『我的足球日記』

『我的足球日記』

中国より帰国。日々の生活を綴っています。

梅県俊城客家足球倶楽部 : http://www.hakkafc.com

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これは、非常に興味深い話です。


さまざまな物事において、極端な数学が生じた後は、平均的な数字が続く可能性が高いということ。

つまり、いい意味でも、悪い意味でも、異変が起きたとしても、いづれ『平均値に回帰する』ということです。


よくあることだと思うが、見事なプレーをしたから、誉めると次は至って平凡。逆に、ひどいミスを連発したから、酷く怒ると、次はうって変わってよいプレーをする。


これを経験することで、指導者は、誉めると甘やかすことになり、檄を飛ばすと能力を発揮すると抱くようになる。


しかし、これは錯覚らしいのです!!!


例外的に良い、もしくは悪いパフォーマンスは、自然と平均的なパフォーマンスに戻るということなのです!!!


つまり、怒ろうが、褒めようが、どっちでもないわけなのです!!!


ただし、なにがいいのか、悪いのかと示すことは必要なことだと思うので、悪しからず。


これは、統計上の面白い話です。


サッカーの選手交代において、負けてる場合、一人目の交代を58分までに、二人目の交代を73分までに、三人目の交代を79分までにすることが、得点差を縮める可能性が最も高いらしい。


この時間帯までに、交代を行うことで、40%の確率で、差を縮めることができるようだ。


この時間帯を過ぎてしまうと、一気に20%強の確率に下がる。


これは、あくまでも、結果からの統計であるし、そうなるときも、そうならないときもあるが、このような早めの采配する事の意味がわかる気がする。


経済学者の話から。

高次元なレベルにおいて、サッカーの試合というのは、

『どちらに欠陥が少ないか、どちらが効果的に統合されているか、この2つの相互作用』によって勝敗は決まると言うのです。


つまり、スター選手を集めることよりも、弱点強化に力をいれ、コンビネーション、声かけ、献身さなどの円滑にしてくれる選手がより必要であるとのこと。


当たり前のことなんですけどね。でも、高いレベルや予算が多いチームになればなるほど、疎かになっていくことですよね。


そして、サッカーという11人のスポーツだけではなく、色々な組織や集団で闘ったり、業績をあげていく上でも同じことが言えるかもしれませんね。


テレビで、シンクロの井村コーチが素晴らしい事を言っていました。


『大人でも、子供でも、苦しいとき、キツいとき、弱音を吐くもの。そして、諦めようとする。

しかし、そこに、一言なにか声をかけることで、またやりはじめるのです。』


自分自身でここが極限や限界だと思っていても、なにかの一言によって、頭がリセットされ、またスタート地点だと発想が転換されたりする。誰であっても、人間はそういうもの。

選手を取り巻く人達すべてが、そうであると素晴らしい集団だと思う。


http://m.fifa.com/world-match-centre/news/newsid/243/719/6/index.html?intcmp=fifacom_hp_module_news


アギーレ監督が、観戦したJリーグの試合をフレンドリーマッチのような試合だったとの感想。


この間、久々にJ1を久々に観戦しましたが、ゴールを守るばかりで、ボールを奪いに行かない。それによって、攻撃するチャンスも非常に少ない。


こんな孤島のリーグで、このような質のサッカーで、果たしてレベルアップしていくのか?


最近みたプレミアリーグ、ブンデスリーガ、スペインリーグ、ブラジルリーグ。守備の時、どこも前からかけるプレッシャーが半端ない。


このプレッシャーの中で、『使える技術』と『ぶれない技術』の習得が、日本サッカーの急務な課題だと思う。お互いに、レベルを上げていくために、お互いが激しく、厳しく、全力で戦っていかない限り、世界との差が離されていく一方だと思う。








同じ1点でも、その価値は違う。

引き分けの状態からの勝ち越す1点。
同点に追い付く1点。
引き離す追加の1点。

勝ち越す1点と追い付く1点の価値に甲乙をつけるのは、難しいが、この両方は、追加点より価値は高いと思う。

その理由は、試合状況に応じたストライカーの精神状態が加味されるからである。明らかに、張りつめた緊迫状態で得点をとる方が難しいので。


この視点で、ストライカーをスカウトすることはすでに始まっている。ただ単に得点ランキングだけでは見えてこない部分だ。Jリーグもそういう視点で得点ランキングを換算しなおすとまた違って見えてくるから面白いかも!



これは、ぼくの勝手な意見ですが、なぜ日本ではサッカーの練習を一般に公開するのだろうか?


エンターテイメントととして、作品ができるあがる過程を露出するのは、なにか違う気がする。


映画、コント、舞台、絵画、音楽などの製作過程、練習過程をすべて見せるわけがない。その中には、意図、戦略、流れ、脈略など重要なエッセンスが満載だ。


また、その過程には、作り上げる人達の苦悩、努力、反発など、作品からは想像もできない世界が存在する。苦しんだり、もがいたり、頑張ったり、見せてはいけない姿がある。


エンターテイメントは、できた作品を評価されるべきであって、作る過程に目を向けさせるべきではない。


それは、スポーツも全く一緒だと思う。スタジアムで起きる作品だけを評価されるべきであり、それが全てだと思う。






ヒトは、起きなかった出来事を評価することは、非常に苦手である。

起きなかったことの原因を軽視し、起きたことの原因を重視する。


この見方は、サッカーにも影響する。

例えば、タックルしたことをタックルしなかったことよりも高く評価してしまう。タックルしなくてもよいポジショニングと状況判断が高いだけかもしれないのに、タックルした方に目がいきがちとなり、そちらを評価してしまう。


吠える犬は、吠えなければいけない状況に陥った犬である。状況判断が優れるということは、吠えない犬であるということ。吠えない犬に目を向けるのは、非常に難しい。





先日見てたドキュメンタリーから、感じたことです。

『作品を作り上げるということ。』

それは、映画監督であっても、コントをつくる監督であっても、サッカーの監督であっても、すべて一緒だと思いました。

出来上がるまでの過程には、苦しんだり、悩んだり、苛立ったり、罵倒したり、激しくストレスと感じたり。

やはり、作品ができるまでは、綺麗事で済まされるはずがないのです。

小中学生のサッカーは、さておき、勝負の世界では、『褒めて、伸ばそう』なんて言う生半可で、綺麗事が通じる世界ではないのです。

すべては、必死に、全力を尽くし、成功と呼べる結果や賞賛を浴びるのは、どの業界でも、一握りかもしれませんが、それに向かって、同じように沢山の人達が、サバイバルしている世界なのです。





関係ないですが、タイ料理ランチ~(^o^)










例えば、宝くじだったら、買った番号と当選番号が一致して初めて当りです!

番号が少しでもずれていたり、違う回に買った宝くじが、今回の当選番号と一致しても、なんの意味も持ちません。

つまり、売る側が毎回当選番号をきめ、売る側がつねに主導であるということ。


極端な例かも知れませんが、スポーツや会社でも同じことが起きています。

いくら選手が良いものをもっていたとしても、選ぶ側が見ているタイミングが重なり、その上で選ぶ側の基準を満たさない限り、当選はありえないのです。

宝くじを買う側、サッカーでいうなら、選手側に主導権はないのです。宝くじの売る側、選手を選ぶ側に、当選を決める権利があるわけです。

スポーツや会社などの組織において、しばしば自分で当りを決めちゃうことがおこりますよね~(*_*)