Teo ViedmaによるPixabayからの画像
どうも皆さん、
キンジです。
学校を卒業してから、
本格的な、独学が始まると言っても過言では無いが、
独学の為にこそ、
学校にての、勉強経験が生かされるものでもあり、
結局は、
セルフマネジメントを身に付ける為にも、
独学が役に立つものだし、
人に何か、「教えを乞う。」場合にても、
一人の成人、大人として、
責任感を持って学んでいく為にも、
独学ってものは、必須。
まぁ、
コンサルタントとか、コーチの契約をすれば、
ある意味、
子供のまんまのように、
何かを学ぶ事が可能ではあるけど。
結局は、
セルフマネジメントが必要になるし、
それによって、
自分自身の人生として、
ゴール設定をして、
より良く、より高みを目指して、
邁進して行くって事が、大切だし、
大人になってからの、
子供のまんまの状態ってものは、
社会不適合な状態と言っても、
過言では無いからこそ、
独学状態になってこそ、
そのコンサルタントや、コーチから、
卒業するものと言えるし、
まぁ、
そう言う意味で言えば・・・・・・、
必要に応じて、また、
入学すれば良いものとも言えるし。
男より女の方が、
少なくとも、
生活感(良い意味でも、悪い意味でも)があるもの。
日常感とでも言うのか。
男はどちらかと言うと、
非日常感を纏いたい想いに駆られるが、
居・住・食関連のスキルがあったり、
知識として蓄えておくと、
生活感とか、日常感を、
見失わずに済むもの。
野暮ったい=ダサい=田舎者臭いだけど・・・・・、
例えそうだとしても、
男には、
その中に非日常感があるし、
女には、
生活感とか日常感があるもの。
まぁ、
男性性、女性性って定義した方が良いかもだけど。
ライティングを人から学ぶ場合においては、
こじ付け方とか、関連のさせ方ってもんが、
学びにはなるものと言えるし、
「それはアリなんだ。」とか、
「それは言わない方が良い。」とかの、
判断基準とか、バランス配分を、
学ぶって事にはなるんだろうけど・・・・・・、
それって、
結局、
人と仲良くなったり、関係性を深める、
コミュニケーションの一環と、
何ら変わりが無いものであると。
ただ単に、
文章的に上手くなるって事とは、
別物ではあるけれどもの、
文学的な表現に長けるって事は、
芸術性という観点から言って、
決して、
マイナスになる訳じゃあ無いし、
それはそれで、
差別化が為されるものではあると。
だがしかし、
普段じゃあ絶対言わないような表現をするのも、
どうかと思うし・・・・・(苦笑)、
それならそれで、
普段の会話にも、使っていきましょう・・・・・・って事ですね。
ど〜〜しても、
ロジックに頼りガチ、
もしくは、
理屈っぽくなってしまう人は、
故アントニオ猪木さんの名言でもある、
「馬鹿になれ。」って事が大事。
それ即ち、
単純明快な理屈を掲げるって事や、
真逆の理屈を掲げるって事でもあるけど・・・・・、
その方法論には、
筋トレ的な要素が不可欠とはなる。
ほら、
筋トレって、
その最中は、
馬鹿っぽいマインドでやりガチだし(笑)。
まぁ、そんくらい、
理屈からじゃあ無く、
「自分の普通。」、
「自分に響く事。」って事が大事って事。
予防と治療の違いとは、
予防は、予め回避する為の、
行動プロセスであり、
結果的に、
それを恐れ続ける事には成りかねないもの。
治療は、
予め悪い所にフォーカスを向ける事により、
その悪い部分を根絶する為の、
行動プロセス。
まぁ、
治療が必要なものではあっても、
その治療のプロセスに起こり得るであろう・・・・・、
また別の視点からの予防ってものを、
考慮しておかない事には、
その治療のプロセス自体が、
途中で頓挫するって事が、起こり得るものだからこそ、
「選ばれしもの。」に、
治療を行う必要があるんだろうし、
その為に、
教育によって、コミットを高める=情報制限して行く必要もある。
・・・・・・が、
情報制限する為には、
代理となる情報ってものが必要となる訳でもあり、
それが所謂、
エンターテイメント要素とか、芸術性になってくるのだろうと。
バンド演奏の楽しみ方。
バンドとして見るから、
最高級を求めてしまうのかも知れない。
むしろ、
ブラスバンドの発展上とか、
ブラスバンド的な楽団の、
ゲーム的延長線上に、
「バンド。」ってものが存在しているのだろうと。
そう考え見ると、
エレキギター とか、エレキベースと言えども、
縦笛とかハーモニカとか、ピアニカとか、木琴とか・・・・・etc、
と同じように見て、聴くのが良いのかも。
※ドラムなら、マラカス、タンバリン、カスタネット、トライアングル、小太鼓・・・・・etc。
そう見ると、
現代的なバンドの奏者ってものは、
一人で色んな楽器の何役も、
同時にこなしているようにも見えるし、
結局、
「普通に弾けるようになる。」って、
そ〜ゆ〜ことだし、
だからこそ、
飽きが来ないし、楽しんでずっとやれるんだけれどもの・・・・・、
筋トレ的、スポーツ的な、
マネジメントは必要になるし、
楽しいんではあるけれどもの・・・・・(苦笑)、
気付いたらとか、終わってみれば、
ドッと疲れるって事が、アリエル。
「トレーニング的な視点、大事。」
だし、
演奏には、アート的な側面も強いからこそ、
尚、
トレーニング的な視点を、
忘れてはいけない・・・・・!!
変なイメージトレーニングにも、
成りかねないからね。
その方が、
現物的な楽器として見たり、聴いたりするよりも・・・・・・、
更に、
高級感は出るものかと・・・・・(笑)。
※単純に、値段がど〜こ〜以上に。
同じ、ドレミファソラシドだしね。
音楽的、演奏的に、
期待出来る事って言うのは・・・・・、
自分が楽しいとか、トレーニングになるって事は勿論だとして、
人にとって、コーチングになるとか、
そのまんま楽しめるといった要素とはなるのだろうと。
即ち、
コーチングミュージックとか、
コーチングバンドって感じだし、
ギター講師ならぬ、ギターコーチって感じではあるが、
まぁ、
教えても良いけど、
結局は、
完コピじゃ無くて、
自分のプレーとかプレースタイルを、
目指して貰う感じにはなるのかと。
即ち、
楽器を初めても良いし、
作業用BGMにしても良いし、
移動時間に聴いても良いし、
歌っても良いし、
オリジナルダンス(ただのっているだけともいふ)でも、
良いとb
また何よりも、
世界観とか、雰囲気のシェアが出来るのが、
楽器の演奏とかバンドの利点ではあるのかと。
生演奏で場所やファッションにも拘れば、
尚更効果的メンなんだろうけど、
例え、普段着であったとしても、
日常の中の非日常の、
雰囲気は醸し出るのかも知れないが・・・・・。
後、
ティーチングマインドと介護マインドの違いってものは、
単純明快に、
年齢が上か下かによって認識が変わってくるのが、
使い勝手が良く、
WIN=WINになり易いものかも。
上が相手なら介護マインドで、
下が相手ならティーチングマインド。
その方が、
変な摩擦は起こりづらいし、
循環的にも良い。
その上で、
コーチングマインド=答えは自分の内に存在するって事、
そのプロセスが大切って事が、
噛んでくるんだと。
またある意味・・・・・・、
キラキラブランディングならぬ、
キラキラトレーニングかと・・・・・(笑)。
自分が輝く為、
もしくは、
自分の世界観を輝かせる為のトレーニングになるのだし、
それのシェアって感じですな。
臨場感ってもの、
コンテンツの仕掛け側と受け手側の臨場感
ってものを、考察して見ると・・・・・、
まず、仕掛け側の臨場感ってものは、
その、コンテンツを制作した時の、
リアルタイムのライブ感ってものが、
そこに保存されている事になるし、
受け手側の臨場感ってものもまた、
その受け手が読んだり、聴いたり、画像や映像を観ている、
リアルタイムのライブ感ってものが、
その臨場感とはなる。
その上で、
仕掛け側としては、
そのコンテンツを制作した時の、
リアルタイムのライブ感ってものに、
無理が少なければ、少ない程、
再現もまた容易にはなるだろうし、
更に、その上の成長をも、期待出来るようにはなるが、
別に、そこには、
上下関係なんてものは存在しないと言っても、
過言では無いが、
必要であれば、自分でその様に定義して行けば良い話。
まぁ、
リアルでのやり取りであれば、
そう自由には行かないだろうし、
そこが自由過ぎる奴は、
トラブルメーカーになる。
簡単に言うと、
年功序列や、上下関係が解らない、
「バカチン。」だと。
ま、だからとは言っても、
執拗に、それを強要する方にも、
非が出てくる訳ではあるが、
シビアなケースの場合だと、
そこもまた、
シビアになっていくのが、
「当然。」なんだと。
その上で、
アウトプットもそうだろうし、
瞑想が、
自分自身が、
「どのような感情であり、どのようなイメージを、主体的に受け取っていくか??」
を、決定付けていくものにはなるし、
ある意味、
瞑想=良質なアウトプットを産むものと言えるし、
良質なアウトプットの為にこそ、
瞑想が役立っていくもの・・・・・とも言えるだろう。
まぁ、
瞑想はインプットの場合にても、
「どのような感情であり、どのようなイメージを、主体的に受け取っていくか??」
を、決定付けるので、
変な情報、悪質な情報に対する、
結界的な役割をも果たす。
もしくは、
変な情報、悪質な情報を、
悪霊退散させる、浄化させる、
成仏させる、昇華させるもの・・・・・ともいう。
人は、事実の羅列よりも、
自分が観たいものを見るものだから、
行動が勿論大事だけれどもの、
それの質が大切であり、
質の為には、世界観とかイメージが、
これまた大切になり、
その為にも、瞑想が役に立つものとなると。
ここで、
行動を置き去りにしちゃうと、
達磨太子のように、
足が腐るまで瞑想しちゃうのだと・・・・・・。
※ある意味、それはそれで、とんでも無い瞑想力なんでしょうが。
小学生の頃に習っていた、
少林寺拳法の教典で、
達磨太子の事が書かれていたのを思い出した・・・・・(苦笑)。
また独学の利点としては、
自分のポジションが明確になって、
何かの組織とかコミュニティに属した際にも、
ポジショントークし易くなるって事と、
自分自身のリーダーシップを取る上、
モチベーションやセルフエフィカシーを管理する上では、
必要不可欠なものにはなると。
何故ならば、
モチベーションってものは、
ある意味、
環境や関わる人達や、納期等によって、
左右されるものだけれどもの、
セルフエフィカシーは、
理屈的に言えば、
「なんかよ〜解らん領域。」から、
高まっていくものでもあるだけに・・・・・・、
「こじつける。」って大事だし、
それが独学の成果とはなるだろう・・・・b
それがまた、
独自の、個人的ポジションになり、
ポジショントークとなると。
※まぁ、キャラクターか(笑)。
だし、
その「こじつけ。」を取っ払うと・・・・・、
誰でも言える事、誰でも出来る事になる反面、
熱意ややる気が無くなり、
もしかしたら・・・・・・、
イメージや雰囲気も、全くの別物の、
それこそ、
「コレじゃあ無い。」としか、
言いようが無いものにはなっちゃうんだろうし、
ある意味、
その、
熱意ややる気、
イメージや雰囲気ってものが、
オリジナリティな要素にはなるものだろうし、
それは、
「洗練されている。」だけが全てでは無いものでもあるし、
まぁ、
人とか、人物って事なんでしょうねぇ。
また、もう一つの、
独学の利点としては、
全てのものが、
勉強扱いとなる事により・・・・・・、
興味本位での、楽しさや充実感をベースとした、
勉強が出来る事と、
その「こじつけ。」によって、
本来の勉強にも、
熱意とやる気と、
イメージや雰囲気を持ち込む事が可能にはなるのだし、
「自分の普通。」や、
「自分に響く事。」ってのは、
何処かに必ず、同じように響く人とか、
その理解者ってものが存在するって希望を持ち続ける事にも、
繋がる。
し、
それこそ、
「理屈じゃねぇんだ。」だし、
どちらかと言えば・・・・・、
本来の勉強を捨ててでも、
大切にして行きたいものでもあると。
まぁ、
ダメならダメで、
別の応用・流用先=「こじつけ。」先を探す・・・・・って事でもあるのでしょうし、
そのプロセスによって、
洗練されたり、変わって行ったり、
理解が深まるものでもあるのですし、
少なくとも・・・・・・、
色んなチャレンジは試みるだろうし、
「ベストこじつけ。」賞とか、
「ベターこじつけ。」賞的なものは、
繰り返していくもんでもあると。
※ある意味、結果が出たものとか、賛同者がいた場合にその賞は、授与されるのであろう。
後、
モデルを見つけてモデリングするって事は、
少なくとも・・・・・・、
人間をモデルにするって事と、
人をモデルにする事によって、
人間関係を築くって事が、
その利点として挙げられるものでもあるし、
結局は、
人間関係を度外視出来ないだろうし、
好きな人とか、趣向が合う人と、
仲良くなって行くって事が、
QOLを高める上では、必須項目なんだろうし、
ある意味、
それで全てが付いて来るとも、
言えるかも知んない。
まぁ、本人になれる事は、
無いんだけどね・・・・・・(苦笑)。
歌をコピーするとか、
曲をコピーするって事は、
そのゲーム性を再現するようなもん。
即ち、
遅いとか早いとか意味不明であり、
ゲーム性を再現し、
在り方をコピーするって事だし、
もしくは、
その先の方向性へ舵取りをするって事でもあるし、
物真似に近しいとは言えるが、
結構、解像度は高いし、
自分のニュアンスってものも、
より解像度が高い領域で、
嫌という程解ってくるとも言えるし、
その解像度になると、
虹色にも観えるようにもなる。
その結果、
オリジナルなアプローチとか、
アレンジが出てくる事にもなりガチ。
まぁ、けれどもの、
自分のオリジナル曲と定着させる為には、
そのある意味、
エポックメイキング的な発想から、
パラダイムシフトして、
理屈の領域から脱出しない限りは、
中々、難しい側面があるものだし・・・・・、
手頃な部分で切り取って、
ワンフレーズ事に観て聴く視点であれば、
必ず、
何かの物真似ってものは、出てくるものにはなる。
それが、
歴史の存在する、伝統的なものであればある程だけれどもの、
それもまた、
「理屈。」であり、「ロジック。」なんだと。
ある意味、
それを超越した先に、
その価値観を、完全に堪能出来る領域ってものが、
存在しているが、
勿論、
曲も、弾き手も、
受け手も、関係性(場所も含む)も関係してくるものではある。
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。
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