like again
like again
ラブだと異性しかないし大層な感じがするから
like again
たとえば日々の「愛嬌」がそういうこと。
たとえば、チョコレートの差し入れは、高価なサプライズじゃなくても「like」でしょ。
ラブなんて、小さな「like」の積み重ね。
仮に、付き合って(結婚して)横柄な態度をとるようになったら小さな「like」は消え、日々の「dislike」は増え、もちろん愛も消えている、のです。
明鏡止水 悲しみが出ない状態
明鏡止水 悲しみが出ない状態
雑念と言うと雑念だと思ってしまって、喜怒哀楽だと思わない人が多いので、ここでは悲しみとします。
たとえば、不登校は、常に悲しみが出る状態、なのです。
たとえば、男性不審、女性不審は、常に悲しみが出る状態、なのです。
たとえば、仕事がイヤ、勉強がイヤは、常に悲しみが出る状態、なのです。
過去に何かイヤなことがあったのを今も脳内で再生しているのです。
それが自分を苦しめるのです。
過去の出来事ではなく、今の脳内再生が。
その証拠に、あなたは記憶喪失になってしまえば、過去に起きたことは変わらないのに、全然、平気なのです。
どんな失恋をしてても大丈夫。
ですから問題は、過去の出来事ではなく、今の脳内再生なのです。
たとえば、今日、酷い目にあったのを5回思い出せば5回起きたと同じ、なのです。
でも、それは自分がそうしなきゃ1回なのです。
現実は1回なのです。
リストラだろうと、失恋だろうと、離婚だろうと、倒産だろうと、現実は1回なのです。
しかし、それを脳内で繰り返し再生させると、その回数なのです。
傷口に自分で塩を何度も塗りこんでいるのです。
それをするから痛いのです。
麻雀で言うと、役満を逃したり、役満を食らったりしても、すぐ忘れて次に望まないと負け続ける、のです。
甲子園なんか、1回の失敗をすごい引きずるから、1回失敗すると大量の失点で負ける、のです。
で、ここでギャンブルにも、スポーツにも関係ないと思われている釈迦なのです。
明鏡止水なら、1回で終わる、のです。
そして、それはもう来ない、のです。
過去がもう一度来ることは無いのです。
だから、安心して良い、のです。
(脳内のリフレインがおさまると平穏になるのです)
精神的な痛みは自分が繰り返さなければ1回だけなのです。
良いことは繰り返したら良いですが、悪いことは繰り返さなくて良い、のです。
(1日に好きな人の写真を何回も見れば何回も幸せで、憎たらしい奴の写真を見れば何回も不幸なのです。それを脳内でやっても同じなのです)
で、日本人は異様に不幸なことばかり繰り返し思っている、のです。
それ、全て、過去の雑念(ゴミ)で、要らない、のです。
繰り返しますが、あなたが想起しなければ(思わなければ)それは無い、のです。
無いことを恐れる(悲しむ)ことも無いのです。
記憶喪失の人は過去の自分に何が起きてようと気に病まないのです。
そうなれば(そうすれば)良いのです。
明鏡止水(雑念がどんどん浮かんで来ない)は、何かのためのもの(たとえばスポーツのためのもの)ではなく、何かのためのものではないのに全てに役立つ、のです。
逆に、仕事が出来ない、勉強が手につかない、何かが上手く行かないとは、雑念(感情)が次から次への浮かんでくるから、そう、なのです。