ディオニューソスからシヴァ神へ。 | ondalindaზ⋆∞のびのびとしたあなたを生きよう∞⋆✧

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真実のオリオンのエネルギーの象徴化として「犬夜叉」の殺生丸という存在が上がってくれて、沢山記事を書きました。

「真実のオリオン」=「真実の光の男性性」「光の父性」

ディオニューソスの流れから上がったキーワード”殺生丸”はこの下の記事「呪いか愛か。」の後半で書いていますが、

 

 


お昼時ボケ~っと録画してたアニメを観ていたら、

『殺生丸の様子を見ていると、妖怪というよりは、、、ギリシア神話の神様たちを思い出すなぁ、、、、と思ったことがキッカケです。高次元の存在の方が感じ似てるなぁと思いました。』

と、殺生丸って妖怪というより神話の神様みたいな、、なんというか高次元存在の感じよな~っと。殺生丸の考察のスタートはそこからでした。


それが!

これらのいくつもの記事を書き終わった頃、数日前だったか、発見したんです。原作者の高橋留美子さんが、どんな風に殺生丸のキャラを最初の段階で考えてキャラ作りをしていたのか、、というご本人さんのインタビュー記事のようなのを。

「殺生丸」当初の設定
*半裸のような格好
*インドの神様っぽいイメージ
*なので名前も最初は横文字だった
*おでこの三日月からビームとかも案としてあった


半裸は、犬夜叉が貴族?神主?のような格好をしているため、「美麗でゴージャスな存在」として殺生丸をイメージしていた高橋留美子さんは、半裸はアカンと思いやめたそう。主人公の犬夜叉と並べてもゴージャスであるために、結果的に誰よりも多く布を身にまとう格好になったそう。

そんなこんなで変更はあったものの、当初の設定ですでに「インドの神様っぽいイメージ」、そしてりんも最初殺生丸を神様みたいに感じていたとのことなので(これも作者が言っている)、そのままビンゴだったのか!と。

で、インドの神様でこんな存在ってどの神様?って調べてみたのですが、、

すぐに検討がついて絞って調べると、こちらのサイトに出会いました。

 

 

特徴まとめてくださってました。そのまま転載。

  • シヴァはヒンドゥー教の破壊神である
  • シヴァはルドラという暴風の神が原形である
  • シヴァはヒンドゥー教成立前はあまり人気がなかった
  • シヴァは乱暴者であり愛妻家であり舞踏の神
  • シヴァの象徴は男性器/リンガ
  • シヴァは仏教では大黒天である
  • シヴァは現代では大人気でありシヴァ派では絶対視される
  • シヴァは破壊神であるが世界の再生も司る慈悲深い神

そして、半裸に野生の皮のような布を巻いていて、、おでこに何か紋章のようなのが、、。

特徴として、破壊の神であり、再生も司る慈悲深い神、そして愛妻家。


これはもう、殺生丸のモデルはシヴァ神じゃないか!と。本では殺生丸の説明で「蘇生と破壊、二振りの剣を携えて孤高の我が道を行く」と書かれているのですが、”殺生丸”という名前は神モデルの時から、案外そのままだったのだなと。

シヴァ神の原型はルドラという神様。ルドラは暴風雨、嵐の神様。


「シヴァは頭に三日月を着けた姿で描写される。この三日月を伴った姿の起原はヴェーダの時代、まだシヴァがルドラだったころまで遡る。ヴェーダにはルドラが傷をいやしたり、はては死者を生き返らせる様子さえ描写される。ルドラがルドラ・シヴァとしての重要性を増したころから頭に月が掲げられるようになった。」
「うなる嵐の神であるルドラは通常恐ろしい、破壊的な神という特徴に基づいて描写される。残酷な側面(ルドラ)と、慈悲深く穏やかな側面(シヴァ)の2つの性質を持つことが語られている。暴風雨は、破壊的な風水害ももたらすが、同時に土地に水をもたらして植物を育てるという二面性がある。」
ウィキペディア、シヴァより

殺生丸の特徴そのままだし、もともと嵐の神様なのかというところで、これを思い出しました。

 

全部繋がっていて、しかも私に嵐の絵画、こーちゃんに慈悲の絵画がガチャガチャで当たっているなんて、、、

もう、、この流れで来たのなら、「ディオニューソス=シバ神」説があるんじゃないのか?と思って、ググったら、いっぱい出てきました(笑)

そんな本もいくつも出ていて、殺生丸を通じて、ディオニューソスからシヴァ神へと綺麗に丸く繋がりました。

「真実のオリオン」「真実の光の男性性」から殺生丸が上がってきて、妖怪っていうより神っぽいって感じて始まった探求は、綺麗に紐解かれていっています。


・・・実はアニメと原作で、殺生丸やりんは微妙に雰囲気が異なっているのです。それはアニメ制作の事情として仕方ないと思うのですが、私は高橋留美子さんの話が好きなので、原作の彼らにチャンネル(意識の)を合わせて観ています。

原作漫画の殺生丸は、アニメよりもっとクール。そしてどこかひょうひょうとしている。このひょうひょうとしたところがなんか可笑しくていいのにな。アニメの方がなんか甘い雰囲気があるんですね。
それはりんに対しても甘いという感じではなく、絶対にりんの命を守ろうとはするけれど、だからといって甘くはない。

原作のりんも、もっとサバサバしていて明るく強い女の子。殺生丸のことを信頼しているけれど、甘えるという感じは無し。すごく自立している。こちらもアニメの方がなんか可愛い女の子感が増しています。

編集されている動画をちょいちょい見ただけなので、アニメを通しては見てないのですが、私は原作の漫画の二人の感じが好きです。甘くないから成り立っている気がするんですね。二人の間に生まれている信頼感というのは、だからこそ並大抵ではない信頼の強さや駆け引きのなしの純粋さがあるように思います。それが切れる切れないという発想もないような”絆”になってる感じがするのですが。

56巻の中で高橋留美子さんの一番好きな殺生丸のシーンはここだそう。



「誰だ…?てめえ…」と聞かれて、「… おまえこそなんだ?」とひょうひょうと聞き返すという。

相手のこと知りもしねえけども、殺生丸が誰を生かして、誰を殺すかというのは、瞬時に判断しているのだなという彼なりの美学と基準があるのが読んでいると分かります。

殺生丸は基本的に「殺すか、生かすか、無視するか」という3つの選択肢の中で行動していて、りんと出会ったことで奥行きみたいなのは広がっているけれど、基本性格は変わらず、こういう潔さの中でしか生きていません。

こんな存在と一緒にいるのに、りんが甘いわけがない。すごく自立している女の子です。


私が最初”神的”と思ったことと、真実の光の男性性としての象徴で上がってくれたのは、この選択が超速いのに誤っていないことがキーでした。考えていないのでは?という速さの即断即決なのに、それが結果的に誤らないっていうのは、私なりに確実にこれだと説明できるところがあります。

それはエネルギーの話において理にかなっているので、また次に書きます。

 

 

 

星自身の内観も兼ねて、流れのまま書いている元記事です。

 

 

 

 

 

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