試験
ついに、最後の試験が始まります。
単位を取れなかったら悲惨。ものすごく頑張らねばなりません。
ただ、何度やっても試験というのは直前までやらない。で、こんな時間になるわけです。
なんででしょうね、前々からやっていなかったわけではないんですが、前日になるまで進捗がとにかく悪いというw
自分を戒めて、最後まで気を抜かずに頑張りたいと思います!
単位を取れなかったら悲惨。ものすごく頑張らねばなりません。
ただ、何度やっても試験というのは直前までやらない。で、こんな時間になるわけです。
なんででしょうね、前々からやっていなかったわけではないんですが、前日になるまで進捗がとにかく悪いというw
自分を戒めて、最後まで気を抜かずに頑張りたいと思います!
最後の授業
今日は、大学授業最後の日でした。
特に大学の授業をまじめに出た覚えはないんですが、それでも最後となるとなんとなく寂しいですね。
この大学に入ってから、多くの友人に出会えました。皆非常に優秀で、彼らから多くの刺激を受けました。僕にとって大学とは、机で勉強する場所というよりも、そういう意識の高い人から考え方を学ぶという場所でした。
このマインドセットというか、性格部分で影響を受けれたことというのは本当に貴重です。スキルはやれば身につきます。やることを決めて、時間配分を決めて、必要なことを一つ一つつぶしていけば必ず達成できます。でも、考え方は一朝一夕で身につきません。というか、考え方は誰でもそれ相応のものがあるはずなので、良い考え方、前向きにとらえる考え方というべきかもしれません。
まさしく、大学というものはそういうためにあるのだなと感じます。正直に言えば、教授陣は頭脳はすごいが教え方は残念すぎるぐらいへたくそなので(なかには本当に参考になる方もいた)、基本的には自分で学ぶという意欲がもてない分野は、全くといっていいほど身につきません。逆に、時間はあったから学びたいことには集中して取り組めたので良かったですけどw
だから、今後何をするにしても、意識の高い良い考え方を持った人たちの中に入る。かつ、自分できちんと目標を設定して計画的に勉強していくということを心がけて生きたい。特に前者。
これから試験ラッシュを迎えるわけですが、その後卒業旅行、ライブ×二回を経て、いよいよ社会人になります。
十分すぎるくらい魅力的な方々がいることでしょう。そういう環境で精一杯自分をストレッチして頑張ります。初心を忘れず、日本のために働いていきたいと思います。
特に大学の授業をまじめに出た覚えはないんですが、それでも最後となるとなんとなく寂しいですね。
この大学に入ってから、多くの友人に出会えました。皆非常に優秀で、彼らから多くの刺激を受けました。僕にとって大学とは、机で勉強する場所というよりも、そういう意識の高い人から考え方を学ぶという場所でした。
このマインドセットというか、性格部分で影響を受けれたことというのは本当に貴重です。スキルはやれば身につきます。やることを決めて、時間配分を決めて、必要なことを一つ一つつぶしていけば必ず達成できます。でも、考え方は一朝一夕で身につきません。というか、考え方は誰でもそれ相応のものがあるはずなので、良い考え方、前向きにとらえる考え方というべきかもしれません。
まさしく、大学というものはそういうためにあるのだなと感じます。正直に言えば、教授陣は頭脳はすごいが教え方は残念すぎるぐらいへたくそなので(なかには本当に参考になる方もいた)、基本的には自分で学ぶという意欲がもてない分野は、全くといっていいほど身につきません。逆に、時間はあったから学びたいことには集中して取り組めたので良かったですけどw
だから、今後何をするにしても、意識の高い良い考え方を持った人たちの中に入る。かつ、自分できちんと目標を設定して計画的に勉強していくということを心がけて生きたい。特に前者。
これから試験ラッシュを迎えるわけですが、その後卒業旅行、ライブ×二回を経て、いよいよ社会人になります。
十分すぎるくらい魅力的な方々がいることでしょう。そういう環境で精一杯自分をストレッチして頑張ります。初心を忘れず、日本のために働いていきたいと思います。
本質
人間は完璧な存在じゃない。
長所もあれば、短所もある。見方によっては、いいことも悪いこともある。
だから物事を評価するとき、その判断基準をどのように置くかは非常に重要だと思う。
その判断基準をどのように求めるかというのは、やはりその最も原点である「存在目的」に照らす必要があるように思う。
たとえば、総理大臣の存在意義は、「日本を良くすること」であり、自分の持つ信念を支援されて、その下で改革を行うことだ。(具体的に日本を良くするということがどういうことかという定義づけは触れませんが・・・)
ゆえに、彼らの行動は全て、その基準においてのみ評価されるべきであり、それ以外の例えば漢字が読めないこととか口が悪いとかそういった部分を、マスコミがそろって批判するのはあまり意味のないことのように思います。
当然、教養がない人物に一国の政治をまかせられないという理屈は最もだと思うが、それを抜きにして単に批判しているようにしか見えないのが、なんだか残念なところですね。
逆にマスコミは、真実をゆがみなく伝えることが目的なのであって、それに照らし合わせてみると、一意見として様々な批判をすることは非常に重要なことに思いますが、それが全てであるかのような報道の仕方は(面白いけど)、本当はあまりよろしくないように感じます。
人間は自分自身が完璧な存在じゃないから、長所もあれば短所もあるように、その見方に多分に主観が働いて、他人への評価さえも完璧になりえません。だからこそ、常に意識して、本質は何か、目的は何か、という部分を問い続けていきたいと思います。
長所もあれば、短所もある。見方によっては、いいことも悪いこともある。
だから物事を評価するとき、その判断基準をどのように置くかは非常に重要だと思う。
その判断基準をどのように求めるかというのは、やはりその最も原点である「存在目的」に照らす必要があるように思う。
たとえば、総理大臣の存在意義は、「日本を良くすること」であり、自分の持つ信念を支援されて、その下で改革を行うことだ。(具体的に日本を良くするということがどういうことかという定義づけは触れませんが・・・)
ゆえに、彼らの行動は全て、その基準においてのみ評価されるべきであり、それ以外の例えば漢字が読めないこととか口が悪いとかそういった部分を、マスコミがそろって批判するのはあまり意味のないことのように思います。
当然、教養がない人物に一国の政治をまかせられないという理屈は最もだと思うが、それを抜きにして単に批判しているようにしか見えないのが、なんだか残念なところですね。
逆にマスコミは、真実をゆがみなく伝えることが目的なのであって、それに照らし合わせてみると、一意見として様々な批判をすることは非常に重要なことに思いますが、それが全てであるかのような報道の仕方は(面白いけど)、本当はあまりよろしくないように感じます。
人間は自分自身が完璧な存在じゃないから、長所もあれば短所もあるように、その見方に多分に主観が働いて、他人への評価さえも完璧になりえません。だからこそ、常に意識して、本質は何か、目的は何か、という部分を問い続けていきたいと思います。
