎間板ヘルニアが全て仕事のせいとは言い切れないので、労災用の診断書は私には書けない。』と言われ、断られました。
私はとても戸惑ってしまい、労働基準監督署へ直接行き、こう言う事で困ってるのですが、と相談しに行ったのですが、そこでも労働基準監督署の受付対応をしてくれた人に『運送ドライバーやタクシードライバーとかで腰痛はよく聞くけど、コンビニで腰痛になった話は聞いた事が無い。』と笑われながら一蹴されました。
結局、どこも取り合ってくれませんでした。
そして、唯一出来たのは【傷病手当】でした。
私は、腰の完治を目指してしばらくコンビニの仕事はお休みしましたが、整形外科のリハビリへ通ってましたが、予約制なのになぜか順番待ちが酷い長くて、1時間以上待ってリハビリの内容は、全身ローラーに乗ったり腰を牽引する機械に乗るだけで、30分位で終了します。
今考えると本末転倒な事させられていたなと思ってますが、当時は本格的な椎間板ヘルニアのリハビリは初めての体験だったので、リハビリはこういうモノかと思ってました。
当然、回復する事が無く、逆に腰の痛さと両足の痺れが酷くて、ブロック注射を月1回位、受けてました。
3ヶ月ほど経っても治る傾向が無く、それまでお仕事をお休みしていたコンビニを辞める事にしました。
そして、お金も無いので治る見込みの無い整形外科のリハビリ通院もやめました。
慢性的な腰痛は全く治る事もなく、この2回目の椎間板ヘルニアによって、整形外科で通院してた頃から慢性的な肩コリも併発していました。
その頃、プライベートでオーナーに会った時に挨拶したら『いやいや、君が抜けてから腰痛で休む人が続出して参ったよ。』と言われました。
私は心の中で、まあ当然だな、そういう所全部自分がカバーしてたし、と思いましたが言いませんでした。
そして傷病手当も永遠に支給されるモノではないので、当時付き合っていた1人暮らしの彼女と一緒に、2人で住める所へ引越しする事になりました。
本当は、仕事で一人前になってから、ゆくゆくは一緒に住もうと考えていたのですが、意外な事に彼女の父親の方から、別に一緒に住みたければ住めば良い、と言われて、私も彼女もビックリした記憶があります。
そして、引越し業者を使わずに、お互いにあまり遠くない所へ引越しをして、現在の彼女と一緒に新たな生活を送る事になりました。