「防災」についての活動を旦那さんとしよう、ということで来た啓示が2つあり、そのうちの1つが "屁のような活動” でした。
そしてそれは、このことのためだけに来たのではなく、もっと多くの人たちにとって、「あぁ、そうだと思う。」というものになるから(本来のその人らしい感覚が安心して出てこれる在り方だから)、そこからまず書くといいという感じでした。
なので下の記事は防災の活動に関わらず、今出しとこうっていうメッセージでした。
ここからは「防災の活動」の話になります。でも人間全体に関わっているから、この啓示も個人的なことでもないのだと思います。
旦那さんのこーちゃんが、奈良県社会福祉士会で防災担当の理事をしています。近年地球の状態がこういった感じなので、活動も活発化していて、間接的にこーちゃんから話を聞いていて、二人の間でも「防災」から繋がる接点でいろんな話を同時にします。
私が思うに、私たち二人の共通感覚としてあるのは、「この地球で様々な存在が共生していくこと」。だから、防災活動に関わらず、私たちの今までの生き方、仕事、人生の選択に、この「この地球で様々な存在が共生していくこと」というのは、土台にあるように思います。
では「防災活動」として私たちが一緒にできることがあるとすれば、「どんな風にするの?」「それはどんな感じよ?」って意識に訊くと、、2つ意識に入ってきました。
1つは「屁のような活動」でした。その理由は、改めて。
もう1つ浮かんだのは、ビョークの「ヨーガ」という歌がそのMVと共にループし始めました。
こちらです。
美しくもあり怖くもある。ダイナミックで同時に哀しさにも似たものを感じる。力強いけど、妙に人工的でもあり、、それが、”人間って、どちらにも本当は寄り切ってないものよね。”というような、私にはリアリティがあるというか、、嘘がないように感じます。
そんな印象の歌であり動画だから、この動画が浮かんだのは意外ではありませんでした。
今の地球の状態で、「この地球でいろんな存在が共生していくことを考える。」というには、この曲と動画を思い出しても私にとっては意外じゃない、と思いました。
でも、この歌詞についてしっかりとチャンネルを合わせたことがなかったので、歌詞を見てみたら、歌詞と一緒にどういうきっかけでこの曲ができたのかというビョーク自身が語ったという曲の由来について上がってきました。
それを読んでこの曲が浮かんだことがとてもしっくりきました。
ビョークは自身の世界ツアー中に、あるテロ事件に巻き込まれる形で遭遇したことがあるそうです。
その時、その場の状況にいながら感じたことを語っていました。
その(事件の)瞬間から、その場の状況は初めはパニック状態だったけど、そこからまた(人々が)正気を取り戻し、その状況で誰に指図されるでもなく、いかに助け合い生きようとするのかを彼女は見たそうです。人々の能動的に生きようと活動し輝いている生命力を感じ、こんな状況でこんなことを感じるのは不謹慎かもと思いながら、その生命の力と美しさを感じ、心の底から感動もした、と。それがこの曲が生まれたキッカケになっているそうです。
曲に関するインタビューで、下記が彼女が語ったという言葉だそうです。
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人というものは、
こんな緊急事態の、
まったく前後もわからなくなりそうな状況下でも、
その中でも必死に生き残ろうと、
そして自分以外の誰かも、
一人でも多く救おうって、助け合い、
能動的に活動できる力を持った生き物なんだな、って。。
…そんな状況下のなか、
こんなことを感じたのは少しは不謹慎なのかもだけど、
そんな生死に関わる緊急事態のときに、
必死に生きよう、
助けよう、生き残ろう、って、
そうして活動している人々…
…そしてその生命たち。
そんな渦中のなかでも、
生きよう!って、
そうして活動し輝いている生命力。
それを実際に見て感じていると、
“あぁ、なんて美しいんだろう…。
生命たちがあちこちで生きようと輝いている。”って、
…そう感じたら、
なんだか涙が出てきそうなくらいに
私は心の奥から感動したの。」
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彼女が体験したのはテロ事件ですが、自然災難であっても、そういう危機状態の時に、本来の私たちの霊魂を起こしてくるスイッチ、人の本来のスイッチが入るのだと思いました。それを人の可能性と感じるのは、きっと不自然なことじゃないし、その恐怖と共にあるさなかにそれでもそれを感じた彼女は、観じる(かんじる)目がそこまで進んでいたからだと思います。
地球が安定期であるならば、「防災」でこのキーワードは来なかったでしょうが、今の地球と共に生きる上での「防災」には、この臨場感を常にどこかに持っていて初めて現実的な温度のある取り組みになるのかなと思います。
でも、私は(私たちは、、と感じてもいます)、「防災活動」であっても、忌むべきもの、恐れるべきものを回避する意識で取り組みたいわけではない。そういった「古い意識」での防災活動を観ているのではありません。
ただ、現実をまっすぐに観たときに、地球の今の状態は無視できないものであると思うので、何も起こらない(すでにいっぱい起きていますし)、スピでよくありがちな「自分のところは大丈夫」というような自分の焦点次第だというこのテーマにおいてはズレた観方です。
その仕組みの説明は今は省きますが、コロナ禍においてどのような影響があったのか、どのような状況になったのかはひとりひとり異なると思いますが、コロナの影響を受けなかった人はひとりもいない、それは社会全体に影響があったから、という感じと同じです。地球全体のテーマ、人間全体のテーマにおいて、”自分のチャンネル次第”で「自分は大丈夫。」と捉えるだけにとどまるのは、魂の仕組み的に無理が生じていて、それは”大いなる私”の声ではなく、小さな自我の声です。
ただ、こういうことを話し出すと、人間はどんどん深刻になります。大変なテーマになるほどに。
ではなく、
「希望」に焦点を当てる、「人の可能性」に焦点を当てる。
だからこのビョークの「ヨーガ」が啓示できたのだと思います。人の可能性への感動。命の強さと美しさ。
それを重くなるのではなく、軽やかに。遊びのように。
だから2つ啓示が来た。
その1つが「屁のような活動」でした。
「屁」ってすごいよ。
一見深刻な状況でも、そこで出てしまったら(笑)、笑けてしまいますよね
力んでいるものをほどいてくれます。
そして「屁のような活動」であることでこそ、できることがあります。
それはまた次の記事にします。
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