「地元集中」という受験指導 | 韓国語教室 とるめんい川西

韓国語教室 とるめんい川西

2005年から兵庫県川西市で韓国語を教えています。

以前の記事にチラッと書いたことがありますが、

私は実家のある町で高校進学の際、高校選択の自由がありませんでした。

家から一番近いK高校に行くしかなかった。

中学の先生がそういう指導を徹底していたので、そんなものかなーと思ってたし

当時は15歳、先生の言うことに逆らうことは難しかった。

姉がいるのですが、先生が家にまで押しかけてきてK高校に行けと

説得に来ていたのは知ってたので、私の時はおとなしく先生に従っていました。

20分ほど電車に乗ったら行ける、大学進学率の若干よいH高校に行くことは禁じられてました。

実際には学年で3名、先生の説得を振り切ってそっちに行ったんだけど、

私は最初からあきらめてた感じ。

なのに担任の体育教師に「おまえ直前にH高行くって言い出すんちゃうやろなー」って疑われて

気分悪かったです。

皆さんには中学のメンバーがそのまま高校に上がる感じを想像してもらえればいいと思います。

大体クラスの半分以上が就職し、あとは専門学校や短大などに進み、

大学進学者は学年に数人、4年大国立に進んだ女子は私だけでした。(一浪ですけど!)



大学進学後、周りの子たちが皆、その地域の「進学校」と呼ばれるところの出身なのでびっくりしました。

なんだか自分だけがしなくてもいい苦労をしたと思いました。



小学校や中学校の頃は良かったんです。

小学校の時は放課後に友だちと日が暮れるまでドッチボールをして遊んだ。

中学校の時は部活や男の子の話、芸能人の話など、友達と一緒に騒いで楽しい毎日でした。



でも高校は、同じメンバーが進学しているにも関わらず、関係が変わってくるんですよね。

自分自身の将来を考えるようになり、だんだん話が合わなくなる。勉強の話もできない。

共通一次試験の前の日でも郷ひろみ(古い!)の話を聞いていなければならない世界でした。



あれは何だったんだろう?

高校って義務教育じゃないから、選択の自由があってしかるべきなんじゃないんかな?

ずっと疑問でした。中学の先生に問い詰めたい気持ちが今もあります。

当時の時代のノリで「15の春を泣かせるな」って言って

成績の良い子供たちに犠牲を強いた。

なんでも全員が家から一番近い高校に行けば、高校がランク順になることもないので平等になり、

成績の悪い子がランク下の高校というレッテルでみじめな思いをしなくてもよくなる、

という主張だったと思います。

職員室に「赤旗」がよく置いてあったので「日教組が強かったんだろうな」とは

おぼろげに思っていました。




そして35年の年月を経てつい先日、ネットでこんな言葉を見つけたんです。

【地元集中受験指導運動】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%85%83%E9%9B%86%E4%B8%AD

これだったのか・・・。

こういう名前があったとは知りませんでした。

70~80年代に日本の一部地域で組織的に行われていた高校受験の際の進学指導です。




ひどかった。。。

中学の先生は、「電車に乗る時間あったら、その時間勉強できるやないか!」と姉を説得していましたが

周りの雰囲気って勉強の面だけじゃなく、精神面の成長にも大きな影響を与えると思うんです。

義務教育でないにも関わらず、自分のレベルにあった高校に行けないのは不幸でした。

当時のK中学の先生は自分たちのしたことを反省してほしいです。

 ≪追記≫

私の学年1つ上に、K高から京大にストレートで入った異種女子がいたけど、その子も悲惨な感じだった。「地元集中指導」はその後の人生にも悪影響を及ぼしたと思います。その子は中学校の卒業文に書いてた、「これから3年間独りぼっちだなあ!」 大半が就職する高校で友達付き合いしていたら京大に行けませんからね。

 

私自身は一浪したので、予備校で同じ目的を共にするクラスメートと1年でも勉強できて良かったです。生まれた場所と時代が悪かったとしか思えない。



こんなブログ記事もあります。(他のカテゴリの主張は私とは違いますが)

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid749.html

リンゴさんや宇治原さんが体験を語っています。

彼女たちは先生に従わなかったそうです。エライ。

私は和歌山の郡部の田舎だったので閉鎖的だし、逆らえなかったなー。

(ちなみに和歌山市は大きな街なのでこのようなことはありません)

生まれた所が悪かったと思います。

ちょうど実家から徒歩圏にK高校があったのがさらに悪かった。

現に電車通学になる隣町からは成績優秀者は少し遠いH高、それ以外はうちのK高に流れて来てて

実質選べてたみたいですから。K中だけが全員K高だったんです。



今はもう終息したようだけど。

小・中はいろんな子がいたほうが面白いと思いますが、

高校からは自分のレベルに合った学校に行くのがいいと思いますね。

一部地域だけに限ってそのような指導が組織的に行われていたなんてね~。

罪づくりなことです。