どもども。
キンジです。
言うまでも無い事かも知れませんが・・・・・・・、
現実=自分自身の世界、世界観ってものは、
実際に、行動を起こす事によって、
展開するものでもあり、
出来上がっていくものではある事でしょう・・・・・・・!!
まぁ、
勿論、
マインドだけとか、知識だけの状態でも、
想像力が働いて、
色々、展開していくようにも、
感じるもんではある事でしょうが・・・・・・、
そのような、
所謂、妄想状態ってものは、
キチンと行動でもあり、スキルを使って、
自覚的に踏まえて行かない事には、
唯の、絵に描いた餅になってしまうもんでもあり、
まただからこそ、
我々は、
一人の世界観ってものが、
その各々の個人に存在するものではありますが・・・・・・・、
ま、
だからとは言っても、
近しい人には、近しい世界観があるもんだろうし、
同じ環境、同じシチュエーション、
同じ人々と関わっていれば、
世界観とか価値観ってものには、
違いが存在していても、
何かしら、
共通認識でもあり、共有している行動ってものが、
存在するものではある事でしょうね。
それを逆に言えば・・・・・・、
何かしらの、
共通認識でもあり、共有している行動が存在している人々だからこそ、
世界観とか、価値観においては、
違いを欲するものでもある・・・・・・・・って事なのでしょう。
即ち、
何でもかんでもを、
共通認識とか、行動を共にして、共有しないって事が、
その為には、
必要となるものだろうし、
それがもし、
必要になるのであれば・・・・・・・、
基本的在り方として、
自分とは、また違った価値観を保持しているであろう、
背丈とか、体格自体に、
違いが存在する人の方が、
都合が良くなるものでもあり、
背丈とか、体格自体に、
「違い。」が存在するからこそ、
細かい部分においても、
「違い。」が出てくる事にもなり、
パッと見て、
「違う。」と解るからこそ、
共通認識とか、共有する行動に、
ある意味、
しがみ付くが如く・・・・・・・(笑)、
言葉は悪かったですが、大切に、
大事にする想いも働くってものではある事でしょう・・・・・・・!!
・・・・・・・・と言うのも、
その明らかに、
「違い。」が存在しているからこその、
必死さとか、ベストを尽くすとか、
ベターな選択だと言えるものでもあるからなのです・・・・・・・!!
それが近しい在り方の人であれば、
そこには、
「甘え。」とか、「油断。」ってものが、
出てくるもんでもあり・・・・・・・、
共通認識とか、共有する為の行動ってものを、
おざなりにしガチになりガチだろうし、
そうなってしまうのもまた、
我々のサガ(宿命)ではある事でしょう。
まぁ、
上記でサガ(宿命)とか、
大層には言いましたが、
要は、
「そんなに自分自身は強く無い。」って事でもあり、
その前提に立つからこその、
マネジメントの意識が働くものでもあり、
それを持ってして、
行動でもあり、スキルのマネジメントにおいて、
省エネが実現されて行くものでもあり・・・・・・、
要は、
惰性との戦いにおいて、
自分自身の納得を得る事が、可能にはなるもんなのです。
それは勿論、
自分との戦いではありますが・・・・・・・、
そこに、
勝利も敗北も無いものかも知れませんし、
ただただ、
戦いは存在していても、
そこの勝利でもあり、敗北ってものは、
全て、
一時的なものに過ぎないものでもあり、
即ち、
そこは戦いの場ではありますが、
重要になるのは、
成長要素であり、
成長要素の見込みが存在しない戦いには、
意味合いなんて存在しないだろうし、
ただ単に、
邪魔者を回避したり、障害を取り除く事を、
淡々と繰り返すだけ・・・・・・ともなるものなのです。
そのある意味、
淡々と繰り返すだけの、
邪魔者を回避したり、障害を取り除くだけの戦いは、
勿論、
完全には、現実からは、
排除しきれないものでもありますから、
そこに必要となるのは、
肉体の限界を踏まえた上での、
長期戦だと言う、心構えとはなります。
即ち、
鍛えるとは逆の概念でもあり、
どれだけ、
肉体的負担を、減らした上での、
スピード感とか、能率を考える必要性があるものでもあり、
ある一定上のスピードを保った上での、
負担の減らし方ってものが、
望まれるものではありますが・・・・・・・、
それは結局は、
「しないに越したことは無い。」って結論に至るものでもありますが・・・・・・・、
これも更に逆を言えば、
「しないに越したことは無い。」
確かにそうでしょう。
・・・・・・・が、
その経験を積まないことには、
スピード感とか、能率を考慮した上での、
肉体的負担を軽減する経験値が、
積み重ねられない事により、
成長要素が明らかに存在する現実と、
存在しない現実に、
ギャップが大きく出来上がってしまう事によって、
躁鬱状態を、繰り返すような・・・・・・・、
情緒不安定な状態に、陥ってしまいガチとも、
なりかねないものではある事でしょう・・・・・・。
大切な事なので、何度も言いますが、
明らかに、成長要素を見出す事が、
不可能な状態の、
ただ淡々と、
邪魔者を回避したり、障害を取り除く戦いってものは、
現実的には、
決して、
避けては通れないシチュエーションではある事でしょう。
何故ならば、
その現実自体が、
成長要素をまとめて、
抽象度を高めてシンプルに、
概念化し、体系化するプロセスでもあり、
サイクルでもあるからなのです。
そこに必要となるのは、
長期戦を想定した上での、
実際の体力の温存でもあり、
スキル的な持久力を伸ばして行く事にはなってくるものでしょう・・・・・・・・!!
スキルの持久力には、
ある種の、
淡々と行うって行為が、必須にはなるのです。
それは、筋トレ的、
スポーツ的に言えば・・・・・・、
「乳酸を溜め込まないようにする。」とも言えるでしょう。
また、
明らかな成長要素が見えている状態であれば、
逆に、
めいいっぱい、短期戦の如く、
筋トレの如く、
頑張るのも良いだろうし・・・・・・・、
これもまた逆に、
次の長期戦に備えて、
抑え目に行うのもまた、
ある種の賢さではある事でしょう・・・・・・!!
それ即ち、
明らかな、成長要素が見えている状態でこその、
楽しさとか、充実感ってものを、
噛み締めるように、満喫する行為とも言えるだろうし、
そのようにして、
頑張り過ぎないからこその、
体力的なマネジメントとも言えますし、
限界まで使い切った体力を、回復する為には、
それ相応の休息が必要となるものでもありますから、
初心者とか、子供が陥り易い、
明らかな、成長要素が見えている状態での、
限界まで頑張る行為ってものを、
キチンと抑制して行く必要性もあるのでしょうね。
確かに、
「必死のパッチ。」とか聞きますと、
必死のパッチ即ち・・・・・・・、
必死になって、サイズが小さいパッチを、
履こうという様が想像出来、
人に対して、頑張りをアピールしたり、
頑張りを演技している様が、
目に浮かぶようではありますが・・・・・・・、
それは、
マネジメント的に言えば、
ベストとは言い難い側面があるものでもあり、
どちらかと言えば、
苦肉の策とか、揉めたモン勝ちの価値観の、
現れのようにも見えてしまうものではありますね・・・・・・・??
まぁ実際に、
短期戦においては、
その必死さによる気迫によって、
敵は怯んで、勢いで押し倒す事が可能になる場面もあるでしょうが・・・・・・・、
まぁ、
どちらにせよ、
我々は、
暴力的な戦いを行うのでは無く、
スキルによる戦いを行うものでありますから、
短期戦においても、
スキルの冴えは大事であっても、
余計な気迫ってものは、必要無いものだろうし・・・・・・、
その気迫とか、必死さってものもまた、
スキルを通して表現する為の、
芸の肥やしに過ぎないものとはなる事でしょう・・・・・・!!
要するに、
実際に、
「必死のパッチ。」状態であればある程、
そこに必要となるのは、
クールさでもあり、冷静さとなるでしょうから、
それを演技からでも取り入れる事によって、
的確な、急所をついたスキルってものを、
披露する必要もあり、
それによって、
「相手を早く倒す。」と言う意味での、
短期戦ってものを、
実現しなければいけません。
これを逆に言えば・・・・・・、
もうお分かりかも知れませんが、
「相手に速攻で倒される。」前提での、
短期決戦ってものが、実現されるものでもあり・・・・・・・(笑)、
勝ちに拘れば拘る程、
実は、
「必死のパッチ。」なんてものは、
必要無いものなのかも知れませんね・・・・・・・(苦笑)。
ま、
実際には、
勝ち負けど〜こ〜は、
短期的なものでもあり、
勝ち負けど〜こ〜よりももっと、
戦いでもあり、闘うってこと自体が、
重要な要素ともなるのでしょうが。
勿論、
暴力的な戦いじゃあ無いですよ。
スキルを行使した上での、
切磋琢磨の戦いでしょうから。
まぁ、
負けて骨を拾って貰うって考えもあるでしょうが、
それでも言えるのは・・・・・・、
例え負けても、
暴力的な戦いじゃあ無いですから、
死にもしないし、大怪我をする事も無いですから、
尚更、
戦いが、泥沼化し易いものでもあり・・・・・・・・、
だからこそ、
戦い自体が重要となると同時に、
スキルで戦うって事と、
スキルを磨くって事、
両方ともが大事になるだろうし、
例え、
戦いの勝ち負け自体は、
負けに終わったとしても、
そこに必要となるのは、成長要素となるだろうし、
成長要素が、例え、
欺瞞だとしても、バーチャル的であったとしても、
存在しているからこその、
奇跡の成長を、期待する事も可能になるだろうし・・・・・・、
もっと単純明快に言えば、
楽しさや、充実感ってものを、
満喫可能になる・・・・・・・・って事なのです。
現実的な戦いってものは、
それが、
生き死に直結していない限りは、
泥沼化し易いものでもあり、
だからが故の、
暴力的な戦いに、発展させない為にも、
専門性と言ったような、
土俵が必須となるだろうし、
その共通認識でもあり、共有する行動を保持した上での、
スキルの戦いとする事が、
肝要になるだろうし、
それでこそ、
泥沼化した戦いを、
ちゃんと、レフェリーが存在しうる、
スポーツ的な戦い、ゲーム的な戦いにする事が、
可能にはなるものなのです。
勿論、
スキルと言いますから、
応用・流用が効きやすいものでもあり、
それによって、
専門性の違う、畑違いの、
異種格闘技戦が、勃発するものではある事でしょう。
・・・・・・・・が、
例え、
異種格闘技戦だからとは言っても、
「なんでもあり。」じゃあ、
暴力的、戦争的な戦いに、陥りかねないどころか・・・・・・、
実際の、
暴力的、戦争的な戦いを行っている輩に、
利用されやすくもなり、
巻き込まれやすくもなりガチです。
だからこその、
専門性でもあり、
それは・・・・・・・、
スキルを通してこそ、実際に行動を行ってこその、
専門性なのですし、
異種格闘技戦的な、戦い行う際にも、
「何の専門性か??」もしくは、
「どのようなスキルか??」って事を、
明確にし、
自分自身の弁護が出来る事は勿論だろうし、
その弁護によって、
自分自身の納得を勝ち取ることもまた、
必須になるだろうし、
それがあって初めて、
その、
異種格闘技戦的な戦いに、
意義でもあり、意味が出てくることによって、
勝ち負けど〜こ〜は、
横においておいたとしても、
その戦い自体に、
価値ってものが、生まれて行くものともなることでしょう・・・・・・・・!!
ま、
勝ち負けは、
明らかな、立ち位置の違いによって生まれるものとも言えるでしょうが、
専門性が存在し、
そこにスキルが存在した上であれば、
立ち位置自体も関係無しに、
戦いを挑んでいけば良いものだろうし、
まぁ、
本当の意味で、
立ち位置が高い人って言うのは、
それ相応の、
専門性でもあり、スキルのレベルを、
保持しているもんでもありますから・・・・・・、
胸を借りるつもりで、
スキルの戦いを、挑んでいけば良いもの・・・・・・とも言えるのでしょうね。
それでこそ、
良好な、人間関係が出来上がるものでもありますし、
そこを遠慮してしまうからこそ、
人間関係が出来上がり辛いとも言えるだろうし・・・・・・、
また、
そこで、
専門性とスキルを度外視して、
泥沼化の戦いに持ち込んじゃうから、
取りつく島の無い人に、
なっちゃうのでしょうね・・・・・・・。
まぁ、
そのような人は、
それで学びを得る為にこそ、
そのような在り方であるとも言えるでしょうから、
愛を持って、
「生暖かく見守る。」って事が、
重要にはなるのでしょうが・・・・・・・・(笑)。
ある種の人類愛でもあり、
自己愛なのかも知れませんが。
それらを踏まえて、
実は、
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