この時期、必ず東京に遊びに行っていたのだが、

今年は、父の介助があるのであきらめることにした。

2~3年前は、この時期でも新幹線はガラガラで、良いホテルも安く泊まれた。

今年はもちろん全く違う。

 

2月の最終日に父が帰ってきて、

3月、父と過ごすために1か月間休職し

4月からまた働き始め、1か月が経過しようとしている。

まあ。順調というところだろう。

 

話は違うが、

2月の頭に精神保健福祉士の試験を受けて合格できた。

ここ2年ほど、しょっていた荷物が一つ無くなった感じ。

結構ラッキー。少し気分が軽くなった。

 

仕事は、週4日の若者サポートステーションの就労支援と

月3日から5日の訓練対応キャリアコンサルタントの仕事のダブルワーク。

これらはキャリアコンサルタントの仕事。

ちょっとだが、今の仕事に飽きを感じ始めている。

精神保健福祉士の仕事をすることは可能になったが、

時間が足りないので、そうするためには何かを辞めなければいけない。

 

3月の1か月間、父の介助でかなり暇だったので、少額だが株をまた始めた。

株売買、カウンセリングの仕事とは全く異質なのだが、

数字を見ているとなぜか飽きない。

 

まあ、再び人生を少し楽しめてるかなあ、という感じかな。

 

なるほど、こんな風に書き出してみると、

自分の気分のマトリックスも見てくるもんだなあ。

 

 

 

3月は1か月間、介護休職を取って、ほぼ休んでいた。

 

父親の面倒をみるわけだが、幸せなことに、介護といっても、

ほとんど自立できてるところまで回復していたので

ご飯をつくるポータブルトイレの掃除くらいで、

良い休暇となった。

2月の最終日に父が自宅に戻り、

3月2週目から、訪問介護、訪問看護に週1回デイケアサービスを入れて

リハビリも行えるようにした。

先週から、介護弁当を頼むようになり、僕がいなくても

訪問介護のヘルパーさんが介護弁当を持って来てくれるので

食事の心配もなくなった。

 

明日から復職する。

ちょっと不安だが、とりあえずはこのやり方で行けるとことまでいくつもりだ。

9月に入院し、老健に入所していた父が帰ってきた。

3月は、介護休職するとこにして、今日から父との生活が新たに始まることになる。

 

2週間後辺りから、訪問介護をスタートさせて、デイケアサービス少し取り入れる。

 

昨年、父が入院した直後、要介護5に認定され、今に至るが、

今はかなり回復し、数メートルだと杖なしでも歩けるところまで回復している。

 

今年の正月は一人で、元旦からコロナにかかるという、とんでもない年始だったが、

来年の正月は父と迎えるのをささやかな楽しみにしている。

 

 

 

元旦からコロナに罹患した。

 

1日の夕方頃から、何か変、、、と感じ始め、20時過ぎに

今日は早く寝ようと寝床に入ったが、夜中につらくなり目が覚めて

インフルエンザかコロナだなと思った。

2日に病院に行き、コロナ陽性と診断され薬を処方され、4日ほど高めの熱が出て

4日目には熱は引いていった。

ここまでは、インフルエンザとほぼ同じ症状。

 

もう治るな、、、と思い始めた6日目ごろから咳が止まらなくなり、

約2週間後の1月12日、13日あたりに、のどから血が出てきて、声が出なくなる。

これには少し驚いた。

3日づつしか薬が出ないので、

2日にA病院、

6日にB病院

12日にC病院と病院を変え、15日に行った病院でレントゲンとCTを取り

強めの薬を処方してもらい、やや落ち着いてきたが、未だに咳が出る。

これは、なかなか強敵である。

 

 

さて、明日、明後日は精神保健福祉士の試験日である。

昨年秋から、いろいろなことがありすぎて、完全な勉強不足で明日を迎える。

このまま続くと思っていた生活は一瞬にして変わってしまう。

 

9月に父が救急搬送され、入院。

10月末に母が死去。

 

父は、先週病院から老健に転院した。

 

9月初旬までの生活は一変してしてしまった。

 

朝6時過ぎに起床し、

父は朝ご飯を作り、僕は仕事に行く。

帰ってきて、父が晩御飯を作ることもあれば

僕が作ることもあった。

日曜には、父と買い物に行く。

日曜か月曜にはカレーを作る。

日曜夕方には、家族で大河ドラマを見る。

そんな当たり前の日常が大きく変化してしまった。

 

父に何をしてあげられるかが、今後の最重要課題となった。