Image by Gerd Altmann from Pixabay
どうも皆さん、
今年のおみくじは、中吉だった、
キンジです。
中吉→大吉→吉と来て、
中吉やから、ちょっと持ち直した感じやねb
まぁ、
自分の運勢って言うよりか…、
中央=大勢に対する相性くらいには思ってるんやけどもの。
でわでわ、
早速、本題へ行って参りましょうぞ。
まず、
大前提として…、
経営理念と経営者の理念、
もしくは、哲学ってモンは、
また別モンなんやろと。
経営理念って言うからには、
組織の利益の追求がありきでこその、
経営理念であり、
そう考慮すると、
「場の理念。」「現場の理念。」ってものと、
「利益の論理。」ってモンが、
あって然るべきであるけれどもの…、
「利益の論理。」だけをかいつまんでしまえば、
其処には、
人間性とか、居心地の良さとか、
トレーニング性ってものが無くなってしまうモンでもあるんや。
だからこそ、
組織の理念ってモンは、
利益の追求がありきでのモンやろうし、
経営者もそうやろうし、
各々の、各ポジションのリーダーが、
自分の理念=哲学ってモンを、
押し出して行く必要があるし、
その上で、
その組織のとしては…、
「経営者が強い権限を持つ。」って事なんやろうね。
まぁ、だからこそ、
各々のリーダーが、哲学を掲げた上での、
利益の追求という名の、
「戦場。」が出来上がると言えるし、
経営者であれば、大体…、
その役割としては、
「組織の利益。」の追求の、
体現者となるんやろうね。
ま、
でも、
その実質的な、
「利益の追求。」を体現するのは、
一番活躍しているリーダーとなるんでもあり、
経営者としては…、
そこに便乗したり、その上に乗っかって、
神輿的な象徴になるんやろけど。
その上で、
「組織の理念。」ってモンは、
結果重視(人事も含めた上の)で、
出来上がって行くモンであり、
「組織の利益。」と、「経営者の理念。」が、
混ざり合った形態となって行くモンなんやろなぁ。
だからこそ言うけれどもの、
結局は、
「経営者。」という名の、
ある意味、
組織においてのラスボス的存在、
王様的存在がいる上では、
その「経営者。」との人間的相性ってモンが、
人事の上では、
重要視されるやろうし、
活躍が同じくらいの人の中で、
「誰を選ぶか??」って問題に、
ぶち当たった時には、
その経営者のキャラクターが尖っていて、
個人的な理念が、ハッキリしている方が、
より、
人を選別し易くなるとも言えるし、
また、
下のモンからしても、
取り繕う為の、方法論ってものが、
「わかり易くなる。」ってこっちゃやろねぇ…。
その様にある意味、
活躍だけじゃあ無くて…、
キチンと、神輿を持ち上げる必要が出てくるだけに、
「経営者の理念。」「経営者のキャラクター。」ってモンが、
そもそもの…、
仕事に対するやる気に、
大きく影響するし、
ソレによって、
仕事や成果のプレゼンの方法とか、
表現方法に、違いが生じる…ってこっちゃやね。
でもそれでも、
「出来うる活躍を諦める。」って事は、
別問題でもあり、
相性が悪いなら、悪いなりに、
また別モンの、トレーニング的なものに、
置き換えてでも、
「自己成長。」ってモンは、追求すべきではあるんや。
だってソレが…、
先行きが判らない問題においても、
希望を抱きつつも、
結果を出して、
絶望しないでいられる方法論でもあるんやからなb
その上で言える事として、
「経営理念。」ってモンは、
「戦場的。」であって然るべきであり、
ソレは…、
別に、
「経営者の理念。」である必要は無いってこっちゃやろね。
もっと言えば…、
今の主戦場をイメージ出来、
尚且つ、
最も活躍しているリーダーの、
理念であり、
キャラクターの色合いが濃くなって行くもの…とも言えるし、
まぁ、
結局は、
其処に、経営者自身が、
濃厚なキャラクター性であり、理念を持っているとすれば、
プラスアルファの、
RPGで言えば、パーティー的構成にての、
「戦場のイメージ。」になるモンなんやろと。
その上で、
その「代理戦争。」の終わりは、
組織の終わりをイメージするから、
縁起が悪いモンであるだけに…、
ある意味、
無理くりにでも、「戦場感。」ってものを、
醸し出す必要性があるんやと。
その為にも、
実務においても、
トレーニング性を採用して行くのは、
最適なんやわな。
筋トレやトレーニングってそれだけで、
「平和ボケ。」を打ち破って、
「戦場感。」を醸し出すモンであるし、
スポーツマンシップにのっとって行えば、
実際の、「暴力的な戦い。」にはならんもんやしな。
ま、
その為にも、
「審判役。」って言うか…、
その場、その場においての、
ルールを厳守させる役割の人達ってもんもまた、
大切な要素ではあるな。
ソレが徹底されていて、
尚且つ、
レベルが高けりゃ、
ルールを厳守させるだけの人ってモンは、
要らんのやろうけれどもの。
※誰でもその役割には、一時的には担えるし。
結局、
抽象と具体は、
多様性を考慮しても、
抽象論が大切なんやと。
正確に言えば、
理屈であり、ロジックであり、論理が大切なんやろと。
その上で、
具体的ってモンは、
現物そのものが、具体的であり、
その理屈や、ロジック、論理ってものに、
抽象度って段階が存在し、
規模感を大きくしたり、もしくは、
解像度を高めて、小さくする事を駆使する事によって、
抽象度の階段を、移動する事が可能になるんやわな。
まぁ、
その上で、
人によって、
通じる抽象度を模索する必要があるともいうけれどもの、
結局は、
具体的な事ばかりを言い合っても、
抽象度のチャンネルが、
合う事が難しくもあるからこそ、
そのお題目によって、
どちらかの抽象度に、
優先して合わせるって事が、
重要になるんやと。
その上で…、
共有すべき事や、
共有してもエエって思う事だけでもいいから、
具体性を見せ合うって事によって、
関係性が深まるものとも言えるな。
でも、その大前提としては、
やっぱり、
理屈や、ロジック、論理として、
展開したものを、共有するって事が、
最優先にはくるもんなんやろな〜。
其処はある意味、
お互いが、
「理解。」の為にこそ、
自分を押し殺すという名の、
「損。」をとってこそ、
関係性が深まるとか、「理解。」するという、
徳を得る事が可能なんやな。
ソレでこそ、
人間と人間の、関係性の土台が出来上がるとも言うし、
其処を「スタート。」として、
ボチボチでもエエから、
現物という名の、
具体性の見せ合いをして行けばエエんやで〜b
まぁ、
その具体性には、
スキルや証拠的なモンが、
不可欠になるだけに…、
いきなり、ソレの共有だけ求めると、
ちと、重いんやろうしなぁ。
論理的思考と、
語彙力、文章力…とも言えるし、
ストーリーテリングとも言えるものでもあるが、
ソレに長けて来ると…、
コミュニケーション能力が高まって、
相性関係無く、
「言葉が通じる。」事にはなるが、
具体性の共有には、
勿論、
メンタルブロックや、相性ってモンが、
付きものにはなるんやわな〜。
理屈やロジック、論理が無い、
もしくは、
明らかに、あからさまに破綻しているって事は…、
そもそもとして、
精神異常状態であるとも言えるし、
だからが故に、
受け手として、
影響を受ける事自体に、
計り知れない悪影響がある…とも言えるんや。
だからこそ、
まず最初に、
単純明快な、簡単な理屈、ロジック、
論理を共有する事によって、
「お互い、精神は正常である。」確認にもなる…ってこっちゃ。
もしくは…、
理屈やロジック、論理の共有の数が増えて行くと、
「お互い、精神は正常である。」
って証拠が積み重なるって事にもなってくるよな〜。
ま、だからこそ、
どんな時も、
どんな緊急なシチュエーションであったとしても、
単純明快な、
理屈やロジック、論理の共有ってモンは、
「お互いが、精神は正常である。」確認の為には、
必須となるし、
ソレは…、
影響力が大きく深い行動であればあるほど、
儀式的に、
ルーティーン化している必要もまた、
あるんやろなぁ。
ホラ、
「宇宙飛行士。」とか、
徹底されていそうだし、
飛行機関係とか、電車関係も、
徹底されていそうやしなb
まぁ…、
逆に、
ソレばっかりで、
人間味が薄くなりガチな人も、
存在するって訳でもあるんやが…。
だからこその、
理屈やロジック、論理に、
人間味を混ぜ合わせた感じのストーリーが活用されたり、
もしくは…、
ダンスとかトレーニング的なモンによって、
理屈やロジック、論理を共有して行くって事が、
望まれるんやろけどな。
言い切るって事の大切さ。
理屈やロジック、論理を展開する上で言える事、
原理原則としては…、
「言い切る。」「断定する。」事の大切さってモンがあるんや。
勿論、
「言い切る。」「断定する。」為、
責任を持つ為には、
範囲を狭める必要がある訳でもあり、
だからこそ、
その、言い切る要素や、
断定出来る要素ってモンを、
増やし続けて行く事によって、
理屈やロジック、論理ってモンが、
展開されて行き、
尚且つ、
ビルドアップされて行くって事が起こるんやわな。
だからこそ、
曖昧な理屈やロジック、論理として、
問いとか問題とかで置いておくよりかは…、
例え、
小さな手頃なところからでも、
証明出来るコンテキストを用意した上で、
「言い切る。」「断定する。」って事が、
肝要なんやわな〜。
そうなると…、
いきなり大言壮語なお題目とか、
ただの嘘つきとして、
見始める、聞き始めるって事が、
常になるし、
その、手頃であり、小さな「言い切り。」や、
「断定。」の上にこそ、
より良質な、
抽象度が低くない問いとか、問題ってモンが、
出来上がって行く訳なんやわなb
まぁ、ソレもコレも、
「自分軸。」としての、
トレーニング性がありきの、
尚且つ、
手頃であり、小さな結果を、
言葉では無く、行動=スキルとして、
日々のルーティーンとして出していけるモンがあってこそ、
その、
理屈やロジック、論理の展開は、
捗るモンになる…ってこっちゃやろね〜。
ハッタリを効かせた、
大言壮語の理屈、ロジック、論理ってものは、
ハッキリ言って、
実際に同じ事を、
少しでもかじっていてこそ、初めて、
「生きた論理。」として聞けるモンでもあり…、
大抵は、
デブのデブ専に、放り投げるだけの、
仕事…っていうか、問題になりガチでもあるわな〜。
まぁ、
ほぼぼぼ、
ただ単に、
上から被せるだけの、
カツラのような理屈、ロジック、論理は、
ただただ…、
苦しみを生み出すだけであり、
実際に試したところで、
そない劇的な効果=劇的な結果が保証されるモンでも無い…って理解やわな。
コレもハッキリ言うと、
この世の害悪そのもの…とも言えるモンやな。
もしくは、
「大魔王。」的な概念とも言えるか。
そんなん無視して…、
もしくは、
無視する為にも、
「自分軸。」のトレーニングに没頭して、
自分でこそ、自分ならでは、自分なり…自分だけの、
コンテキストがある上での、
理屈、ロジック、論理を、
手堅く構築して行けりゃあ、エエんやろねb
ある意味、
「損。」も、大き過ぎると、
潰れる元になっちゃう…ってこっちゃやね。
得意な「損。」から、
手頃に、小さく請け負っていかないとな。
普通って嘘らしい。
普通って…、
結局は、
共通幻想でもあり、
共通して、請け負う事になり得る、
「嘘。」って事なんやろうね。
シビアに成ればなるほど、
細かく成ればなるほど、
「普通。」には、嘘が含まれる…とも言うし、
規模が大きく成ればなるほど、
嘘が含まれるとも言えるんや。
だからこそ、
あまり、
人を嘘つき呼ばわりして、
追い込まん方がええよ。
追い込む方にこそ、
「普通。」で済ませたい、
「嘘付き。」の在り方が、
ありありと見えて来る事になるからこそ…、
「嘘丸見え。」って思った場合は、
相手にしない、もしくは、
距離を置く、
話題を変える、
テーマを変えるって事が重要なんやわな。
結果報告の上で、
「普通。」って事は、
何かしら、隠したい事がある…ってこっちゃやね。
まぁ、
仕事の成果に関わる部分においては、
「聞き出す。」権限が出るモンやろうけど…、
プライベートの部分においては、
個人の主権の問題でもあるからこそ、
「任意。」やろうし、
其処は、お互いの、
信頼性次第とも言えるし、
相性の問題とも言えるんやろうね。
ま、少なくとも、
理屈、ロジック、論理においては、
共有しておくに越した事は無いモンやろうし…、
ソレが結局は、
「歌。」とか、「ストーリー。」ってモンに当てはまるんやろうね。
逆に言えば…、
何でもかんでも、
誰とでも、
共有したがる奴って…、
「精神異常者。」でもあるし、
ソレが結局は…、
「普通。」って奴の、実態かも知れんがね。
抽象度って…、
登るのが大変で、
降るのが簡単って風潮があったけど、
最近思うのは、
登るのにも、降るのにも、
ある一定のコストが掛かるってこっちゃやね。
だからこそ、
無闇に、抽象度をコロコロ変えないって事が、
コミュニケーションにおいて、
重要な要素なんやろね。
山登りに喩えたとしても…、
登るのは、しんどさがあって、訓練的、
筋トレ的に登るイメージかも知れんけど…、
降りの方が、実は、
「怪我をし易い。」からこそ、
降りを如何に、
訓練的、筋トレ的に行うって事が、
大切な要素になるんやと。
ある意味、
誰でも、「簡単に行こうと思えばイケル。」って所で、
ある種の、
自分軸を発揮し、駆使して、
訓練的、筋トレ的に、
降れるって事が、
その人の評価に直結して来るんかも知れんな。
まぁぶっちゃけ、
「登っているんか??」
「降っているのか??」って事自体、
後になって、ハッキリして来る部分があるだけに、
どちらも、同じ様な負荷を求めるのが、
無難でもあり、マストなんやと。
その上で、
普段使いの、
理屈であり、ロジック、理論ってモンを、
丁度ええ抽象度に統一しておくと、
コストが軽く済むって事なんやろねb
で、
要所、要所で、
抽象度に変化を付ける事によって、
その負荷を表現するって感じか。
ソレらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から…。
応援、宜しくお願い致します(^^)
また違うんだけど、解るわぁ~(共感)ってなっちゃった方は、
ポチッとな♪










