前回のブログでつい書いてしまったのだが、

会社を辞めるときに、ついその会社の悪口を言いたくなる。

これはもう病気の域だ。いかん、いかん。

 

ついこうなってしまうので、学びが少ない。

 

奈良に戻り、今まで働いてきたのは、障害者を含む就労困難者に対する就労支援。

東京で仕事をしてきた時の見方をすれば、

その対象者は、すべて”いわゆる負け組”の人たちである。

仕事で自己実現することが難しく(もちろんこれは勝ち組の人の見方である)、

報酬も少ない。

 

それでも、人は働き始めることができると、少しづつではあるが生き生きとし始める。

 

引きこもりや、種々の事情で働かなくなると、友達に正直にそのことが言えなくなり

経済的な問題も出てくるので、友達と会わなくなる。

友達が減ってくると、自分の悩みやフラストレーションを吐き出す場所がなくなり

前向きな考え方ができなくなる。

就職活動でも、明るく元気に話すことができない。自分のポジティブ面を出せなくなる。

就職できそうなスキルを持っていても、なかなか受からない。

 

そんな人たちを大勢見てきた。

 

人が人らしく生きる要素は3つ。

・家以外に定期的に行く場所があること。(学校や職場や、それ以外でもいい)

・友達がいること。(少なくてもいい)

・趣味があること。(立派でなくても、コロコロ変更してもいい)

おぼろげなくとも、立派でなくても、この3つがあれば、それなりに楽しく生きていける。

 

友達となんか会いたくないなあ、、、と思い始めたら

ちょっと自分に黄色信号が出ているのかもしれない。

 

来月から働く仕事場は、今まで以上に大変な場所だと思う。

 

なんと生まれて初めて制服を着て働く。制服だぜ!!

コメディカルなんだから!

通勤時間1時間30分で、あと10年働けるのかなあ?!

 

 

 

 

 

 

 

大阪の老舗の精神科病院に採用が決まり、

8月からあたらな生活が始まることになって、、、、しまった。

 

通勤に1時間半ほどかかる守口市にある病院で、正社員で65歳までの雇用。

再雇用で70歳まで働くことができる。

 

60歳以上で働くことについては、賛否あるだろうが、

この年で新しいことにチャレンジできるのは実はかなりうれしい。

どうやら同じ職場では、僕が最年長になるらしい。

しかし、うれしいことに是非来てくださいと言われていて嫌な気はしない。

 

奈良の桜井の田舎企業と離れるのも爽快な気分である。

そうそう、この「やや爽快な気分」は会社を辞めるときに

時折感じる気分で、ちっぽけな感情の一つなのだが、

毎日、通勤時に郊外の方に向かって、大方の人の流れに逆行し、

土曜日などは、登山客と同じ流れで通勤してきた、何とも言えない複雑な感情

とおさらばできるのは、本当に本当に爽快な気分である。

 

さて、まあちっぽけな話はどうでもよく、

今までで一番読みのきかない転職となる。

なにせ、入院設備のある病院スタッフで、制服を着ることになるのだ。

生まれて初めて、制服を着て働く。なにせシニア体型ーこれはこれで不安もある。

資格は取得したものの知識は圧倒的に不足している。

 

パラレルワークも楽しかったが、これで終了。

キャリアコンサルタントからも(当面?)卒業することになる。

 

 

 

父親の様子はすっかり落ち着ていて、5月末あたりから急に何かを変えたくなってきた。

精神保健福祉士という資格で働いてみる?というある種の冒険をしたくなってきたのである。

 

キャリアコンサルタントと精神保健福祉士の両方に関係した領域があって、その領域での転職だと

実かかなり有利なのだが、その領域には少しも興味がわかない。

その領域とは、精神疾患などを抱えた方の、就労支援や、就労トレーニングになり、その専門の団体や、

就労移行の際の手続きやカウンセリングを行う団体や役所になる。

 

しかして、精神保健福祉士のど真ん中の業務領域は精神病院なのである。

ここは、僕にとっては全く未知の領域。

病院も上記の機能を有している大型の病院もあるのだが、病院業務は疾患そのものと直接、相対することになる。

少し恐怖もある。

 

しかし、6月から病院領域に向かって転職活動を始めた。

3医院受けたが、一つは落ちて、今週末あたり、残りの2つの病院から返事が来る。

面接時の感触は悪くないが、59歳で資格はあるが、実務経験なし、、、これで通用するの??

 

 

この時期、必ず東京に遊びに行っていたのだが、

今年は、父の介助があるのであきらめることにした。

2~3年前は、この時期でも新幹線はガラガラで、良いホテルも安く泊まれた。

今年はもちろん全く違う。

 

2月の最終日に父が帰ってきて、

3月、父と過ごすために1か月間休職し

4月からまた働き始め、1か月が経過しようとしている。

まあ。順調というところだろう。

 

話は違うが、

2月の頭に精神保健福祉士の試験を受けて合格できた。

ここ2年ほど、しょっていた荷物が一つ無くなった感じ。

結構ラッキー。少し気分が軽くなった。

 

仕事は、週4日の若者サポートステーションの就労支援と

月3日から5日の訓練対応キャリアコンサルタントの仕事のダブルワーク。

これらはキャリアコンサルタントの仕事。

ちょっとだが、今の仕事に飽きを感じ始めている。

精神保健福祉士の仕事をすることは可能になったが、

時間が足りないので、そうするためには何かを辞めなければいけない。

 

3月の1か月間、父の介助でかなり暇だったので、少額だが株をまた始めた。

株売買、カウンセリングの仕事とは全く異質なのだが、

数字を見ているとなぜか飽きない。

 

まあ、再び人生を少し楽しめてるかなあ、という感じかな。

 

なるほど、こんな風に書き出してみると、

自分の気分のマトリックスも見てくるもんだなあ。

 

 

 

3月は1か月間、介護休職を取って、ほぼ休んでいた。

 

父親の面倒をみるわけだが、幸せなことに、介護といっても、

ほとんど自立できてるところまで回復していたので

ご飯をつくるポータブルトイレの掃除くらいで、

良い休暇となった。

2月の最終日に父が自宅に戻り、

3月2週目から、訪問介護、訪問看護に週1回デイケアサービスを入れて

リハビリも行えるようにした。

先週から、介護弁当を頼むようになり、僕がいなくても

訪問介護のヘルパーさんが介護弁当を持って来てくれるので

食事の心配もなくなった。

 

明日から復職する。

ちょっと不安だが、とりあえずはこのやり方で行けるとことまでいくつもりだ。