最初に就職した会社を辞めたあと、2週間バンコクを歩き回った。
1992年2月。
当時は飛行機チケットが高かった。往復で10万円だった。
おまけに乗り換え便。(ソウル乗り換えだった)
ソウルで乗ってきた韓国人旅行者たちと一緒になった。
私の隣の席に、彼らをとりまとめる添乗員のオジサンが座っていて、
バンコクに着くまで色々韓国語で話をした。
飛行機が夜遅くバンコクに到着するので、
市内に行くバスの便に間に合うか心配だという話をしたら、
自分たちの団体バスに一緒に乗ればいいと言ってくれた。
ソウルで飛行機に乗り換える時に話を交わしていた大阪の男の子と
ドンムアン空港の到着口で一緒になった。
(実は梅田から空港バスに乗るときから同じだった。
リュックにアルミコップをぶら下げていて、空港バスの中でたこ焼きを食べていたからよく覚えていた。)
その子と一緒に韓国人添乗員のオジサンを探したが、
結局オジサンを見つけることはできなかった。
バンコク市内までどうしようか?
二人で途方にくれた。
夜の12時近かった。
エアポートホテルに一応行って、値段を尋ねてみたが、
私たちバックパッカーには想定していない、何万円という価格。
うろうろしていると
幸い、市内行きの最終バスがすぐに出発することがわかり、
二人であたふたと乗った。
窓ガラスのない乗り物だった記憶がある。
風が心地よかったから。
窓枠に肘をのっけて流れる風景を眺めるが、
暗くてよくわからなかった。
日本は冬なのに、ここは夏。
生暖かい風が爽快だった。
これからどんな旅が待ち受けているかワクワクした。
1時間ほどで無事市内(ポアランポーン駅だっけ)に着き、
「地球の歩き方」でチェックしてあった安宿を探すことになった。
あたりは真っ暗だし、私も彼もバンコクは初めてだったので、
地図を見ながら「ここがここで・・・」と言い合いながら一生懸命探した。
「ぐるぐる回る○月○日」というヘンな地名の近くだった。
やっと見つけたが、空き部屋がなかった。
一帯はチャイナタウンで、人気もなくて怖かった。
そこのホテルの人に紹介してもらい、豪華ホテル(私たちにすれば)に移動し、
部屋を確保した。
安旅をモットーとしていた彼も予想外の出費だったろうが、
仕方なかった。エアポートホテルよりはましだった。
ホテルの人は私たちを連れだと思ったらしく、一つの部屋に案内しようとしたが、
「部屋二つ」と言って訂正した。
部屋に入るとクイーンベッド(というのかな?)
それまで見たことないくらい大きなベッドだった。
二人寝てもありあまるだろう広さ。
これなら彼と一緒でも大丈夫だったのでは?と苦笑した。(冗談)
そのホテルは3000円くらいだったと思う。
お風呂に入って寝た。午前3時を回っていた。
(つづく)
なお検索によると、「ぐるぐる回る7月22日」は
いまは「7月22日ロータリー」というみたいです。
当時『地球の歩き方』に載ってたのは、
タイ語のもろ直訳だったのね、きっと。