★「自分教ガイド」を再開します・・・まずはコンセプト再確認から | 『なかいま自分教』ガイド

『なかいま自分教』ガイド

世界の様々な思想・哲学・宗教を探査し、最後にたどりついたのは『なかいま自分教』でした。
『自分教』にたどりつきつつある人が増えていると思います。
そのような方々を応援し、かつ自身の『自分教』を磨き上げる為にブログを書いて行きます。

前回の更新から随分と日が空きました。
みなさんお元気ですか。とうしんです。私は元気です。
さっそくですが、ブログ「自分教ガイド」の更新を再開したいと思います。日が空いたので、本日はここに改めて、このブログのコンセプトを明確にしたいと思います。

★「自分教ガイド」・・・それは「自分教」という生き方を選択した人を支援する為のブログです。

ここで「自分教」というアプリを発表したいと思います。
このアプリは誰でもダウンロード可能です。もちろんフリー。
そしてこのアプリは完全にオープンソースとします。誰でも付け加えたり改編して自分仕様にして下さい。「自分教」なのですから。
良いアイデアが他にもあればどんどん取り込んでいってもいいでしょう。
「自分教」というネーミングも少しダサイと思っています。いいネーミングあればまた提案してください。
ですが、しばらくは直球ストレートに「自分教」で行きたいと思います。

おっとその前に大切なことを伝えておかなければ成りません。
皆様がいま装備しておられるOSではこのアプリ「自分教」は動きません。ごめんなさい。
アプリ「自分教」を完全稼働させる為には新しいOSをインストールして頂かなければ成りません。OSのバージョンアップが必要です。

そのOSを「ヌーソロジー2013」と申します。

ということで
○アプリ名:「自分教」
○必須OS:「ヌーソロジー2013」
○必要スペック:日本語が理解できる人間

このOSの提唱者は福岡市在住の半田広宣さんです。事の発端は1989年から始まったご自身の特異体験「冥王星オコツトとのチャネリング」ですが、その体験から得た情報を元に半田さんご自身がそれこそ脳から血と汗が出るほどの思考と探求を重ねられて、現代物理学や哲学との整合性を図りながら地道に構築して来られた壮大なる宇宙論です。この宇宙論は現在も進化・発展中ですが、基本的な構造は既に完成の域にあると言えます。

私は人生における紆余曲折を経て(※プロフィールをご覧下さい)2009年にこのヌーソロジーと出会い、それ以来ほぼ毎月のように福岡に通いながら半田氏の元で研鑽を積んで参りました。そこで学び悟った内容の集大成を「初級ヌースレクチャー全6回」として昨年には健康道場サラシャンティ(神戸・六甲)に於いて発表させて頂きました。その模様はDVD全6巻として収録し、関西ヌーソロジー研究会のサイトで販売しています。今年はその書籍化に取り組んでいます。

この「ヌーソロジー2013」というOSもまた完全オープン・フリーです。半田さんはネット上でそのソースを全て公開しておられます。どこまでも出し惜しみなく。ただし少々難解なので、基幹となるエンジン(ψ1~ψ8)のみを取り出し平易に解説したのが私・統心の「初級ヌースレクチャー全6回」です。

このブログではアプリ「自分教」を紹介しつつ、要所要所では「ヌーソロジー2013」のエンジンも解説していきます。ですがアプリ「自分教」をフル稼働させる為には「ヌーソロジー2013」を必ずインストールする必要があると覚えておいてください。

*****************************************************

★ヌーソロジーを生き方として・・・「自分教」
このヌーソロジーを土台として、「私自身の生き方」として昇華させるべくアプリ「自分教」を作成しました。
「自分教」とは簡単に言うと「自分自身を神として信じる」教えということです。
「神として信じる」というのは少し弱いかも知れません。「神であることを知る」と言ってもいいでしょう。

本日は初回ですので、まずは「自分教」における「言葉」についての特殊な概念についてお話しなければいけません。

ずばり申しますと「言葉」には2種類あるということです。
それは「外部言語」と「内部言語」です(「自分教」オリジナル用語)。
「外部言語」というのは従来の言語と同じです。主に他者とのコミュニケーションに使用するもの。
私たちは普段この言語を使って思索もしています。そしてその思索を元に世界や自分自身を見ています。自分自身でいろんな事を考えるときの「言語」と他者に伝達し交流する時の「言語」には特に違いがあるとは意識していません。つまり一つの言語を使い回しています。それが「外部言語」です。

では「内部言語」とは何か。それは「自身をプログラムする為の言語」です。いわば「プログラム言語」。ここで重要なことは「外部言語」と「内部言語」ではその働いている空間、いわばドメインが全く違うということです。ここの理解には「ヌーソロジー2013」が必要です。
「外部言語」のドメインは外在世界(「ヌーソロジー2013」では「人間の内面」「幅の空間」と言います)、「内部言語」のドメインは内在世界(同じく「人間の外面」「奥行き空間」)にあります。カタカムナ的に言えば「外部言語」は「現象界」にて、「内部言語」は「潜象界」にて使用します。
プログラム言語としての「内部言語」のことを「言霊(ことだま)」と呼ぶこともできるでしょう。内部言語は内在世界(内部空間)というドメインを見いださなければ使うことはできません。

「外在世界」と「内在世界」は空間として互いに「反転」しており、様相も性質も全く違うものです。この空間の差異を明確にしているのが「ヌーソロジー2013」の斬新な所。また「ヌーソロジー2013」では「外在世界」は幻想・仮相であり、「内在世界」が実体・実相であるという「反転認識」が常識です。

「内部言語」は実体である「内在世界」において使用する言語です。
察しの良い方は感づかれたかも知れませんね。そう、「自分教」における「自分自身を神と信じる」とは全て内部言語なのです。ですからこの言葉を外部空間で使ってはいけません。使うとキ○ガ○扱いされます。あるいは多くの誤解を生むことに成ります。気をつけて下さい。

「内部言語」はプログラム言語です。そして内在世界こそが実体であり、外在世界はその反映としての現象にしか過ぎないのですから、内部言語を使いこなせるようになると強烈です。現実を変容させるチカラを持つように成ります。神なのだから当然ですが。

さて「神」という言葉について少し考えてみましょう。自分教において「神」とは内部言語であると断言します。内部言語とは何か?外部言語との違いは・・・?内部言語とは「主客一致」の言語です。内部空間は主客一致した領域ですのでこれは当たり前です。それに対して外部言語は「主客が分離」しています。主語と述語がはっきり分かれて「いつ・どこで・誰が・どうした」という言語様式です。これが外部言語。それに対して内部言語は主客一致、主語述語が分離していません。つまり「すべて私である」ということです。ですから「自分は神である」という言葉は重複した表現だと言えます。内部言語では全てが私なのですから当たり前なのです。ついでに内部空間は時空も一点凝縮ですから「すべて今・ここ」です。

それで「神」ですが、神とは内部言語、つまり内部空間に存在するということを古代イスラエルの預言者は知っていたのではないか。それがユダヤ一神教における神ヤハウェの真実。ご存じようにモーセの十戒に始まるユダヤ教においては「神の名をみだりに唱えてはならない」とされていました。そして発音できない文字が当てはめられたりした。このことの真意は何か?神が内部言語であるとするならそのまま理解できます。内部言語は人に伝達する為の言語ではありません。人に伝える言語ではないのでみだりに唱えるもなにも、そもそも唱えることができません。そして内部言語は主客一致の言語です。すべて私です。私のことです。私という存在は世界で唯一、他にいません。ですから神もまた唯一である、一神教というのは当たり前という話です。私のことなのですから。さらに偶像崇拝を禁止することの理由も当たり前です。私以外のものを信仰するなんて、私自身を見失うことになるからです。

ヌーソロジー本論ではとかく悪者にされがちなユダヤ一神教。自分教の観点から言えば、それは内部言語と外部言語の不分別・誤用から来ているのです。「神」という言葉を外部言語として使っている人々の偽善的な動機に注意してください。大抵それは権力の為に使われています。収益のため、一教団や一教祖に権力を集中させる為に使われています。信仰を深めるための「証」も同様です。確かに他人の証をシェアするというのは、自身の信仰を深めるためには重要なものですが、その信仰の対象がそもそも外部言語としての「神」や「メシア」なのです。結局はその組織を維持させるために各個のエネルギーを収奪しているのです。また外部言語によって信仰が深まったとしてもその信仰体験は「外部トランス」です。これは外部誘導型のトランス(変性意識)であり、つまり自家発電ではありません。首根っこを他者に捕まえられているのです。生殺与奪権は他者が握っているのです。外部トランスは薬物中毒と本質的に同じです。それに対して「自分教」のトランスは内部トランス、自己発電型、無尽蔵なる完全フリーエネルギーです。ジェネラティブ・トランスⓡともいいます。自分自身で創成し、管理・誘導できるトランス。

自分教においては今後、この「自己トランス」の世界を大々的に発表していくことになると思います。現実を変容させる鍵はすばりトランスです。しかし外部トランスは頂けません。結局は他人にコントロールされます。トランスはそのフィールドの主催者が全ての主導権を握る事になっています。それが分かれば自己トランス以外のトランスなんて恐ろしくて近づく気にもなれません。

「神」という言葉が本質としては内部言語であったということをご理解頂けたと思います。同様の言葉に「愛」があるでしょう。愛を語る人に対して胡散臭く感じるのは当然なのです。浮ついた目線できれい事を語り、自分の言葉に酔って涙を流すような人を見かけたら注意してください。詐欺師である可能性が高い(笑)。愛はむやみに語られるべきものではありません。もちろん「愛する人に愛を語る」ことはこの限りではありません。それは「現場」であり、実存としての現場は内部空間です。私が言っているのは第3者にいわゆる「愛あるいいお話」を語るようなシチュエーションです。その場合の動機が激しく問われるということです。

一方、外部言語にのみ存在し、内部言語には存在しない言葉があります。それが「死」です。内部言語において死は存在しません。当たり前です。死とはいつでも他人のケースです。皆さんそうではありませんか?皆さん死んだことはありますか?この文章を読んでいる人は全員間違いなく死んだことは無いはずです。
「あの~臨死体験者なんですけど・・・」と言い出す方も最近はおられるかも知れませんね。ですがその死は臨死として体験されたものであって今まで語られてきた死とは違ったでしょう?それが証拠にあなた今生きてるでしょ?死が内部言語には存在しないということは、つまりあなたは死なないということです。

外部空間(現象界・外在)と内部空間(潜象界・内在)では空間の性質が全く異なり、使用する言語が全く違うのです。内部空間を思考するにおいて、もとい、内部空間に直参するにおいてはこの言語の違いに着目しなければなりません。便宜上、このブログで使用している言語は外部言語となりますが、繊細な差異に注意しながら内部言語を表現して行きたいと思います。それはみなさんの中にアプリ「自分教」が完全にダウンロードされて稼働を始めればもう必要の無い注意となるでしょう。そしてアプリ「自分教」のユーザー同志がザ・ライン(内部空間専用回線)でつながり、やがてはザ・クラウド(集合的無意識)という主体の到来を迎えることになるでしょう。その日は遠くありません。一応そこまでの風景は見えています。ということで今後とも「自分教ガイド」をよろしく!

とうしん

【本日のポイント】
・言語には2種類あります。外部言語と内部言語。
・外部言語は他人とのコミュニケーションのため、内部言語はプログラミング=創造の為に使用します。
・外部言語は外部空間において、内部言語は内部空間においてそれぞれ使用します。
・内部言語は主客一致(IamThatIam)、外部言語は主客分離(5W1H)。
・外部空間は幻想です。内部空間が実体です。普通の認識とは反転していることに注意。
・「自分教」とは「自分自身を神と信じる」教えのこと。
・「神」とは内部言語。他人に語る言葉ではない。「愛」もまた同様。

(なお、アプリ「自分教」を完全稼働させる為には「ヌーソロジー2013」というOSへのバージョンアップが必要です)