プラクティス -4ページ目

孤高 孤低

孤高 孤低




ぼっち(一人)かどうかより、


孤低か 孤高か



そっちの方が重要。


群れてれば良いと言う話ではないし、さらに、こうなったら、孤なのです。











独りかどうかより、


孤高か 孤低か


なのです。








方法は全員違う

方法は全員違う



なのに皆が探すのは方法ばかり。


せめて「方法は全員違う」と言うことだけでもえて死んで欲しかった。


姑も酷いし、嫁も酷いし、夫も酷いし、親も酷いし、先生も酷いし、上司も酷いし、部下も酷いし、学生も酷い。


みんな間違ってる。


繰り返しますが「方法は全員違う」んだから自分と同じことさせるな、自分が正しいと思う方法が相手にも正しいと思うな、なのです。


また「これをすれば良い」みたいな方法を探すな、なのです。


何故かって、「方法は全員違う」から、なのです。





たとえば、「この方法で何でも美味しく」とか、そんな方法無い、のです。



日本料理的にはメチャクチャな方法でも、インド料理なら正しいとか、いくらでもある、のです。


たとえば、手が無くてノートをとらず、手も動かさずに早稲田大学に入学した人も居る、のです。



たったこれだけのことを例にしても、あなたや先生の言っていることは正しかったか、なのです。


この方法でって、正しかったか、なのです。



たとえば、赤字会社の社員が、自分達のやってる方法を部下に正しく教えたら、立派な赤字社員が出来る、のです。


なのに当人達は、自分達は正しいことをしていると思っている、のです。


戦時中の日本もそうでしたし、今もそう、なのです。



セルフイメージの連続写真

セルフイメージの連続写真


セルフイメージ。


なんか世間では二次元の話になっていますが、たとえばゴルフで言うと、


この連続写真(現実)の最後の1枚の「キモチイイ」写真(セルフイメージ)しか無い人は、100%ダメ。



これが自分みたいな。



で、さらにダメなのは、もはや「やってもないのに幸せな自分」のイメージ。



やってもないのに幸せなら、やらない、のです。


受験勉強してないのに幸せなら、受験勉強なんてしない、のです。



で、このコマ(写真、セルフイメージ)だけ再現してもダメなのです。





男性で言うと、このコマ(写真、セルフイメージ)だけ再現しようとしてもダメなのです。




これに戻ると、最初がダメなら、最後もダメなのです。



最後のこのポーズだけ完璧でもダメなのです。



それは完璧にこれをするようなもの、なのです。



重要なのは、ここに至る経緯なのです。


こうして見ると、重要なのは、最後ではなく最初の1コマなのです。


でも、皆が思うのは最後なのです。


でも、漫画やアニメ、小説、映画で考えてみてください。


最初が良くなかったらわりなのです。

 

いくらラストの1コマが完璧でも、そこに至る前に、終わり、なのです。


なのに皆、マッチ売りの少女、婚活女性のように、夢見てる、のです。


これで言うと、夢見てないで痩せること、なのです。




それをしないのに、最後の1コマ(ハッピーエンド)は無い、のです。


最初と最後が合わないと、辻褄が合わない、のです。




左が突然、



こんなことしたら、婦女暴行未遂なのです。


でも右になって順序を踏めば、むしろ歓迎だったりもする、のです。


で、女性もしかり。



左で迫って来た挙句に、誘って来ないのを男性のせいにされたら、たまったものではない、のです。


よく解らなかったら、左に迫られろ、なのです。




でー、夢とは、自分以外も含みます。

そして、何でも無い人が、当人にとってだけ理想的な夢を見るから、コーチの出る幕は無い、のです。




で、日本人のほとんどがソレ、なのです。


ろくに練習もせず、ピース(幸せ)で、金が欲しい、のです。


さらに男だったら、ろくに練習もせず、ピース(幸せ)で、金も女も欲しい、のです。


このような現実(お金を得る経緯)なんて存在しないのです。


勉強はしないけど、良い大学に入りたいし、卒業したい、のです。



ただただ(相手も居ないのに)最後のシーンだけある、のです。



そんなことより出会い(最初)が大切で、それが無ければ全て無い、のです。