言葉が同じでも中身が違う | プラクティス

言葉が同じでも中身が違う

言葉が同じでも中身が違う


小学生並みの作文能力の人が、日記に、


「今日は楽しかった」と書いたとします。


大人だって、そんな人はメチャクチャ居る、でしょう。


しかし、その中身は全然違うのは解るでしょう。


とすると、「今日は楽しかった」は何も語ってない、のです。



たとえば、恋してる、とかにしても、


頭にお花の咲いたオバサンが不倫しているのか、


小学生の女子が片思いしているのか、で、


じぇんじぇん違う、のです。


で、前者は、自分に都合の良い言葉を用いるのですが、そんなものではない、のです。


言うなれば、こう。



男性に置き換えると、こう、なのです。



今の「推しオバサン」「ゲーマーおじさん」とか、こう、なのです。

酒飲みやパチンカーが、人から見たら、酒飲みやパチンカーなのと同じ、なのです。

世の中には、これで、「今日は楽しかった」と言う人も居る、のです。



つまり、

言葉が同じでも中身が違う

のです。


で、授業を真剣に受けてる人が、楽しい楽しくないとかじゃないとして、隣のクラスは年中自習でずっとスマホとゲームをして楽しいとすると、それって幸せか、なのです。