イメージの差
イメージの差
素人が思いっきり振りかぶって大振りに出すパンチは、威力が強そうで、そうでもありません。
一方で、ボクサーが出す小振りのパンチは、思いっきり振りかぶって無いのに馬鹿みたいに威力が強いのです。
この差は何でしょうか。
もちろん技術の差ですが、その前に
イメージの差
なのです。
ムチは素人が使っても音速に達するそうですが、鐘撞きの丸太は絶対にそんなこと無い、のです。
で、もっとわかりやすく、ボールを投げるとしましょう。
このイメージで投げたら、スピードも遅く、短距離にしか飛ばない、のです。
普通のボールを砲丸投げのように投げるようなもの、なのです。
一方、自分の体をムチのようにしならせて投げたらどうでしょうか。
球のスピードや飛距離が伸びるのです。
つまり、ボール力(パンチ力)が上がる、のです。
キックで言うと「うぉぉぉ」と力を入れる、ではなくて、足をムチのようにしならせて「ビチン」なのです。
で、何が言いたいのかと言うと、パンチや物を投げることではなくて、
あなたがイメージしているものが間違っていたら、上手く行かない、のです。
婚活難民女性で言うと、自分のイメージしていたものが間違っていた、のです。
登山の遭難者で言うと、自分のイメージしていたものが間違っていた、のです。
試験の不合格で言うと、自分のイメージしていたものが間違っていた、のです。
試合の敗者で言うと、自分のイメージしていたものが間違っていた、のです。
商売の倒産で言うと、自分のイメージしていたものが間違っていた、のです。
なのに皆、自分のイメージのせいにはしない、のです。
逆に言うと、間違ったイメージを持つと失敗する、のです。
(特に、自分に都合の良いイメージほど危ない(松本人志、中居正広、ギャンブラー、ニート、メンヘラ、結婚からの離婚etc )のですが、皆が持ちたがるのがソレなのです)
幅1メートルの溝を
幅90センチしか跳べない人が、自分を信じて自分らしく自分の好きなように跳んだら
落ちる、のです。
現実は、どんなに自分が思い込んでも、自分の跳べる分しか跳べない、のです。
特に、かつて自分は幅1メートルの溝を跳べていたとしても、今も跳べる、ではない、のです。
時と勢い
時と勢い
当たり前ですが、今から米の種まきをしても、種は芽を出しません。
これが時。
で、今からたくさん米の種まきをしても、種は芽を出しません。
この「たくさん」が勢い。
これが時勢です。
よって、私の言うことはネットの情報のように不変ではなく、人によって変わります。
たとえば、左が、たくさんの男性にアプローチしたらその効果は絶大ですが、右が同じことしたら…なのです。
もちろん、これは女性だけではなく、男性も同じ、です。
日本人は、「いつか」と先送りしますが、それをすればするほど不利になる、のです。
セルフ不利化を日本全国でやっているのですが、皆、認めない、のです。
で、当人が理解してようがしてまいが、現実は変わらない、のです。
たとえば、結婚相手を見つける時に、どちらが有利かなんて、当人の考えはどうでも良い、のです。
何故なら若い方が(「いつか」とか先延ばししない方が)有利に決まっているから、なのです。
このように「時は絶対」なのです。
「時が先でも何とかなるだろう」と言う人がいくらでも居ますが、ならない、のです。
な、ら、な、い、のです。
でも、多くの人はなると思ってたし、今もなると思っている、のです。
なるのは「勢い」なのです。
で、たとえば来年の2月に試験があるとして、それは動かず、動かせるのは「自分の勢い」なのです。
具体的には、単語を1日に10個覚えるか、100個覚えるか、なのです。
が、10個で「えー」とか言って放り投げる、後回しにする人が、それ以上やるかって話なのです。
このことを「運勢が悪い」と言うのです。
セルフ「運勢が悪い」のです。
たとえば、童貞が来年の2月まで成果ゼロ(童貞のまま)なのに対して、動く男性は何人かの女性とやっている、のです。
そして、それは当人の行動量次第なのです。
もちろん、「いつか」なんて思ってたら来年の2月まで成果ゼロなのです。
で、さらに言うと、時を過ぎたら、もう手遅れ、なのです。
そうなったら、私の言うことだって、(現実なんて見ずに)「好きなように生きたら良い」になる、のです。
こうなったら、左は左のままの方が幸せなのです。
現実は他者との関わりが無いなら、教えなくて良い、のです。
これで言うと、他者に公表することなく勝手に個人でそう思っている分には何も問題がなかった、のです。
SMAPや嵐が、これまでデビューしておらず、いま結成しても(日本中に旋風を起こした本人達でも)何も起こらない、のです。
時と言うのはそれくらい重要なのですが、皆、「いつか」と不意にしている(捨てている)のです。
さらに、そんな自分は間違ってなく、正しい、のです。
理由は、自分が正しいと思うから、なのです。
根拠は、自分が正しいと思うから、なのです。
いや、だから、時は個人の考えなんてどうでも良くて、絶対なのです。
左が、自分はいつでも結婚出来ると思っても、いつでもではない、のです。
令和の一般男性も、若いうちに勢いつけてやらないと手遅れ、になる、のです。
でも、省エネとか、コスパとか言って、やらない、のです。
やらないとどうなるかって、手遅れになる、のです。
最低限しか練習しない部員、最低限しか勉強しない学生、それが年とったらどうなるか、なのです。
これは時代や社会情勢の問題ではなく、当人の問題なのに、時代や社会情勢の問題にすり替えている、のです。
で、すり替えて自分を騙しても良いけど、失った時間、チャンスは戻って来ない、のです。
これが、いつでも結婚出来ると思ってた(若いうちに婚活を頑張らなかった)と同じになる、のです。
サッカーで言うと、最低限しか練習しない30歳超えの選手なんて、どんなに才能があっても、どのチームも要らない、のです。
なんとかなるって、な、ら、な、い、のです。
なんとかなるんだったら、婚活難民もなんとかなってる、のです。
那須川天心で言うと、30歳には成功し終えている、のです。
「いつか」と思う人が、何もしない中で、那須川天心はメチャクチャ練習して、成功して、引退している、のです。
一方で、省エネ、コスパで、何もしてこなかった何も身についてない人が、30歳からゼロからのスタートで「いつか」って、マラソンで言うと先頭集団はもうとっくにゴールして家に帰って風呂入ってくつろいでいる、のです。
なのに、とても悪い意味で、当事者感覚がなく、現実を見てない、現実が見えてない、のです。
脳内が、ゲームのように時が止まった(年とらない)世界に居る(と思っている)のです。
で、「いつか」とか「そのうち」とか、そういうものは無い、のです。
喩えるなら、30歳が、「いつか」東大とか「そのうち」東大とか、思っている感じ、なのです。
で、何とか日本人は、政治や経済、社会情勢のせい(自分のせい以外のせい)にしようとしていますが、
同じ条件下で、やってる人はやってきたのですから、お門違い、見当違い、どこまでも現実逃避なのです。
受験で言うと、勉強して大学に落ちたならわかりますが、勉強しないで不合格になっているのですから、当たり前なのです。
で、それでしばらくしてから、社会が悪いとか、親が悪いとか、男が悪いとか、上司が悪いとか、スゴイな現代人なのです。
歴史に学ぶと言うこと
歴史に学ぶと言うこと
歴史と言うものは日本史、世界史ではありません。
今、生きてる我々の生活が歴史(日本の令和史)なのです。
まず、この当たり前のことを認識して頂いて、あなたの前に崖から落ちる人が居たとします。
すると、死にたくないあなたは、その道には行かない、のです。
何故なら落ちて死ぬからです。
これが、
歴史に学ぶと言うこと
です。
で、あなたの進む道には、あなたが考えるまでもなく、先達者が居る、のです。
逆に、我流でやって失敗した先行者が沢山居る、のです。
たとえば、ダイエットで言うと、
こうすると失敗する
こういう考え方をすると失敗する
と言う例が山ほどあるのです。
あるいは、
こうすると成功する
こういう考え方をすると成功する
と言う例が山ほどあるのです。
と言うことは、自分を信じるとか眠いこと言ってないで、失敗するルートを避けて、成功するルートを歩めば、成功する、のです。
これが、
歴史に学ぶと言うこと
です。
これが、歴史に学ばない人の末路なのです。
末路を自分から選択しているのです。
たとえばゴルフクラブの持ち方が間違ってたら、どんなに練習しても上手くならない、のです。
歴史を学ぶは、日本史、世界史の年号、起こった出来事を覚えるではありません。
そんなものは何の役にも立たないのです。
それは、あなたの誕生日、逝去日くらいどうでも良いのです。
もっと言うと、年号と出来事を覚える、に、歴史は無い、のです。
歴史は、その間のドラマのこと、なのです。
たとえば、「井上尚弥が令和7年9月にボクシングの銀メダリストに勝った」を覚えても意味無くて、意味はその試合の中にある、のです。
当たり前ですが、年号と出来事だけを暗記したボクサーなんて弱い、のです。
でも、これが、一般的な日本の男性なのです。
強いボクサーになればなるほど、井上尚弥の試合をスローモーションにして、何度も何度も見る、のです。
つまり、歴史に学ぶのです。
俺は強いんだとか自惚れて歴史に学ばない人は、喧嘩自慢やヤンキーのように、プロ相手には必ず負ける、のです。
で、そういう人は、そういう末路を自分から選択しているのです。
たとえば、婚活難民になった女性は、ともかく自己流にやろうとして歴史に学ばない(だから上手く行かない)のです。
で、そういう人達は、そういう末路を自分から選択しているのです。
歴史に学ばず、自分の思い込みを信じている、のです。
これで言うと、当人の中では、こういう風に美化されているのですが、現実はこう、なのです。
まだ何とかなるとか、自分を信じた、のです。
まだ(大丈夫)だと思ったらもう(駄目)だったのです。
で、自分が右になってから、自分が左の頃に付き合っていた男達と結婚したいと思っても無理なのです。
で、「そうなったのは人類史上ワタシが初めて」な訳なくて、先に失敗した人たちが山ほど居る、のです。
で、その人たちの歴史に学ばず、その人たちと同じことをしたから、同じ結果になった、のです。
中居正広の前に、松本人志。
松本人志の前に、渡部建。
渡部建の前に…なのです。
同じように、酒とか、タバコとか、ネット廃人とか、同じことすれば、同じことになる、のです。
歴史に学ぶって、彼らと同じことしない、も、歴史に学ぶ、なのです。
これと同じことしたら、こうなる、のです。
で、結婚してるなら旦那を無言の圧力で抹殺すれば良いにしても、独身で太って老いたら、今世の結婚は遥か彼方の蜃気楼になる、のです。
一方で、彼女の歴史に学んで、彼女と同じことすれば、彼女と同じようになる、のです。