コンテンツとは何か??コミュニティ形成までを考慮する!! | キンジの自分軸哲学

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どもども。

 

キンジです。

 

 

 

今回は、

ちょっと大層なお題目ともなっていますが、

あくまでも、

 

僕自身の意見として、

 

「コンテンツとは何か??コミュニティ形成までを考慮する!!」

ってお題目で、進行させて頂きたいと思います。

 

 

 

そもそもとして、

コンテンツってものは、

 

絵や写真、映像等もそうだろうし・・・・・・、

もっと言えば、

 

アニメやゲームや仕事の段取りでさえも、

 

それ次第によっては、

コンテンツと定義出来てしまうものでもあり、

 

インターネットで取得でき得る情報ってもの自体が、

そもそもとして、

 

コンテンツと定義出来てしまうものでもありますが、

 

それをコンテンツ足らんとしているのは、

結局は、

 

テキストでもあり、文章があるからこそ、

その、

 

情報には、意味でもあり、意義ってものが、

存在するものとはなっている事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

だからこそ、

 

そのテキスト情報でもあり、

文章によって、

 

世の中に存在する、あらゆるコンテンツってものが、

存在する訳ではありますが、

 

勿論、

その中には、

実際に、

 

人が喋った音声ってものも、

含まれてくるだろうし、

 

アニメやゲームの場合においても、

 

テキストばかりでも無く、

声優さんのセリフ等も含まれてくるものではありますが・・・・・・、

 

その、

 

音声やセリフってものにさえも、

台本ってものが存在するだろうし、

 

ただ単に、

 

アドリブ的に、喋っている場合においても、

それが、

 

「文章たり得る内容になっているか??」って部分が、

 

そのコンテンツとしての、

レベルを測る際には、

重要な要素とはなっている事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

即ち、

結局は、

 

そのコンテンツの意味や、意義を知る事によって、

そのコンテンツとしての、

レベルを測るって事にはなってきますが、

 

だからこそ、

 

マインドマップ等の、

 

絵的にも、文章的にも、

全体像を把握しやすいコンテンツは、

 

その、意味や、意義を、

知り易い側面があるものであるが故に、

 

逆に言えば、

 

その受け手にとって、

「自分にとって、その意味や意義に、どれくらいの価値観があるのか??」

って事や、

 

はたまた、

 

「自分にとっては、全く必要が無い情報だな。」

って判断が、

付きやすい側面もまた、

存在しているのです。

 

 

 

まぁ、

極論的に言えば、

 

そのコンテンツのテーマ如何を見れば、

そのコンテンツの意味や意義の、

深さや大きさ等が、

大体、予測が付くものでしょうし、

 

そのコンテンツの意味や意義の、

深さや大きさ等が、

 

浅めであり、小さ目に感じるお題目においては、

 

その発信者自体に、

好感度ってものが、存在しない場合においては、

全く、見る必要性なんて無いコンテンツとはなってしまうでしょうし・・・・・・、

 

その逆の、

 

その発信者自体に、

好感度を持っている場合においては、

 

そのコンテンツの意味や意義の、

深さや大きさ等が、

浅めであり、小さ目に感じる場合においても、

 

そのコンテンツを受け取る事によって、

何かしら、有意義な時間として、

過ごす事も可能とはなるものではあります。

 

 

 

それらを踏まえてみても、

 

コンテンツってものは、

結局は、

 

何かしらの、

意味や意義が存在する情報を、

受け取る事によって、

自分自身の糧とする為にこそ、

存在するものとも言えるだろうし、

 

それは、

 

テキストでもあり、文章化されている、

もしくは、

 

テキスト化でもあり、文章化する事が可能だからこそ、

 

自分自身のマインドとして、

取り込んで行く事も可能になるものだし、

 

もしくは、

 

その構造を把握することによって、

それを応用・流用する事によって、

それ以外の、自分自身の現実に、

活用する事もまた、

可能にはなってくるものではある事でしょう。

 

 

 

上記の事は、

結局は、

 

コンテンツってものを、

当たり前に享受したり、

消化する事によって、

 

当たり前に起こっている現実でもあり、

 

それをより意識的に行う為には、

 

日々、受け取るコンテンツでもあり、

日々、消化するコンテンツってものを、

 

厳選していく必要性もあるものではありますが・・・・・・・、

 

勿論、

 

全ての情報を、厳選する事って事は、

 

誰しもにとっても、

情報過多な現代においては、

難しい側面があるものでもあり・・・・・・、

 

だからが故に、

 

最優先すべきコンテンツってものを用意しつつも、

 

それを消化するのを優先しながら、

 

それの応用・流用に期待し、

それ以外のコンテンツに、

取り組んで行く必要性もまた、

出てくるものでもあり、

 

その、

 

最優先するコンテンツを用意すると同時に、

 

足切りとするコンテンツってものもまた、

 

意識して、定義していく必要性も、

出てくる事とはなるでしょう。

 

 

 

その、

足切りとするコンテンツ、

もっと言えば、

損切りコンテンツとでも言いましょうか(苦笑)、

に、

 

相応しいコンテンツ・・・・・・って言うと、

ちょっとおかしな表現とはなりますが・・・・・・(笑)、

 

これまた最優先となるのは、

 

自分自身の、

優先しているコンテンツを、

 

例え、例外であったとしても、

「否定する内容を示唆するコンテンツ。」とは、

なるでしょうが・・・・・・・、

 

それも、

 

ある種の覚悟を決めてであれば、

あえて、受け取る事もまた、

ケースバイケースでありとは言えますが・・・・・・・、

 

時間の余裕と心の余裕と相談した上で、

自己責任で、決めて行けば良いものとはなる事でしょう・・・・・。

 

 

 

まぁ、

 

そう言った内容を示唆するコンテンツ自体が、

レアなものでもあり、

 

大抵のコンテンツは、

 

そのどちらにも属さないテーマである事が、

多いでしょうから、

 

上記のケースになりかねない、

注意が必要な例としては・・・・・・、

 

初めて観る、

 

ドラマやアニメや漫画やゲーム等・・・・・・、

 

もっと言えば、

 

エグい内容の、報道等にも、

注意が必要にはなってくるものではある事でしょう。

 

 

 

それらのコンテンツってものは、

結局は、

 

受け取る、もしくは、消化しない事には、

内容を知る術が無いだけに、

 

だからが故に、

 

最優先すべき、自分自身の趣向に沿ったコンテンツってものが、

重要になってくるものでもあり、

 

それに置き換えて行く事によって、

それはある種の、

現実逃避ではあるかも知れませんが・・・・・、

 

少なくとも、

 

自分自身の世界観ってものを、

汚す事を、回避出来得る事となるだろうし、

 

もっと言えば、

 

上記で言う、

 

現実逃避って概念でさえも、

 

台本が存在し得る、

実写メインのコンテンツによって植え付けられている、

脅迫観念と定義しても、良いものなのかも知れません・・・・・・!!

 

 

 

何故ならば、

例え、

 

現実的な物事であったとしても、

そこに、

 

台本でもあり、筋書きを意識する事によって、

陰謀論のようなものが出来上がるものでしょうが、

 

その陰謀論のように感じる、

その、

 

台本でもあり、筋書きってもの自体が、

実は、

 

実写メインのコンテンツによって植え付けられている、

脅迫観念の正体でもあり、

 

その、

 

台本でもあり、筋書きってもの自体を、

自分自身、個人の世界観でもあり、

主観的な世界観とすれば、

 

そこには、

 

自分自身の趣味趣向に沿った、

台本でもあり、筋書きを用意出来るし、

 

描き続けて行く事も可能となり、

 

実際に、

 

行動し続ける、スキルを行使し続ける前提であるならば、

 

変な、

陰謀論的な台本でもあり、筋書きってものを、

みんなで共有する必要性なんて、

何処にも無い事でしょう。

 

 

 

 

まぁ、

 

共有しても良いのですが、

 

それとはまた別枠として、

 

自分用ってものを用意する必要性もありますし、

 

それは、

 

行動、スキルが同じであれば、

 

その、

陰謀論的なものと、

 

自分用ってものは、

なんら矛盾も、無理も無く、

共存して行く事が、可能になるものでもあるのです。

 

 

 

ま、

もしかしたら、

 

客観的に見てみれば、

 

無理くらいなら、見て取れるかも知れませんが・・・・・・、

 

その無理が存在するからこそ、

 

その本人の、自分用ってものを、

想像する余地が生まれるとでもいいますか・・・・・・(笑)。

 

 

 

また、

 

その自分用に、

最優先するコンテンツに相応しいものとしては、

 

まぁ、

 

「自分が楽しいもの。」ってものが、

相応しいものではあるんですが・・・・・・・、

 

楽しいの再現性を考慮しますと、

 

ただただ、

楽しいだけじゃあ無くて、

 

そこに、

 

何かしらの、明確化された、

成長要素ってものが、存在していると、

 

その楽しいに、

再現性をもたらす事となるでしょうし、

 

その他の応用・流用も、

より楽に出来るようになり、

 

結果的に、

 

楽しい想いを持って、行っていける事が、

増えて行く事にも、繋がって行く事とはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

この上記の、

成長要素ってものを、

コンテンツに当てはめて、

 

一番簡素な形態にすれば、

それは、

 

物語でもあり、ストーリーってものの、

先を知って行くって事とはなる事でしょう。

 

 

 

物語でもあり、ストーリーってものを、

意識して、

 

その物語とストーリーってものを、

先に進めて行くと言う風な、

成長要素とはなる事でしょうが・・・・・・、

 

それは、

 

コミュニティとしての物語であり、

コミュニティとしてのストーリーの場合においては、

 

それが先に進む為には、

 

ある一定以上の数字でもあり、

結果が達成されて初めて、

その、

物語であり、ストーリーは、

先に進んで行くものでもあり・・・・・・、

 

中々、個人単位では、

 

使い勝手が悪い側面もあり、

 

コミュニティとしての結果ってものは、

 

あまり、

 

個人だけの手柄ど〜こ〜じゃあ、

変化が訪れ辛い側面もあり、

 

尚且つ、

 

その物語とストーリーってものは、

人事的意図によって、

便宜的に、創作されて行くものでもある事でしょう・・・・・・。

 

 

 

だからが故に、

もっと、

 

目の前の行動や、スキルの行使にこそ、

成長要素を描いて行ける必要性もあり、

 

それを、

 

無我夢中で、

明確化された成長要素を追い求める過程において、

何かしらの、

奇跡的成長を、起こして行く可能性にかける・・・・・・って具合とでもいいましょうか。

 

 

 

勿論、

それは、

 

その明確化された成長要素を、

達成する事が前提でもあり、

 

その明確化された成長要素ってものが、

担保的に存在するお陰で、

無我夢中になれるものでもあり、

 

それ自体を、

遠慮無く、楽しんで行ける体勢を、

 

取ることが可能になるものでもあるのですし、

 

その明確化された成長要素ってものは、

 

始める前から既に、

見えている部分でもあるが故に、

 

それは、

 

明確化はされてはいるけど、

欺瞞の部分も含まれてるだろうし、

不透明な部分も含まれているが故に、

 

奇跡的成長もまた、見えていない可能性がある・・・・・・・ってことなのです。

 

 

 

成長要素が存在し、

そのプロセスが見えているからこそ、

 

楽しんで、充実する事も可能となるでしょうし、

 

そのプロセスにて、

 

明確化された成長要素に向かって、

脱線してしまわない程度には、

 

アレコレ試行錯誤する事もまた、

可能にはなってくるものでもありますね・・・・・・??

 

 

 

 

それはもしかしたら、

 

また別の要素にて、

応用・流用可能な、

 

成長要素の事を指して、

奇跡的成長と言うかも知れないですし、

 

もっと言えば、

 

予め、明確化していた成長要素を、

遥かに凌駕する、

成長をもたらすものかも知れないですよね〜。

 

 

 

まぁ、

それもこれも、

 

予め、明確化されていた、

成長要素が存在していたからこそ、

 

それが達成されたって事でもありますし、

 

このサイクルでもあり、プロセスってものを、

蔑ろにしてはいけないものとはなるかと。

 

 

 

何事も、

 

予定を決定したり、予測を立てる事って、

大事ではありますが、

 

全てが予定通りとか、

全てが予測通りって程、

 

ツマラナイものは無いでしょうし、

 

予定や予測を踏まえて、

 

それを、ガイドラインとして、

 

試行錯誤して、

新たな可能性を、模索する必要性もあるのかと。

 

 

 

そうやって、

各々が、

 

成長要素を明確化して行ったコンテンツってものには、

 

そこには、

 

コミュニティ的な集まりが出来上がる事にはなる事でしょう。

 

 

 

勿論、

ただ単に、

 

人が多く集まったからと言っても、

それがコミュニティとは言わないでしょうし、

 

人が多く集まり、

 

みんな同じ事ばかりをして、

コモディティ化すればする程、

 

そこには、

 

大衆心理ってものが生まれる事になり・・・・・・、

 

簡単に言えば、

 

同調圧力によって、

みんな、IQが低くなって、馬鹿ばっかりになっちゃうので、

注意が必要という事です。

 

 

 

それなら、

 

少数精鋭であったとしても、

 

それぞれが、

別々の成長要素を掲げた、

 

RPG的に言えば、

パーティー的な集まりとか、

 

仕事的に言えば、

役割分担の特殊部隊とか、

 

バンド的に言えば、

全員違う楽器隊のような集まりの方が、

 

よっぽどコミュニティ的ではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

 

バンド的な集まりの場合においては、

 

そこに、みんなで共有する為の、

テキスト化、文章化が出来うるコンテンツを共有している場合においてと、

お断りさせて頂きます・・・・・・し、

 

みんな、音楽的趣味が合う、

コピーバンドの場合においては、

 

仲良くやって行きそうではありますが・・・・・・、

 

オリジナル主体の、拘りが強い集団の場合においては、

 

ある種の、

 

異種格闘技戦のような、

相撲のような戦いが始まるものではありますね・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

バンドの解散理由も、

音楽の方向性の違いって理由が多いですしね(笑)。

 

 

 

結局は、

 

オリジナル主体のバンドで言えば、

 

曲を作る人を固定して、

 

尚且つ、

 

このバンドのサウンドは、こんな感じって風の、

音楽的方向性を定めて行く必要性があるし、

 

その中心軸ってもの決定して、

 

トップダウン的、ピラミッド的に、

上下関係を徹底する必要性があるだろうけど、

 

そのトップは、

 

曲とか音楽性に含まれているナニカ的な感じでしょうか・・・・・(苦笑)。

 

 

 

 

 

まぁ、

 

同じような事をする必要性が存在するような集団であったとしても、

 

そこに、

 

自分用の、

最優先コンテンツが存在し、

 

それによって、

他とは違う成長要素を明確化出来れば、

 

そこにも、

コミュニティ感ってものは、出来上がるのでしょうが、

 

それを真似しても、

 

お互い、損するだけでしょうから、

 

でき得る限り、

 

役割分担を、心がけておくのが、

お互いが、お互いの邪魔にならない為の、

マナーとはなるだろうし・・・・・・、

 

邪魔になればなったで、

 

相撲のような戦いが、始まるだけではある事でしょうね・・・・・・・。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

 

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