ここ数年、とりわけロシア、ウクライナ紛争を機に見えてきたことがある。

 

1990年以降、旧西側陣営(もちろん日本も含む)から見ている世界観では、地域、民族間紛争はあっても大国間の紛争は今後起こることはないと考えられてきた。

西側陣営(自由主義陣営)は、旧東側(共産主義)陣営とも経済的交流を深めてきた。

その流れの中で、国内自給を気にしなくなり旧共産主義陣営からエネルギーを依存したり、食料を大量輸入したりしてきた。

もともと、食料自給率も、原油、鉄鋼、アルミニウムその他の鉱物資源がほとんどない日本ですら「made in Japan」の強みを捨て海外で製造ですら行うようになり既に30年ほど経過した。

「鉄は国家なり」という言葉もあるが、アメリカでさえ造船、自動車などは海外勢に負けており、鉄鋼、自動車、造船分野では自給自足できていない。

 

一方、ロシア・中国などは、食料、自動車、造船、航空機などの分野で自給自足できるように着々と準備が整ってきている。

 

ウクライナ紛争が起きた時、ほとんどの評論家は2か月から3か月で戦争は終結すると話していたが、実際はそうはならず戦争状態が続いているのは、ロシアがほとんどの経済分野で自給自足ができているから戦争を続けることができるのである。

 

トランプさんは、かなりめちゃくちゃな政策をとっているようにも思えるが、アメリカ国内に鉄鋼、自動車、造船などの産業を回帰させるために、アメリカの産業に世界中から投資をさせようとしている。これは防衛の観点でみると極めて正しい。

 

日本はとりわけ防衛の観点で見ると、何も手を打てていない。

・食料、鉄鋼(自動車、航空技術)、サイバーセキュリティ、ドローン、半導体ととんどの経済分野に於いて海外製造、輸入に頼りっきりある。

・自衛隊の法整備もできておらず、事実上自衛隊が他国と交戦状態に陥っても一方的に攻撃されても攻撃し返すことはできない。

・自衛隊の技術面においても、他国からのミサイル攻撃に対し、そのミサイル(弾道ミサイル)を空中で撃ち落とすと防衛省は話してきたが、実際にそんな実験や演習を行っているわけではなさそう。

・北朝鮮などは、大陸間弾道ミサイルの発射実験を年に2回ほど十数年にわたり行い続けているが、日本はそんな技術開発もできておらず、民間の人工衛星発射では、発射直後に爆発するということが立て続けに発生しており、技術力不足が明らかで、下手をすれば北朝鮮以下である。

・経済に係る分野で防衛に直結しそうな分野でも法整備がなされていない。(中国はお金さえあれば日本の土地をいくらでも購入できる)防衛省の500メートル以内のマンション、自衛隊基地、アメリカ軍基地近隣の土地でさえ、中国人は自由に購入することができる。その中国は、中国人が購入した海外の土地を政治的に没収することができる。

 

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という状況の中で、日中間で政治的にトラブルが起きても、交渉できるカードは日本にはほとんど無い。

日本国内の世論が勇ましいことを言っても、切れるカードはほとんどないので、政府が悪い・高市政権が悪い、自民党が悪いという論調も必ず発生する。中国がたて続けに外交カードを切ってきているのは、まさしく日本国内で「高市政権が悪い、政府が悪い」などの論調を引き起こすためである。

今までは、同様な事態が起きた時、すぐにリベラルメディアが自国の政府・政権を批判し、世論もそれに同調してきたので、中国もすぐに矛先を収めてきたが、今回はやや違う。高市政権の支持率は高いままだ。だから、中国はより強いカードを切って、日本の論調がどう変化するかを見定めてるのではないか、というように見える。

 

急いて、あらゆることに手を打たねばならない状況なのに、国会議員の定数削減やら、物価対策やら、どうでもいいとは言わないが、目先のことにとらわれすぎである。

 

おお怖い。

とりわけ、今後株式市場がどのように変動するかが見えてこない。

日中関係が悪化し続けたら(まあそれでもいいのだが)、スーパーインフレが起こる危険性もある。

 

本来ならば急いで行うべきは、中国で展開する日本企業に国内回帰を推奨すること、法人税を大幅に引き下げ、国内での製造、生産を行えるようにすること。さらにはそのための人材を確保するための法整備・特区を作り短期的な外国人を受けいれ、その国とは、安全保障上でも強固な関係を築けるよう立体的な交渉を行うこと。ロボットAIを国家をあげて技術開発し、人手不足を補えるように推進すること。

中小企業の合併を推進させ、中小企業でも技術革新取り入れられる環境を整備すること、などを早く行ってほしい。

 

目先では外貨を獲得しやすい観光業というものもあるが、観光業界は国家間紛争が起きれば一発でアウト。脆弱な産業なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

民間企業にも理念やら社是やらが存在するが、大抵は社長や経営層の自己満足であるので、一般社員は興味もなければ、存在すら知らないこともある。

 

一般企業は、売り上げが達成できないと組織存続が難しくなるので、理念やらがあっても普段の活動の中では、それはそれとして、、となることは自明の理である。

 

しかし、市役所などの公的機関では違っているはずである。

市役所の中での経済支援などの部門ではそうでもないかもしれないが、福祉部門では理念が生きていなければ、そもそも困った人を助けることなどできない。

市役所の福祉課に短い期間だが勤めてきて、国が定めた法律に則って市民を支援するのだが、窓口対応の言葉の使い方ひとつで、支援を受けさせないように仕向けることは至極簡単なことであった。支援を受けさせなければ、税金を使わずに済む。

これを”水際作戦”と呼ぶらしい。

支援を受けさせないように=税金を使わないようにするために、水際で食い止めることを指す。

 

これは、実際に役所のそこここで行われている。

恐らく組織的にではなく、市役所職員の個性で対応にばらつきが生じるのである。

国が国民=市民を助けるために様々な施策を立案実施するが、そのほとんどは市役所や区役所の運営に落とし込まれる。

市役所の職員は、理念などは関係なく、国や県から送られてくる大量のマニュアル、仕様書、報告書、Q&A,、手続き・記載方法を正確に行うことを仕事にしているので、その制度や施策の背景や理念にはほぼほぼ無関心なのである。

 

要は資料も読むのも面倒だし、相談者も面倒な人たちばかりなので、まとも対応していると疲弊するのであり、疲弊せずに仕事を続けるには、理念などは関係なく、ダメなものはダメ。

ちょっとした申請の仕方の違いで、経済支援が受けられる、受けられないの合否も変わってくるのだが、、、。

 

市役所や区役所の末端職員に判断業務をゆだねるのは、その制度の理念が損なわれている危険があることを国は知っておく必要がある。

改善するには、これらの市や区が現在実際に行っている細かな判断業務を国が設定したAIが判断するとことにより大幅に標準化され運用精度が上がるだろう。

 

しかし、これはおそらくかなり遠い先の話になると思われる。

役所はコンサバでイノベーションがなく、事なかれ主義の塊だからである。

 

もっとはっきり言わせてもらえれば、市や区役所の小役人ごときに、種々の判断業務を任せるべきではない、判断業務を取り上げ、国が管理・監督すべきだ。

 

 

 

 

 

さて、イヤーだった仕事。

サクッと退職届を出し、12月で辞めることにした。

 

ちょっとスッキリしたが、これからが大変かも。

 

福祉を掲げてはいるが、理念なき組織はホントに空虚な組織だった。

奈良に戻ってきてから、就労困難者に対する就労支援をしてきた。

東京にいるときには、まず知り合いになることはないだろう人生の辛酸をなめた人達と多く接触してきて、こんな人いるんだなと思ったものだ。

 

しかし、対象者は就職できる可能性がある人たちだった。

 

今は、就職出来る可能性がほぼ感じられないような人たちを対象にした支援をさせてもらっている。

 

これは、大変なストレスである。

 

福祉という仕事は、それらの困難者が人間として最低限の生活を保障するための手助けをする仕事のはずである。

ところが、そう簡単ではない。

そう簡単ではないから、矛盾があるのである。

 

実に嫌な仕事だ。やってられん。

 

精神保健福祉士という資格を取得して仕事をしているのだが、もう嫌になってきている。

自分はもともと転職回数も多いし何かと問題の多い人間なのだろうが、前回の病院も数か月で辞めているしもうちょっと頑張ろうと耐えている。

 

今の仕事も、言葉に出来ないくらい矛盾に満ち満ちている。

資格取得時に、福祉職におけるある種の理想を学んでいるわけだが、

そう簡単ではない。

仕事内容も、組織も、組織を構成している人間にも理想とは正反対の要素が

多く含まれていおり、「やってられん」と感じることが多い。

 

これは、どんなに頑張っても1年かなあ、と感じ始めている。

 

昨日、精神保健福祉士として初めて自己研鑽となる大阪精神福祉士協会の講演会に参加してきた。

講演会の中で日本精神保健福祉士協会の会長が、「われわれの先輩たちが切り開いてきた道」や「現実と戦ってきた先輩たち、、、」という言葉を何度も聞くことができた。

 

淡々と講演されているのだが、僕が今感じている矛盾ややるせなさ以上の矛盾に満ち満ちた現実を経験をされてきているんだろう。

 

自己研鑽も必要なわけだ。

この先どうなるかはわからないが、勇気づけられた講演会だった。