”屁のような活動”
最近自分への啓示できたものの1つです。
「防災」についての活動を旦那さんとしよう、ということで来た啓示が2つあり、そのうちの1つが "屁のような活動” でした。
この”屁”というのは、水木しげるさんの世界観で描かれる”屁”と絡んでやってきて、なんともあちらとこちらの曖昧な世界にある存在の象徴。
屁ってあるようでない。掴めないけど、ある種すごく存在感がある。けど、ずっとそこにいるわけじゃない。生々しく生き物の存在感のようで、実存というものはない。どことなく滑稽で面白いっちゃぁ面白いし、可愛くさえあることもある。
全身麻酔をして手術を受けたら手術後絶対に聞かれる。「お腹は動き始めましたか?ガスは出ましたか?」と。命のバロメーターにもなりえる。
最近記事をいくつか書いたけど、アップまでいかないまま、”まずこれを書け”な感じになったので、この記事から書いています。
「屁のような活動をしましょう。」というもの。
さほど興味のない他者からすると、やってるの?やってないの?という意識にさえ上らないような、、、流行ってるとか流行ってないとか、盛り上がってるとか盛り上がってないとか、そんなことは気にせず、細く長く気ままな感じで淡々と、屁のような活動を周りの目を気にせず、それを”しょぼい”という人がいるならば、「堂々としょぼくあれよ。」という感じで。
それをしょぼいと言う人がもはや時代遅れですよというくらいマイペースでいるといい。
ず~~~っとマイペースに続けることができる人は、結局まるで人生そのものを紡いでいるように、その活動の一点という小さな視点を超えて、もっと太い太いものとなっていく。
細いようで、なんかとても太いものになっていく。
皆が屁のような活動を気楽に、マイペースに、気兼ねなくしていくようになると、全体で見ればそれがとても健全なフラワーオブライフになる。1つの点に一時の盛り上がりや憧れだけでバ~~~ッと集まるような誰かに踊らされた動きじゃなくて、そういう動きは引いて見たら画素数の少ない荒い画像のようなんです。
それが、”屁のようなもの”がその間を見えない粒子で埋めていって、その粒子が細かくやさしく振動していて、そうして美しいフラワーオブライフを皆で描くことになる。
踊らされるんじゃなく、自らが微細に振動する粒子になる。
だから自信を持って、屁のような活動をする。
気が向いたことを自分のペースでするだけ。
やってみたいことを、やってるかやってないのか屁のような活動だな~って笑いあいながらするという感じです。
それじゃぁ、生活成り立たないから!っていう人は、そんなことないんですよ。
”屁のような活動”が堂々とできる人は、生きるために働くことも前向きにしているものなんです。その人の”屁のような性質”は、現実への浸透率も何故か良くって、それも”あちらとこちらの境界線の象徴”である屁の力か?
くっきりしたものばかり、形ばかりを追わない性質が、あらゆるものへの生きる力的な適応力を育てているからかなと思います
きっと、屁のような活動をいいじゃないか、と思うほどに、肩の力が抜けて、現実を生きる力も増すのだろう。
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