授業で韓国の徴兵制を説明するとき、この話もすることがあるのですが、
この間の授業で生徒に、
「その裁判はどうなったんですか」と聞かれました。
2004年に私がソウルにいた時に、「良心的兵役拒否」が話題になっていました。
「良心的兵役拒否 양심적병역거부」というのは、宗教上の信念から兵役を拒否するというものです。
兵役拒否者に対する裁判がどうなったのか、
なぜ2004年に話題になったのか、一般の人の反応はどうなのか
あらためて調べてみました。
日付のあるものは韓国の新聞記事の翻訳文です。
○は私のコメントです。
■はネイバーで見た一般の韓国人の意見です。
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2002.2.1
「ソウル南部地方裁判所、例外なき処罰を規定した兵役法88条は違憲」
現行の兵役法の規定が憲法上、基本的人権である思想・良心・宗教の自由に反することがあるとして、裁判所が違憲の審判を下した。
裁判部は決定文で、「憲法上に規定された兵役の義務と、基本的人権である思想・良心・宗教の自由が衝突する場合、両者は適切に調和し並存しなければならない。」とし、「兵役拒否者に対する例外なき処罰を規定した現在の兵役法第88条は、良心的兵役拒否者の尊厳と価値、幸福の追求権を侵害する可能性がある」と述べた。
さらに「今やわが国も、宗教的信念のために自ら服役することを選んでいる良心的兵役拒否者に対し、憲法的に検討する段階に来ていると判断される」と付け加えた。
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2004.5.21
「良心的兵役拒否、初の無罪判決」
ソウル南部地方裁判所、エホバの証人3名に、注目される上告審判決
宗教的理由で入隊を拒否した兵役拒否者3名に対し、初めて無罪の判決が下った。ソウル南部地方裁判所は21日、軍入隊通知を受けても入隊を拒否し、兵役法違反で起訴されたエホバの証人信者3名に対し、無罪を言い渡した。
判決文で、「兵役法では正当な理由なく入隊・召集に応じない者を処罰するようになっているが、兵役拒否がただひたすら良心の決定によるものであり、良心の自由という、憲法で保護される対象に十分なりうる場合は、正当な理由に該当すると見ることができる」と述べた。
○ 上の無罪判決が2004年当時、論争を引き起こしたようです。
はたしてその後の上告審の結果は・・・?
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2004.7.15
「最高裁判所、良心的兵役拒否、有罪確定」
最高裁判所全院合議体は15日、良心の自由を理由に入隊を拒否し、兵役法違反の容疑で起訴されていたエホバの証人、チェ○○氏(23)に対する上告審公判において、懲役1年6ヶ月の実刑を言い渡した原審を確定した。
判決文で、「良心・宗教の自由は相対的自由であり、良心的兵役拒否者に刑罰賦課以外に代替服務制度を許可しなくても、これは立法者の広範囲な立法裁量に該当するものなので、過剰禁止や比例原則に背いたととはいえない」とした。
下級審で異なる判決が出て社会的論争になっていた良心的兵役拒否事件は、これで一段落することになる。
チェ氏は去る2001年11月ソウル地方兵務庁長から論山陸軍訓練所に入隊せよという現役入隊通知書を受けても、正当な理由なしに入隊しなかった疑いで起訴され、1審と2審で懲役1年6ヶ月の判決を受け、上告していた。
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2004.8.26
「良心的兵役拒否の処罰 兵役法88条 合憲」
憲法裁判所の裁判部は26日、宗教的信念を理由に入隊を拒否した疑いで起訴されたイ○○氏が「代替服務による良心実現の機会を与えない兵役法条項は、憲法上良心の自由を侵害する」として提出した違憲審判申請を受け入れてソウル南地方裁判所が提起していた違憲審判申請事件で、7:2の意見により合憲決定を下した。
最高裁判所が去る15日に全院合議部を開き良心的兵役拒否者に対する有罪確定判決を下したのに次いで、憲法裁判所が兵役法条項が憲法に合致するとする決定を下したことにより、今回の良心的兵役拒否問題を巡る論争は一段落した。
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○結局、最高裁判所で有罪判決が確定し、
「兵役を拒否すれば刑務所行き」というのは今も変わっていません。
それでは、一般の人々はこれについてどう思っているのでしょうか。
インターネットより、この問題に関する意見を翻訳してみました(一部抜粋)。
以下はある青年の意見です。これが若い韓国人の一般的な意見ではないかと思います。
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■僕は彼らは深刻な理想主義者であり、利己主義者であり、卑怯だと思います。
僕を始めとして軍隊に行ってきた人には良心がないというんですか。人を殺す射撃などの技術を好き好んで学んでいるとでも?僕たちが良心がないのでは絶対ないのに、彼らだけが特別に「宗教的な信念と良心」という理由で軍隊を回避するのは、それ自体が納得いかないし、卑怯だと思います。
わが国は分断という現実を抱えており、個人の自由や人権が優先されてはならないと思います。国が存在し、民族が存在する時のみ、個人の自由があり、個人の人権が存在するということを彼らはなぜわからないのでしょう。
軍隊に行ってきた人、今行っている人、これから行く人…みんな良心を持っているし、宗教を持っている人もいるし、軍隊に行くのが嫌で拒否したい気持ちもあるけれど、個人の自由や人権を言う前に、国家や民族、家族やもっと次元の大きなものを考えて、無理にでも行くのです。
兵役拒否者は国家や民族のことを考えていない。自分のことばかり考えている利己的な人々ではないか。
誰も軍隊なんか行きたくない。個人的な人権や自由意志で行かなくてもよくなったら嬉しいけれど、上に書いたように、わが国は一時的な休戦状態で、分断の事実を経ているということを考えれば、みんな自分の自由や人権を理由に軍隊に行かなくなれば、敵からの攻撃を誰が防いでくれるのでしょうか。これによって生じる国家的危機はどうするのか
また、個人の自由と人権を保護するために徴兵制を廃止して募集制度に変えたとしたら、大多数の人々が行きたがらない軍隊の人員数が減るのは間違いない。そしたらどうやって欠員を埋めるのか。たとえ給料を良くし、福祉で優遇し、軍人の数を増やしても、それだけ高額の軍事費が税金から当てられることになるでしょう。現在の我が国の経済状況と庶民の生活を考慮すれば、それが可能とは思えません。
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○ この「良心的兵役拒否」というネーミングは
「宗教的兵役拒否」に変えたほうがいいと思います。
良心的なんて言われると、カチンとくるのは当たり前ですよね。
○ そして上の意見に対する他の意見です。
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■彼らが悪いとは言えません。人によって考えは違うものです。
ただいつの時代、どの国でも守らなければならない法があり、大韓民国は兵役義務を履行しなけらばならない法律があります。拒否すれば刑務所行きです。 
 私も良心的兵役拒否に反対する立場です。
まず彼らを何の基準で区分するかが曖昧です。客観的な区分基準があるでしょうか。
知能指数のように良心指数というものがあれば別ですが、人の良心を測定できる科学技術はまだ開発されていません。宗教的信仰度を客観的な数値で表現できる方法がありません。単純にその宗教を信じているといって全部認めてくれたら、ものすごい混乱が起こるでしょう。
 平和を嫌う人はあまりいません。しかし他人が殴るのに、殴られたままでいるわけにはいきません。自分が殺されないためには逃げるか、戦わなければなりません。
平和を好むので軍隊を拒否する― これは矛盾です。
先に言及しましたが、どの時代、どの国にも守らなければならない法があります。
法は守らなければならないものであり、それに違反すれば当然それに伴う責任を負う必要があります。
彼らが主張するのは宗教的信仰を守りたいということです。それは強制力を持った規則ではありませんが、ただ兵役拒否者が主張するのは
刑務所を避けるというのではなく、どうせ刑務所に行くのなら、国家に寄与する仕事をするのがいいのではないかということです。だから代替服務制度という新しい制度を導入せよということでしょう。
 代替服務制度について簡単に説明すれば、
先進国の場合、兵役期間の1.5倍以内でその期間が決まります。韓国では陸軍が2年ですが、代替服務を1,5倍の3年程度にすればいいのではないか。しかし、兵役は2年きりではありません。除隊したあとも予備軍(1年に数回の召集訓練)が7年、その後も民間防衛訓練があります。それにもし戦争が起こって死んだら、それを何で補償しますか。代替服務者が補償してくれるものが何かありますか。そう考えれば代替服務は10年くらいは必要でしょう。
彼らの主張が妥当だとしても、わが国の事情とは相容れません。
わが国は休戦状態です。いつ戦争が起こっても不思議ではありません。
また平和は力のあるものが享受することができる特権です。力のないものは平和もないと見るべきでしょう。軍隊というところが他の国を侵略するため集団なら拒否することも理解できますが、平和を守るために私たちを守ってくれるところなのに、反対するのは理解に苦しみます。