多摩地方の上水道は戦後に着工したところが多いようですが青梅市は青梅町時代の大正十五年あたりに竣工したようです。はっきりした記述が見つからなかったもののネット情報だと日本水道史には「大正十五年着工、同十六年竣工予定で出願中」とあり、東京都水道記念館には大正十五年に発行された「青梅町水道竣功記念帖」という図書があるとのことです。
青梅町が青梅市になったのは1951年で、青梅市水道が東京都水道に吸収されたのが翌1952年だそうです。
そんなわけで、骨董蓋探しに出かけました。
まず向かったのは取水場。とても急な階段を下ります。
何かの水道施設かと思ったのですがしめ縄があるので違いますね。
川の手前に渋い建物がありました。でもそれらしい蓋は見当たりませんでした。
さっき下ったばかりの階段を上り、さらに旧坂をのぼって浄水場へ。ちょっと庚申塔にご挨拶。
当然ですが浄水場は立入禁止。それらしい建物が見えないのが残念でした。近くにあった墓地を通っていけばもう少し浄水場の敷地内が見えたかもしれません。
お目当ての骨董蓋には出会えなかったので市街地へ向かうことにしました。ただ、水道管のメインルートがわからないのであてずっぽうで歩きました。結局、大きめの排氣弁(空気弁)などの蓋には新しいものも含めて出会えずでした。水道資料館の文献に当たってからこればよかったのですがいつもながらの行き当たりばったり散歩です。
そんななかようやく青梅町水道のものらしき紋章の蓋にたどり着きました。消防署の前にあったのですが何故か文字部が削られています。おそらく左書きで「消火栓」と書いてあったのでしょう。もしかすると青梅市になってからのものかもしれません。右書きだったらもっとよかったのですが。
その後市街地に入るとありました。骨董蓋! これまでに秩父、塩竃、渋谷で見たものと同じデザインの蓋です。結構古いものでしょう。おそらく創設時のものではないかと思います。
一般的なデザインの右書き止水栓はたくさんありました。
左書きや汎用品の右書き蓋も。
量水器の蓋は見当たらなかったのですが専用水道プレートがありました。こうしてみると梅模様の枠の中に水をデザイン化したものが青梅町水道の正式な紋章のようですので最初の消火栓の梅紋章に「水」の文字が入ったものは水道事業が東京都水道に吸収合併されたよりも後の時期につくられた蓋かもしれませんね。
続く。