東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

マンホールや消火栓などの蓋、特に地味蓋を中心に観察しながら歩きまわります。タイトルとは裏腹に都外出没頻度も高いです。

その4で雑なタイトルになりましたがとりあえず箱根の蓋関係はこれで最後です。

 

まずは函館を代表するデザイン蓋から。

色付きの樹脂を流し込んだのではなく塗料を表面に塗ったようなタイプ。比較的初期の頃のカラー蓋なのでしょうね。

 

五稜郭の蓋についてはカラーバージョンの写真がないことに気付きました。見なかったのか撮り忘れか?

 

企業局の入口に展示されている蓋。左から2枚目の蓋は今回見かけませんでした。

 

最初気付かずにこの建物の前を通り過ぎてしまったのですが、教えてもらって無事に見に行けました。建物の外からでも見えるのに何で気付かなかったのでしょうね。下水道局ではなく企業局という名前でピンとこなかったのかな?

それらしいオブジェもあるのに。

 

「マンホールじゃないよマンホールの蓋だよ」というのはマンホーラーの常套句ですが、穴のないところに設置されることが多いらしい「ポケふた」。函館のはアローラロコンとトゲキッス。函館にゆかりのポケモンかどうか不明ですが一応、五稜郭が描かれているのでよしとしましょう。

 

歩道のインターロッキングブロックの模様に合わせてタイルを貼りつけたような蓋をよく見かけますがこのように石畳のイメージを鋳物で表現した蓋は珍しいですね。小さな穴の開いているほうが「雨水」用。別パターンのものもあるようですが見なかったのか撮り忘れたのか...(そんなのばっかり)。

 

 

北海道庁旧本庁舎が描かれているHOKKAIDO 函館土木現業所

役割分担がわかりませんがこの土木現業所のマンホールから函館市のマンホールへと繋がる配管もあるようです。見える地下。

 

こちらは国土交通省北海道開発局。

これは北海道庁?の蓋。あるいは北海道開発局の旧ロゴ?

 

函館市の蓋に戻ります。可愛い「うすい はこだて」

 

汚水も負けていません。函・汚水

 

合流なのでしょうか?「下水」もありました。いずれも柔らかい文字ですね。

何の変哲もない雨水枡の蓋ですが函館にいると創設期のデザインを引き継いで頑張っているようにも見えてきたりして。

 

水道蓋は「その3」でたくさん出しましたが、新しめの奴はこちらで。

 

緑がかった水色の「水道メーター」

水道紋章がなければ下水道の蓋に間違えそうな空気弁蓋。

 

北海道ガス

 

電線共同溝。そういえば通信系や電力の蓋の写真がないですね。存在しなかったのではなく、目新しくなかったので撮らなかっただけかと思います。

 

他の都市の路面電車の線路でもよく見る「大同」蓋。

坂道の真ん中にあったので融雪用の蓋かもしれません。

 

越境蓋。

 

なんとはるか遠く離れた兵庫県三木市の蓋でした。下の写真は以前、現地(三木市)で撮影したものです。

 

次は函館市内の蓋以外の話題にするか室蘭の蓋にするかどちらかにします。

その1で函館市の下水道創設期のマンホールの蓋、その2で教科書「マンホールのふた<日本篇>」に掲載されていたタイプの蓋についての記事を書きましたがいわゆる骨董蓋と言えるものが含まれていたかどうかはなかなかもやもやするものがありました。

 

今回の記事ではその1、2以外で気になった古そうな蓋や他では見ないタイプの蓋などを乗せていきたいと思います。

 

まずは「接」。おそらく水道の止水栓のことだと思いますがこのような表記の蓋は今まで見たことがなかったです。公共の配管から私設の配管への接続部の栓ということなのでしょうが、接続栓とか接続弁という名称も聞いたことがないです。市内の宅地脇でたくさん見かけましたがそれなりに古いものではないかと思います。

縦書きの「止水栓」はこの一枚だけ見かけました。私設の汎用品かもしれません。

 

防水器というものも初めて見ました。なにが防水されているのでしょう。後でも出てきますがこの紋章は函と水を組み合わせた函館市水道の紋章だと思うので上水道に関係するものと思われます。やはり宅地脇でいくつか見ました。珍蓋であり謎蓋とも呼べるかもしれません。字も独特ですね。

 

紋章だけで説明のない蓋ですが二枚目のお弁当箱風の形状から量水器の蓋ではないかと思います。少数ながらこれも宅地脇などで見かけました。

 

紋章部が小さな点の周りに放射状に6本の線になっています。「水」を表しているのでしょうが汎用品でしょうか?一応、右書きのような並びなので古い蓋の可能性もあるかと思いここに載せました。記憶があいまいですが2枚目の黄色く塗られた蓋は地上消火栓に付随した水抜き用かなにかの蓋のようでした。

 

函館水道は横浜に次ぐ日本で二番目の近代水道だそうで、古そうな蓋があるのではないかと期待して、創設期に作られた配水場へ行ってみました。

 

蛇体鉄柱式共用栓は現役でした。おそらくレプリカでしょう。

 

よさげな建物

 

煉瓦作りの建物の紋章は例の「防水器」の水の字と同じような直線的な「水」ですが石積みの建物には函水の組み合わせの紋章がついていました。

 

で、肝心の蓋ですが、敷地内にあったのは例の親子蓋たちでした。それなりに古いものだとは思いますが創設期のもと言えるかどうかはかなり怪しい見かけでした。この網目模様は明治33年創設の神戸の骨董蓋とも似ていますが、あれほどの古さは感じないですね。

 

他にこれはという蓋は見当たりませんでした。この配水場へ向かう坂にあった「減圧弁室」という蓋が唯一、配水場周りにありそうな蓋でした。

 

この配水場へ向かう前に別の種類の古いマンホールを見てきました。煉瓦の達人、たくあんさんのブログ「Anthology -まちの記憶-」(カッコいいタイトル!)の「煉瓦積みマンホール」という記事を見て今回の旅行の計画に入れていたポイントです。

 

そのマンホールがこれ。

 

 

地下に埋まっていたマンホールをそのまま掘り出したもののようです。現在のものであってもこうして目にすることはなかなかないですよね。内部は意外とシンプルでケーブルのつなぎ目のようなものが横に走っていました。実際はもう少し複雑な配線があったのかもしれません。

 

当ブログ管理人としてはやはり蓋が気になります。下から見上げるとこんな感じで穴が並んでいました。

 

で、表面を何とか撮影してみたところ、残念ながら電電公社のT字地紋蓋でした。おそらく現役のマンホールとして使われている間に蓋は更新されたのでしょう。この表面の蓋には穴がないのですがマンホール界の達人たちの話によると電話の蓋は2重になっているものがあるのだそうです。もしかすると内側の蓋は表のものよりも古いのかもしれませんね。

 

では下水道系の蓋を見ていきましょう。(実際の観察順ではないですが)

 

豊川稲荷神社の参道脇にあった蓋。鉄枠がないことから古いものではないかと思います。水と市を組み合わせたような紋章がありますが先に述べた水道の紋章とは異なります。場所的にも側溝の蓋のようです。暗渠なり雨水排水なりの蓋ではないかと思いますが、今回の訪問ではここ以外で見かけず詳細は不明です。

 

無印ながらよさげな2枚組大型角蓋

 

単品もいい感じです。縁石もあります。上の二枚組もこの蓋も水道の親子蓋のように網目模様付きなので、もしかすると水道の古蓋かもしれませんね。

 

ここまでつるつるだと何とも言えませんが単なる鉄板ではなく何らかのパターンが表面にあったのではないでしょうか? んんん? 今頃気づきましたが、この4つ穴、「マンホールのふた<日本篇>」に載っていた消火井の蓋にそっくりです。

 

なんで現地で気付かなかったのでしょう。林丈二氏は栄町で2枚見つけたと記されていますが、この蓋は大町の東坂にありました。黄色いペンキ枠の痕跡があることからも防火水槽の蓋でしょう。現地で気付かないどころか教科書片手で「その2」の記事を書いていたときすら気付いていませんでした。唯一、自分をほめたいのはこうして背景を含めた写真を撮っていたこと。やっぱりなにか引っ掛かりを覚えたのでしょうね。

 

こちらは「その1」の蓋たちの近くにあった蓋。隅に市章がありました。改めてみるといい蓋ですね。もっと探せばよかった。「その2」にも書きましたが、そもそもこの市章が平成に制定されたものだと思い込んだのが間違いでした。昭和10年制定と分かっていれば古蓋の可能性も考えてもっと付近をよく探索したのに。

これは暗渠ですね。

 

 

ずいぶん長い記事になりましたあと3枚行きます。

まあありがちな「瓦斯」。とは言え、あまり見かけませんでした。

函管。これは「函館管工事業協同組合」という事業者組合の蓋のようです。検索すると函館市防寒止水栓改良カバーなるものがヒットしました。これがその改良カバーかどうかは不明ですが。

 

〆はこれ。単なる電気の蓋のように見えて

キュートな「電」

 

函館篇、続きます。

教科書こと「マンホールのふた<日本篇>」には北海道の蓋も含まれています。そんな蓋たちがどうなっているか確認するのが今回の旅行の主目的の一つでした。

 

函館の項の最初は消火栓の蓋が3種類載っています。

 

まず、著者の林丈二氏の知る限りでは日本で一番小さい消火栓蓋という縦長の角蓋は確認できませんでした。

次の蓋はこんなやつ。

 

普通サイズの蓋の中に小さな蓋がある珍しい親子蓋。教科書に載っている蓋は小蓋のほうにも網目模様のある「消火栓」表記なのですが、改めて見てみたら網目模様の小蓋は「消火せん」表記で、「消火栓」表記の小蓋には網目がないものでした。網目模様の「消火栓」バージョンもあったのではないかと思いますが撮っていませんでした。

網目小蓋の「仕切弁」と無表記

のっぺり小蓋の空気弁と仕切弁

 

空気弁の古いやつと思われる「排氣弇」があったのですが親蓋のほうは結構新しそうな点字ブロック付き▽〇△縁。親蓋と小蓋は別々に更新できるのでしょうか?謎です。

▽〇△縁の仕切弁

 

教科書にあったものと同種の親子角蓋「消火栓」

「消火せん」バージョンもありました。

 

教科書に載っていた「消火井」蓋や名古屋市型蓋は見つかりませんでした。市電通りなどにあったという丸蓋も見つかりませんでしたが同時期に設置された角蓋が「北海道秋散歩 函館 その1 どつく蓋」にまとめた蓋(もしくはその場所のオリジナル蓋)なのでしょう。

 

札幌市型のHAKODATE SEWERAGEはたくさんありました。この紋章は平成の大合併できたものと思ったのですが後で調べたら昭和10年制定だそうです。紋章だけで新しいと判断してはだめですね。

これも教科書に載っているのと同じ異体JIS蓋ですが、こちらはあまり見かけませんでした。構造式で言うと8/16-28/28型となり、以前のまとめには出てこなかったパターン。

異体JIS型下水道マンホール蓋 構造式 その1 その2

死刑判決

こちらはJIS型「合流」

 

その3ではその他の古そうな蓋をまとめる予定です。

9月に秋を感じに行った北海道ですが結局それなりに暑い毎日でした。

 

函館に上陸です。

 

函館には日本最古級の蓋が現存するということで見に行ってきました。

 

参考にしたのは市立函館博物館 研究紀要で公開されている「マンホール蓋が語る函館上下水道の系譜(石川 成昭氏)」という論文です。

以下に引用させていただいた図とともに「1899(明治 32)年に竣工した函館港改良工事における埋立地に当時の蓋が現存している」旨の説明がありました。

引用した図の記号を使って現状を見ていきましょう。

 

「イ」

 

路面電車の終点「函館どつく前」付近に角蓋がありました。全くすり減りがありません。鉄枠もあるのでもしかすると蓋自体は更新されたのではないかと思います。路面電車がここに引かれたのは1913年(大正2年)とのことですが、その当時の蓋にしても新しすぎる気がします。

 

「ニ」

残念ながら蓋は更新されていましたが四角い縁石が残っていました。

 

「A」

こちらは鉄枠もなくそれなりに古そうに見えます。

 

「B」

こちらもいい感じの蓋でした。

 

「C」

しっかりとした縁石に囲まれた角蓋がはまっていました。ほとんど車が通りそうにないことからか蓋に傷みが見られません。

蓋の下には水が溜まっていました。流れはなさそうです。

立派なレンガ倉庫。刻印は見つけられず。

 

電停の名前の「どつく」は会社名に由来するのですね。

 

「ヘ」の場所は会社の敷地内になります。先の論文によると「ヘ」の近くには自動洗浄槽が埋まっている可能性があるのだそうです。ゴボゴボ。

 

「イ」蓋はともかく、「ニ」や「C」の縁石は古そうでしたし、小型蓋のほうも穴の周りの丸みが古そうに見えたのですが本当に19世紀末の蓋かと言われると自信がありません。蓋のサイズが寸単位だったりすると骨董蓋の証拠の一つになるなと思って測ってみると「C」蓋は1辺625mmほどでした。「B蓋」は450mmでいずれも寸単位ではありませんでした。どうなんでしょうね。

 

続きます。

屋上へ出ました。

 

こういうアールもいいですね。

かまぼこ屋根

東京の学校らしく運動場を兼ねています。

ツリーも見えました。

校庭に出ます。

 

ここは以前、駐車場になっていて校舎の公開以前にも立ち入ることもたと思います。

地上式消火栓がありました。

耐火煉瓦

災害用水道栓

 

チラ煉瓦

鉄扉の向こうはごみ置き場

いちいちカッコいい。

低いですが朝礼台?

 

公開していただきありがとうございました。

 

あと、おまけです。小学校から上野駅に戻る途中のイイモノたち。

 

営団地下鉄の角蓋

縁石付き量水器蓋とガス蓋「F」

東電換気蓋

 

こっちじゃないほうのスジャータ(言いたいこと分かります?

 

 

 

 

 

 

古きよき建築

新しいものも好きだったりする。

 

で、最後に下谷區の水道標章と私設下水道施設檢査證章標