『金正男 独占告白 (2012)』 | 韓国語教室 とるめんい川西

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2005年から兵庫県川西市で韓国語を教えています。

東京新聞の五味洋治氏と金正男がやり取りしたメールが公開されています。
正男氏のコモブ(叔母の夫)である張成沢氏や
今やその名を轟かせた異母妹、ヨジョン氏の名前も出てきて興味深いです。

『父・金正日と私~金正男独占告白』五味洋治(2012年)文芸春秋社
https://www.amazon.co.jp/%E7%88%B6%E3%83%BB%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5%E3%81%A8%E7%A7%81-%E9%87%91%E6%AD%A3%E7%94%B7%E7%8B%AC%E5%8D%A0%E5%91%8A%E7%99%BD-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BA%94%E5%91%B3-%E6%B4%8B%E6%B2%BB/dp/4167907194/ref=sr_1_6?s=books&ie=UTF8&qid=1525611673&sr=1-6&refinements=p_27%3A%E4%BA%94%E5%91%B3%E6%B4%8B%E6%B2%BB

以下、内容です。

元々は2004年9月に北京の空港で取材中、偶然に金正男に遭遇し、
時間がなくて各社名刺を渡した。

2004年12月に突然メールが来て(複数の記者に送ったと思われる)
12月3日、4日、5日、6日、7日と毎日のようにやり取りをした。以後、音信普通。
(自分を本物かどうか疑ってる人がいるからという理由)
五味記者は2007年にその時の内容を雑誌に発表。

そして2010年10月に「何の前触れもなく」また違うアドレスからメールが来て
2011年12月までメールのやり取りが続きます。その間、中国での対面インタビューにも2回成功。

金正男はメール内容やインタビュー内容は、書いてくれもいいと言っていた(最初は)。

しかし一回目の対面インタビューが東京新聞に載った後(2011年1月)
金正男は北朝鮮から「重大な警告」を受けたそうです。
それなのに五味記者を気遣ってる。注意するから大丈夫と。
その後もメールを続けるんですね。

そして急展開。2011年12月に金正日(北朝鮮の当時のトップ、正男・正恩の父)が急死。
2011年の年末に交わされたメール。
五味記者「私はこの時期に、あなたの考えをまとめて発表しようと思っています。」
金正男 「この時期に新しいニュースが出ると私の立場が不利になります。理解してください。」

それにも関わらず、五味記者はこの本を出版。(2012年1月)
はしがき
「まさにこのタイミングで、北朝鮮の人たちや朝鮮半島に関心を持つ多くの人に伝えたかった。
 正男氏も、私のこの気持ちを理解してくれると信じている。」

でも実際に(最終的に)起こったことは・・・
あれは2017年2月でした。
衝撃的なことでした。

金正男氏はあまりにも人懐こくて、好奇心旺盛な方だったようです。
おとなしくしていれば良かったのに、自分の存在をアピールしたかったのか。
それも父・金正日が生きている間は許されたかもしれないが。

残念ですね、って言葉では言い切れない感じ。
本人のメールの文面(日本語訳ではありますが)の人の良さを見ると
同情を禁じ得ません。
それと五味記者についても、考えを切り替えないと生きていけないほどショックではないかと
推測します。その後も活動はされています。


五味洋治氏の記者会見
http://logmi.jp/189361