常識とは何か??アインシュタインの名言から考察してみた!! | キンジの自分軸哲学

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Rob de RoyによるPixabayからの画像

 

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

常識って言いますと、

所謂、

 

無意識、無自覚に、

何かを盲信するものであるとも言えますし、

また、

 

社会通念として、共有する為のものでもあり、

具体的に言えば、

 

時間を護るとか、約束を護るとか、

困っている人に、

自分自身が出来うる、必要最低限の手を差し伸べる等・・・・・・・etc、

この他にも色々出てくるものではありますが、

 

まぁ、

結局は、

 

自分自身に課したルールでもあり、

尚且つ、

 

コミュニティ単位においては、

足下に当たるであろう・・・・・・・、

 

それを護らないと、罰則が存在するものである・・・・・・とも言える事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

けれども、

だからこそ、

 

コミュニティ単位においては、

足下だけの問題にしつつ、

それ以上の問題になるであろう・・・・・・、

所謂、

 

マナーとか、自分でこそ、自分ならではと言ったような問題の場合においては、

 

やはり、

 

自分一人から始めて、

近しい人達と共有する、もしくは、

近しい人達に理解されるって事が、

必要とはなってくるものなのでしょう。

 

 

 

・・・・・・・と言うのも、

 

常識ってものは、

それ自体が、

 

その本人の、

在り方を問われるものでもあり、

 

突き詰めて言えば、

自己責任となるのが、

結局は、

 

大人である我々には、

これまた、

必要となってくる意識でもありますが・・・・・・・・、

 

それが事、

人に迷惑をかける行為、

もっと言えば、

 

自分自身にとって、迷惑だと感じる行為においては、

 

自己責任とは言いますが、

 

自分自身にとっても、

「自らのルールを護る。」と言う、

自己責任において、

その行為を止める場合もありうるものではありますね・・・・・・・??

 

 

 

勿論、

それが、

 

自分自身にとって、迷惑に感じ無い行為であれば、

例え、

 

人に迷惑がかかる可能性ど〜こ〜が、

存在してたとしても、

 

僕自身に関わりが無い、

目に付かない所で行うのであれば、

別に、

 

文句は言わないでしょうが・・・・・・・、

 

それが、

 

犯罪行為であれば、

警察に一任する事には、

なってくるものではあります。

 

 

 

まぁけれども、

それが、

 

一人から行うような行為であれば、

勿論、

 

犯罪行為はNGだとしても、

 

それ以外の問題ってものは、

趣味趣向の問題でもあり、

 

さほど、

 

人に迷惑をかける行為とは、

なり難い側面があるものではあります。

 

 

 

これを逆に言えば・・・・・・・、

それが、

 

集団による、

役割分担を、特殊部隊のようになされた、

マルチ的な、パーティ編成の場合において、

 

そこには注意が必要となるものでもあり、

 

その小さなコミュニティでもあり、

パーティの常識ってものは、

同調圧力によって、操作されてしまうものでもある事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

それをフラットな状態に持って行く為にも、

 

一人から始める必要性もあり、

 

そのような、

同調圧力による、

所謂、

 

他人軸状態を、回避する為にも、

 

一人からの行動による、

個人的な常識ってものを、

持ち合わせておいた方が良いだろうし、

 

その常識の想定が、高くなればなる程、

 

そのような、

 

同調圧力による、他人軸状態を、

回避し易くなっていくものでもあります。

 

 

 

・・・・・・・し、

結局は、

 

人の満足感を高く満たして、

その人の納得を引き出すには、

余裕でもあり、スペースってものが、

必要となってくるものでもあり、

 

その余裕でもあり、スペースを持って貰う為にまた、

 

一人から参加でき得る状態を、

 

そのコミュニティでもあり、

そのパーティには必要となってくるものでもあり、

 

これを逆に言えば、

 

一人から参加するスペースが、

必要なければ、

 

同調圧力による、

常識そのものが、

 

そのコミュニティでもあり、パーティにおいての、

「売り。」にはなってくるものではあります。

 

 

 

まぁ、

同調圧力が強い場においては、

 

こっちも、

それ相応な同調圧力が必須にはなるだろうし、

 

その力関係ど〜こ〜は、

横においておいたとしても、

 

用意した同調圧力を持ってして、

戦う姿勢を取らない事には、

 

「気が付いたら、相手の言いなりになってしまう。」

って事が、起こってくるだろうし・・・・・・・、

 

その状態は、

 

その同調圧力が、

悪い方向性でもあり、

犯罪臭い方向性に向かった際に、

 

そこから逃げる他に、

対抗手段を、失ってしまう事を、

意味するものでもあります。

 

 

 

 

要するに、

 

理論武装ってものが、

大事になるだろうし、

 

理論武装ってものは、

解除しても、

ただ単に、

 

馬鹿を見るだけとなるのがオチでしょうし、

 

まぁ、

 

適当な理論武装の場合は、

 

その理論を掲げた事自体が、

マイナスの行為と見做され、

同調圧力になすがままにされ易くなってしまいガチでしょうから、

 

適当な理論武装や、

ハッタリや嘘の理論武装なら、

 

何も言わない方が、無難な状態ではあるのでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

勿論、

 

その理論武装ってものが、

単に、

 

偉い学者の理論とか、

最先端の論理とは、

見解が違っていたとしても・・・・・、

 

自分自身の手足を通した、

 

スキル経験に基づいての論理の場合においては、

 

また違う見解にもなり、

 

そんなお偉い論理は、

一旦、横においておいて、

 

自分自身の経験に基づいた、

活きた理論ってものを、

披露する必要性もまた、

出てくるものとはなる事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

それが、

 

自分軸哲学とか、自分軸理論ってものには、

なってくるのでしょうが。

 

 

 

それは即ち、

 

自分自身の経験と、

自分自身の体系化によって、

深まっていくものでもあり、

 

別に、

 

何処かのお偉いさんの論理を、

踏まえる必要性なんて無いものではありますが・・・・・、

 

その代わりに、

 

自分自身の、使い慣れた言葉によって、

噛み砕いて、説明出来る必要性はあるものなのです・・・・・・!!

 

 

 

し、

まず、

 

自分自身が護る必要性もあり、

 

尚且つ、

 

自分自身が、スキルを持ってして、

日々、

 

実践している必要性もあるものなのでしょう。

 

 

 

これを、

かの、

 

アインシュタインの名言でもある、

 

「常識とは、18歳までに身につけた、偏見のコレクションでしかない。」

って言葉と対比してみると・・・・・、

 

常識ってものは、

結局は、

 

思い込みとか、情報だけの、

偏見の集大成であり、

 

それは、

実際に、

 

自分自身のスキルでもあり、経験ってものを経たものじゃあ無いし、

 

だからが故に、

 

「偏見。」でもあり、

 

だからが故に、

 

ハッタリとか、直ぐに論理破綻してしまうような、

嘘が多くなるし、

 

尚且つ、

 

それを大層に掲げたところで、

恥をかきやすくなるだけのものでもあるのです。

 

 

 

まただからこそ、

 

自分自身のスキルとか、経験ってものが、

大事になるとは言えますが・・・・・・、

 

それが事、

 

犯罪行為に当たる場合においては、

例え、

 

それが、

 

「偏見。」であったとしても、

 

それを護る事自体に、意義が出てくるものでもあり・・・・・・、

 

簡単に言うと、

 

無用なマイナスな縁ってものを、

自分自身の現実に、

取り込んでしまわないで済む・・・・・・・って事なのです。

 

 

 

これらをまとめてみると・・・・・・・、

 

常識、勿論、

偏見のコレクションですよ。

 

 

 

けれども、

 

そこに犯罪回避とか、

危険回避等諸々、含まれてくるものでもありますから・・・・・・・・・、

 

それを偏見だと解った上で、

それでも、

 

常識ってものを掲げる必要性もあるし、

 

尚且つ、

その、

 

18歳までに身につけた、偏見のコレクションってものを、

 

実際に、

一つ一つ、

自分自身のスキルを通して試して、

 

犯罪行為に繋がるものは、回避しつつも、

 

「自分自身が、どう言う風に、感じ取ったか??」

 

ってデータを蓄積し、

 

自分でこそ、自分ならではの、

カスタマイズをして行く必要性が出てくるものとはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

し、

 

それは確実に、

 

18歳までに身につけた、偏見のコレクションじゃあ、

 

自分自身の納得も満足も、

勝ち取る事が難しいものとなるだろうし、

 

まただからが故に、

 

一人からの、

スキルを通しての、

 

常識の追求ってものが、必須にはなってくるだろうし、

 

一人からだからこそ、

 

人に迷惑も、掛けづらいものにはなって行く事でしょう。

 

 

 

まぁ、

それは勿論、

 

一人から始めるだけであって、

 

近しい人には、

共有か理解を貰うものでもありつつも、

 

趣味趣向でもあり、

もっと言えば・・・・・・・、

 

感受性でもあり、価値観が近い人には、

共有して貰えるものでもありますし、

 

理解を得る事が可能な人達もまた、

 

結局は、

 

趣味趣向でもあり、

もっと言えば・・・・・・、

 

感受性でもあり、価値観が近い人と、

言える人達にはなってくるものなのでしょうね。

 

 

 

 

また、

 

その常識ってものは、

勿論、

 

各々が持っているものでしょうが、

 

また、

各々が、

 

「18歳までに身につけた、偏見のコレクション。」ってものも、

持ち合わせているものでしょう。

 

 

 

それは結局は、

 

常識って段階であれば、

 

共有する事が、

相応しいものとはなるのでしょうが、

 

事、

 

自分自身のスキルや経験を通した、

自分軸哲学や、自分軸理論って段階になると、

 

そこに必要となってくるのは、

 

共有、共感如何よりも・・・・・・・、

「理解。」って言葉にはなってくるものなのでしょう。

 

 

 

勿論、

 

共有、共感していても良いのですが・・・・・・、

 

それは、

 

突き詰めていけば行く程、

微差の違いによる、大差が生まれて行くものでもあり、

 

どんどん、

かけ違いのボタンのような差ってものが、

 

許せなくなってしまうものでもありますから・・・・・・・、

 

尚更、

 

「理解。」ってことの方が、

重要な要素とはなるのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

勿論それは、

 

「色眼鏡をかけた理解。」ではありますが、

 

その方が、

逆に、

 

自分自身の、

自分軸哲学や、自分軸理論ってものの、

追求の手が止まらないものでもあり、

尚且つ・・・・・・・、

 

「共有、共感のせいで、手が進まない。」

って言う風な、

 

変な言い訳でもあり、変な言い掛かりに、

思考をさいなまされる事も起きない事でしょう・・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

まぁ、

 

それを本人に言うか言うまいかは別としても。

 

 

 

 

ここまでをまとめてみると、

 

常識とは、

18歳までに身につけた、偏見のコレクションであり、

 

その多分が、

偏見ではありますが、

 

その常識には、

 

犯罪行為を回避したり、

人に迷惑をかけない為と言ったようなものも、

含まれているものではありますから、

 

例え、

 

偏見とは解っていたとしても、

 

それは一旦は、

護る必要性があるものではありますし、

 

まぁ、

 

コミュニティとか、パーティにおいては、

共有する必要性もまた、

あるものと言える事でしょう。

 

 

 

・・・・・・・・が、

それを事、

 

個人単位に置き換えると、

 

そこには、

実際に、

 

自分自身のスキルや経験を通した、

自分軸哲学や、自分軸理論ってものが、

存在していて当たり前なもので、

在りたいものですし、

 

ある意味、

 

その個人にとっては、

 

コミュニティ単位や、パーティ単位の常識の、

上位互換のようなものが、

存在している可能性もあるのです。

 

 

 

・・・・・・・・とは言っても、

それが、

そのまんま、

 

どこから見ても、犯罪行為に直結するような行為や、

 

また、

 

自分にとって、迷惑千万な行為であった場合は、

 

そんな事よりも、

 

コミュニティ単位や、パーティ単位での常識が、

優先されて行くものでもあり・・・・・・、

 

それはそれで、

 

常識の上位互換とは、

言い難いものでもあり、

 

どちらかと言えば、

 

常識の下位互換の、

自分軸哲学や、自分軸理論ってものが、

出来上がってしまっているともなってしまい・・・・・・・、

 

まぁ、

それもそれで、

 

その本人にとっては、

必要な経験なのかも知れませんが、

 

それは、僕自身とは、

関わりの無い所で行って貰いたいものではありますね・・・・・・。

 

 

 

勿論、

 

関わり深い所であれば、

止めますし、

 

スキルや行動を持ってして、

修正出来れば良いのですが。

 

 

 

結局は、

 

行き着く所は、

自己責任ではありますが・・・・・・、

 

それを、

身近で行われると、

 

僕自身の自己責任が、優先されるものでもありますし、

そう在りたいもんですね。

 

 

 

また、

常識ってものは、

 

多分に偏見なのだから、

 

同調圧力を持ってして、

常識を護らせるってのも、

どうかなぁって思いますし、

 

同調圧力を強めるからこそ、

 

変に反発が起って、変に常識を破る人達が出てくる側面もあるのでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

 

結局は、

 

自分自身のアイデンティティ的な問題に、

直結してくるものだからこそ、

 

自分自身、一人からの、

 

スキルを通した、経験を通した、

自分軸哲学とか、自分軸理論を、

構築する為の趣味趣向や、

場ってものが、必要にはなってくるのかと。

 

 

 

 

例え、

 

偏見だと分かり切っている常識だとしても、

 

それがあれば、

 

基本的には護った上での、

要所要所のカスタマイズが可能になるだろうし、

 

それがあってこその、

 

「自分自身、自分ならでは、自分でこそ。」

って想いが満たされる事になり、

 

自己受容感であり、自己肯定感ってものが、

全て満たされる訳じゃあ無くても、

 

満たせる場面がある安心感と、

実際に満たさせる満足感によって、

 

我慢を我慢と感じなくなって行く側面もまた、

あるものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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