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『我的足球日記』

中国より帰国。日々の生活を綴っています。

昨日も書きましたが、また、ネットで見てたら、たまたま将棋の羽生さんの番組があって、ちょうど直感の話。


『直感は経験で磨く』


20代では、1000手先を読むと言われたらしいが、30を過ぎた頃から、記憶や勢いが衰えを感じたらしい。。それでも、10年以上の経験により、闘いの流れを読めるようになったそうです。そして、無心を心掛け、時に無難に、時に直感に。


ここで言う直感は、インスピレーションの『直感』ではなく、シャビのような『直観(intuition)』の方で、ただただ本能的に湧き出る方ではなく、何万回以上の経験からくる自分なりの発想の方でしょうね。









NHKのシャビ・イニエスタ特集を今更ながら見ました!


極めて高いもの『直観力』。


サッカー中、大脳基底核という部分が活発に働いてるようで。それは、同じ情報を繰り返し取り込むことで、高まり、無意識のうちに、判断を下しているそうです。


こうなったら、こう。こうなったら、こう。みたいな部分って、集団での連携なら、ハイレベルな環境下。個人での突破力なら、制限の少ない環境下。それぞれ、育つ環境で、また違った『直観力』が育ちそうですね!!!



こんばんは。

プレミアリーグの監督の平均任期は、11ヵ月だそうです。ヴェンゲルの20年近い政権やファーガソン率いたユナイテッドなどの1部を除いて、短期化している傾向のようです。

やはり、短期で本当のチーム力を上げるのは、非常に厳しい。

短期で監督が変わるということは、その都度、選手も入れ替わるということ。

そして、それに伴い、Jリーグでは、選手の激しい入れ替わりによって生まれるのが、チーム力の平均化だ。J2においては、上位3チーム、下位3チームを除いて、混戦状態。

これは、一定の選手のシャッフルが毎年リーグ内でおこっているだけかもしれない。

いかに、クラブのビジョンにあった選手と選手育成によって、ある程度の同じ選手と同じ監督で、特色ある戦い方を持続するということが、魅力的で、それぞれが違いのあるサッカーに変化するのではないかと思う。



ニュースを見てて、何かを禁止したり、何かを制限したり、やたら多いこの日本。

規制を設けることは、最も簡単な手段。

それに反して、欠けていくものは、モラル。

自分で何が他人にとって迷惑で、何を注意して行動すればいいのか、考えなくなる。

規制をかけられるほど、つまらないものはない。

自由に楽しむためにも、規制ではなく、モラルが、必要だと思う。
こんにちは。

新しい日本代表のアギーレ監督。日本人に足りないのは、『競争する姿勢』だと。


たまたまNHKのケニアマラソン番組を見ていたから、そこで言っていたのが、『激しい競争』でした。


1ヶ月800円の農業という貧困から、逃れる最大の手段がマラソン。マラソンで1000万稼げば、一生家族と親戚を養えるらしい。そして、ある村では人口4000人のうち1000人がランナーで、日々トレーニングしてところもあるようです。


世界100傑の記録の大半がケニア人にもかかわらず、オリンピックなどの国際大会など、国を代表する大会には、数名しか出れないわけです。


他の国なら、確実にトップになれるのに、ケニアの代表にはなれないわけです。世界記録を持ってる選手ですら、たまたま選考大会で負けちゃうだけで、国際大会でれないわけで。。過酷ですよね。


って、サッカーに考えてみたら、ブラジルやアルゼンチンって、こういうことなんだなと思います。今回のW杯で、カカにしても、テベスにしても、もれてしまったワールドクラスの選手たちが、日本に来たら、確実に代表入れるだろうに、母国で激しい競争から、もれてしまうわけで。。


結局、どの業界でも、第一線は、最も熾烈な『競争』してるわけですよね~(*_*)











http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140724-00000585-san-socc

数日前の記事ですが、日本代表の予選突破できなかった理由が、コンディション調整の不備だそうです。今さらですが。


『6日間のうちの4日間を2部練習にあてたこと。』『試合前日の移動に5時間かけたこと。』


これらが、確かにベストな選択だとは思わないが、こんなことで、コンディションが悪くなるほど、貧弱な集団なのか?!

なんかがっかりする分析見解ですね。。


自分の脳の中で、自分の正解、限界、許容を勝手に設定してしまっていないのか?!これにそぐわないだけで、拒否反応を起こしたり、不備だと感じたり。

また、ヒトは本来、自己設定範囲を超越するスイッチをもっている。そのスイッチをオンできるか、どうかで、自らが主導となって躍動することができる。3戦目でようやくそのスイッチが自分からではなく、置かれた状況によって、押された。


ザック自身も言っていたが、仮にコンディションが問題なら、3戦目に一番動けるはずはない。その意見には同感である。


コンディションを理由に押し付けるのは、安易すぎるし、個々の精神、思考にもっと注視した方がいい。さらに、それを作り出された元はなにか。それは、日本の近年の育成システムの不備ではないか?あまりにも、勘違いされたプレイヤーズファーストなる『ゆとりサッカー教育』ではないか?

たくましさを兼ね備えた、精神ともに、1人前の選手の育成が何よりも急務だと思う。







最近、印象に残った言葉です。

『うまさ』より『こわさ』を。

サッカーは、相手がいてのスポーツ。

自分の視点からではなく、相手の視点から。
相手にとって、嫌がるプレー。
そういった視点で、技術も戦術もあるべきですね。
『入ってくる情報を受け入れる見方をし、行動するヒト』と『自らの枠で、とらえる見方をし、行動するヒト』

この2つのタイプ。

しかし、全員がこの2つのタイプに分けられるのではなく、同じヒトのなかでも、時と場合で、この2つを持ち合わせることだって当然あります。


前にも書きましたが、受け入れる見方ができれば、発想は無限大にありますが、自らの見方をすれば、限定されるということ。


自ら探そうとすれば、見つけたい何かに限定され、視界に入ってくるものを見ていれば、情報量は莫大です。


色んなプレッシャーによっても、変わってくる部分でしょうが。。


寛大に、寛容に、受け身になれと言う話ではありませんが、なるべく自らの枠というのは、取っ払いたいものです。




ヤル気の源はどこからくるのか?


決して、与えられる環境からではなく、与えられない環境だからこそ、生まれるものだと思う。


江戸時代以前、武士道において、入門しても、数年間、掃除などの雑務におわれる。教えられることは、技術ではなく、行儀や振舞。コンテンツではなく、マナーだということ。

しかし、入門してたヒトのココロには、こんな事をやりにきたのではなく、技術を学びに来たんだというヤル気スイッチが入る。そこに、たどり着けば、あとは師範の思惑どおり。


数十年前の日本でも、指導者の意図したことかは、わからないが、部活に入っても、1年生は玉拾いだけとか、ランニングして終わりだけとか、そんな時代があった。しかし、そこには、そこを潜り抜けた先に、本当にやりたいことが明確となる。


今の時代は一体どうなのか?

常に与えられる。そして、ある意味、サービス化。教える側が、常に目新しいものや、興味をそそるようなものを提供しつづけなければいけない事態。


それによって起こる日本の現状とは、みなぎるパワー、ヤル気、ギラギラした野望が欠如し、あとヒト押しがないモヤモヤしたどこか腑抜けな力強さな感じがしてしまう。


こんにちは。

ヴェルディ時代を振り返ってみると、昇格争いをしていたものの、チームとしては昇格できなかったが、選手個人としては、J1や海外クラブなど上のカテゴリーへいった選手は、10人以上もいる。

ヤンチャで、自分勝手な選手が多いイメージを持たれがちだが、中身は決してそうではない。サッカーがとにかく好きで、負けず嫌いで、深く追求するココロを持っていたと思う。


そんな中で、ポジティブな雰囲気を作り出していた選手がいたのを思い出す。


例えば、

30回やるといったメニューに対して、35回やって、『おれの方が強くなったわ』っていう選手。

きついメニューに対して、『それだけしかやらないの?』って、あえて声をかける選手。

きついメニューが終わったら、わざと『きもちいい!!』っていう選手。


時に文句を言いながらも、ポジティブで、出しきり、諦めない、選手たちがいて、本当にたくましかったなーと思う。