神より締切
神より締切
神頼みで、右が左になったことなんて、ありません。
神頼みだけで、受験生が合格したことも、ありません。
男女を入れ替えると、これが神で、だからどうした、です。
それがデジタルになっても同じ。
スイーツやラーメンになっても同じ。
その神は、神じゃないですし、むしろ堕落に誘う悪魔なのです。
事実、こうなった、のですから。
で、皮肉なことに、左は神頼みしてない、のです。
天は自ら助くる者を助く、のです。
こういうのは全国にありましたが、結果、どうなった、なのです。
上手く行った人は、自分から動いた人なのです。
「いつか」なんて人は、今も「いつか」なのです。
そんなの、誰だって「いつか大学に合格出来ますように」なら、「いつか」叶う(可能性はある)のです。
リアルな話、子供を生みたい女性が「いつか」なんて願ってたら、先に自分の子宮が終わる、のです。なのに当人が、そういう呪いの願いを願っている、のです。しかも、周りも「その願いが叶うと良いですねー」とか言う「呪いの祝福信徒」なのです。
もちろんこれが他の「いつか」願いでも同じです。
日本中、ホラー映画の住民みたいになっている、のです。
言葉が同じでも中身が違う
言葉が同じでも中身が違う
小学生並みの作文能力の人が、日記に、
「今日は楽しかった」と書いたとします。
大人だって、そんな人はメチャクチャ居る、でしょう。
しかし、その中身は全然違うのは解るでしょう。
とすると、「今日は楽しかった」は何も語ってない、のです。
たとえば、恋してる、とかにしても、
頭にお花の咲いたオバサンが不倫しているのか、
小学生の女子が片思いしているのか、で、
じぇんじぇん違う、のです。
で、前者は、自分に都合の良い言葉を用いるのですが、そんなものではない、のです。
言うなれば、こう。
男性に置き換えると、こう、なのです。
今の「推しオバサン」「ゲーマーおじさん」とか、こう、なのです。
酒飲みやパチンカーが、人から見たら、酒飲みやパチンカーなのと同じ、なのです。
世の中には、これで、「今日は楽しかった」と言う人も居る、のです。
つまり、
言葉が同じでも中身が違う
のです。
で、授業を真剣に受けてる人が、楽しい楽しくないとかじゃないとして、隣のクラスは年中自習でずっとスマホとゲームをして楽しいとすると、それって幸せか、なのです。