必死のパッチの由来と、ベストを尽くすといふこと!! | キンジの自分軸哲学

キンジの自分軸哲学

~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

John HainによるPixabayからの画像

 

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

 

言うまでも無い事かも知れませんが・・・・・・・、

現実=自分自身の世界、世界観ってものは、

実際に、行動を起こす事によって、

展開するものでもあり、

出来上がっていくものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

勿論、

 

マインドだけとか、知識だけの状態でも、

想像力が働いて、

色々、展開していくようにも、

感じるもんではある事でしょうが・・・・・・、

 

そのような、

 

所謂、妄想状態ってものは、

 

キチンと行動でもあり、スキルを使って、

自覚的に踏まえて行かない事には、

唯の、絵に描いた餅になってしまうもんでもあり、

 

まただからこそ、

 

我々は、

 

一人の世界観ってものが、

その各々の個人に存在するものではありますが・・・・・・・、

 

ま、

だからとは言っても、

 

近しい人には、近しい世界観があるもんだろうし、

 

同じ環境、同じシチュエーション、

同じ人々と関わっていれば、

 

世界観とか価値観ってものには、

違いが存在していても、

 

何かしら、

 

共通認識でもあり、共有している行動ってものが、

存在するものではある事でしょうね。

 

 

 

それを逆に言えば・・・・・・、

 

何かしらの、

 

共通認識でもあり、共有している行動が存在している人々だからこそ、

 

世界観とか、価値観においては、

違いを欲するものでもある・・・・・・・・って事なのでしょう。

 

 

 

 

即ち、

 

何でもかんでもを、

 

共通認識とか、行動を共にして、共有しないって事が、

 

その為には、

必要となるものだろうし、

 

それがもし、

必要になるのであれば・・・・・・・、

 

基本的在り方として、

 

自分とは、また違った価値観を保持しているであろう、

 

背丈とか、体格自体に、

違いが存在する人の方が、

 

都合が良くなるものでもあり、

 

背丈とか、体格自体に、

「違い。」が存在するからこそ、

 

細かい部分においても、

「違い。」が出てくる事にもなり、

 

パッと見て、

「違う。」と解るからこそ、

 

共通認識とか、共有する行動に、

 

ある意味、

 

しがみ付くが如く・・・・・・・(笑)、

 

言葉は悪かったですが、大切に、

大事にする想いも働くってものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

・・・・・・・・と言うのも、

 

その明らかに、

 

「違い。」が存在しているからこその、

 

必死さとか、ベストを尽くすとか、

ベターな選択だと言えるものでもあるからなのです・・・・・・・!!

 

 

 

 

それが近しい在り方の人であれば、

 

そこには、

 

「甘え。」とか、「油断。」ってものが、

出てくるもんでもあり・・・・・・・、

 

共通認識とか、共有する為の行動ってものを、

おざなりにしガチになりガチだろうし、

 

そうなってしまうのもまた、

 

我々のサガ(宿命)ではある事でしょう。

 

 

 

 

まぁ、

上記でサガ(宿命)とか、

大層には言いましたが、

 

要は、

 

「そんなに自分自身は強く無い。」って事でもあり、

 

その前提に立つからこその、

 

マネジメントの意識が働くものでもあり、

 

それを持ってして、

 

行動でもあり、スキルのマネジメントにおいて、

省エネが実現されて行くものでもあり・・・・・・、

 

要は、

 

惰性との戦いにおいて、

自分自身の納得を得る事が、可能にはなるもんなのです。

 

 

 

 

それは勿論、

 

自分との戦いではありますが・・・・・・・、

 

そこに、

勝利も敗北も無いものかも知れませんし、

 

ただただ、

 

戦いは存在していても、

 

そこの勝利でもあり、敗北ってものは、

全て、

 

一時的なものに過ぎないものでもあり、

 

即ち、

 

そこは戦いの場ではありますが、

 

重要になるのは、

成長要素であり、

 

成長要素の見込みが存在しない戦いには、

意味合いなんて存在しないだろうし、

 

ただ単に、

 

邪魔者を回避したり、障害を取り除く事を、

淡々と繰り返すだけ・・・・・・ともなるものなのです。

 

 

 

そのある意味、

 

淡々と繰り返すだけの、

邪魔者を回避したり、障害を取り除くだけの戦いは、

 

勿論、

 

完全には、現実からは、

排除しきれないものでもありますから、

 

そこに必要となるのは、

 

肉体の限界を踏まえた上での、

長期戦だと言う、心構えとはなります。

 

 

 

即ち、

鍛えるとは逆の概念でもあり、

 

どれだけ、

 

肉体的負担を、減らした上での、

スピード感とか、能率を考える必要性があるものでもあり、

 

ある一定上のスピードを保った上での、

負担の減らし方ってものが、

望まれるものではありますが・・・・・・・、

 

それは結局は、

 

「しないに越したことは無い。」って結論に至るものでもありますが・・・・・・・、

 

これも更に逆を言えば、

 

「しないに越したことは無い。」

確かにそうでしょう。

 

 

 

・・・・・・・が、

 

その経験を積まないことには、

 

スピード感とか、能率を考慮した上での、

肉体的負担を軽減する経験値が、

積み重ねられない事により、

 

成長要素が明らかに存在する現実と、

存在しない現実に、

 

ギャップが大きく出来上がってしまう事によって、

 

躁鬱状態を、繰り返すような・・・・・・・、

情緒不安定な状態に、陥ってしまいガチとも、

なりかねないものではある事でしょう・・・・・・。

 

 

 

大切な事なので、何度も言いますが、

 

明らかに、成長要素を見出す事が、

不可能な状態の、

 

ただ淡々と、

邪魔者を回避したり、障害を取り除く戦いってものは、

 

現実的には、

決して、

 

避けては通れないシチュエーションではある事でしょう。

 

 

 

何故ならば、

 

その現実自体が、

 

成長要素をまとめて、

 

抽象度を高めてシンプルに、

概念化し、体系化するプロセスでもあり、

サイクルでもあるからなのです。

 

 

 

そこに必要となるのは、

 

長期戦を想定した上での、

 

実際の体力の温存でもあり、

スキル的な持久力を伸ばして行く事にはなってくるものでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

スキルの持久力には、

ある種の、

淡々と行うって行為が、必須にはなるのです。

 

 

 

それは、筋トレ的、

スポーツ的に言えば・・・・・・、

 

「乳酸を溜め込まないようにする。」とも言えるでしょう。

 

 

 

また、

 

明らかな成長要素が見えている状態であれば、

逆に、

 

めいいっぱい、短期戦の如く、

 

筋トレの如く、

 

頑張るのも良いだろうし・・・・・・・、

 

これもまた逆に、

 

次の長期戦に備えて、

抑え目に行うのもまた、

ある種の賢さではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

それ即ち、

 

明らかな、成長要素が見えている状態でこその、

楽しさとか、充実感ってものを、

噛み締めるように、満喫する行為とも言えるだろうし、

 

そのようにして、

 

頑張り過ぎないからこその、

体力的なマネジメントとも言えますし、

 

限界まで使い切った体力を、回復する為には、

それ相応の休息が必要となるものでもありますから、

 

初心者とか、子供が陥り易い、

 

明らかな、成長要素が見えている状態での、

 

限界まで頑張る行為ってものを、

 

キチンと抑制して行く必要性もあるのでしょうね。

 

 

 

確かに、

 

「必死のパッチ。」とか聞きますと、

 

必死のパッチ即ち・・・・・・・、

 

必死になって、サイズが小さいパッチを、

履こうという様が想像出来、

 

人に対して、頑張りをアピールしたり、

頑張りを演技している様が、

目に浮かぶようではありますが・・・・・・・、

 

それは、

 

マネジメント的に言えば、

ベストとは言い難い側面があるものでもあり、

 

どちらかと言えば、

 

苦肉の策とか、揉めたモン勝ちの価値観の、

現れのようにも見えてしまうものではありますね・・・・・・・??

 

 

 

 

まぁ実際に、

短期戦においては、

 

その必死さによる気迫によって、

敵は怯んで、勢いで押し倒す事が可能になる場面もあるでしょうが・・・・・・・、

 

まぁ、

どちらにせよ、

 

我々は、

 

暴力的な戦いを行うのでは無く、

スキルによる戦いを行うものでありますから、

 

短期戦においても、

 

スキルの冴えは大事であっても、

 

余計な気迫ってものは、必要無いものだろうし・・・・・・、

 

その気迫とか、必死さってものもまた、

 

スキルを通して表現する為の、

芸の肥やしに過ぎないものとはなる事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

要するに、

 

実際に、

 

「必死のパッチ。」状態であればある程、

そこに必要となるのは、

 

クールさでもあり、冷静さとなるでしょうから、

 

それを演技からでも取り入れる事によって、

 

的確な、急所をついたスキルってものを、

披露する必要もあり、

 

それによって、

 

「相手を早く倒す。」と言う意味での、

短期戦ってものを、

実現しなければいけません。

 

 

 

 

これを逆に言えば・・・・・・、

 

もうお分かりかも知れませんが、

 

「相手に速攻で倒される。」前提での、

短期決戦ってものが、実現されるものでもあり・・・・・・・(笑)、

 

勝ちに拘れば拘る程、

実は、

 

「必死のパッチ。」なんてものは、

必要無いものなのかも知れませんね・・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

ま、

実際には、

 

勝ち負けど〜こ〜は、

短期的なものでもあり、

 

勝ち負けど〜こ〜よりももっと、

 

戦いでもあり、闘うってこと自体が、

重要な要素ともなるのでしょうが。

 

 

 

勿論、

暴力的な戦いじゃあ無いですよ。

 

 

スキルを行使した上での、

切磋琢磨の戦いでしょうから。

 

 

 

まぁ、

 

負けて骨を拾って貰うって考えもあるでしょうが、

それでも言えるのは・・・・・・、

 

例え負けても、

 

暴力的な戦いじゃあ無いですから、

死にもしないし、大怪我をする事も無いですから、

 

尚更、

 

戦いが、泥沼化し易いものでもあり・・・・・・・・、

 

だからこそ、

 

戦い自体が重要となると同時に、

 

スキルで戦うって事と、

スキルを磨くって事、

両方ともが大事になるだろうし、

 

例え、

 

戦いの勝ち負け自体は、

負けに終わったとしても、

 

そこに必要となるのは、成長要素となるだろうし、

 

成長要素が、例え、

 

欺瞞だとしても、バーチャル的であったとしても、

存在しているからこその、

 

奇跡の成長を、期待する事も可能になるだろうし・・・・・・、

 

もっと単純明快に言えば、

 

楽しさや、充実感ってものを、

満喫可能になる・・・・・・・・って事なのです。

 

 

 

現実的な戦いってものは、

それが、

 

生き死に直結していない限りは、

泥沼化し易いものでもあり、

 

だからが故の、

 

暴力的な戦いに、発展させない為にも、

 

専門性と言ったような、

土俵が必須となるだろうし、

 

その共通認識でもあり、共有する行動を保持した上での、

スキルの戦いとする事が、

肝要になるだろうし、

 

それでこそ、

 

泥沼化した戦いを、

 

ちゃんと、レフェリーが存在しうる、

スポーツ的な戦い、ゲーム的な戦いにする事が、

可能にはなるものなのです。

 

 

 

勿論、

スキルと言いますから、

 

応用・流用が効きやすいものでもあり、

 

それによって、

 

専門性の違う、畑違いの、

異種格闘技戦が、勃発するものではある事でしょう。

 

 

 

・・・・・・・・が、

例え、

 

異種格闘技戦だからとは言っても、

 

「なんでもあり。」じゃあ、

暴力的、戦争的な戦いに、陥りかねないどころか・・・・・・、

 

実際の、

 

暴力的、戦争的な戦いを行っている輩に、

利用されやすくもなり、

巻き込まれやすくもなりガチです。

 

 

 

 

だからこその、

専門性でもあり、

それは・・・・・・・、

 

スキルを通してこそ、実際に行動を行ってこその、

専門性なのですし、

 

異種格闘技戦的な、戦い行う際にも、

 

「何の専門性か??」もしくは、

「どのようなスキルか??」って事を、

明確にし、

 

自分自身の弁護が出来る事は勿論だろうし、

 

その弁護によって、

 

自分自身の納得を勝ち取ることもまた、

必須になるだろうし、

 

それがあって初めて、

その、

 

異種格闘技戦的な戦いに、

意義でもあり、意味が出てくることによって、

 

勝ち負けど〜こ〜は、

横においておいたとしても、

 

その戦い自体に、

価値ってものが、生まれて行くものともなることでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

ま、

勝ち負けは、

 

明らかな、立ち位置の違いによって生まれるものとも言えるでしょうが、

 

専門性が存在し、

そこにスキルが存在した上であれば、

 

立ち位置自体も関係無しに、

 

戦いを挑んでいけば良いものだろうし、

 

まぁ、

本当の意味で、

 

立ち位置が高い人って言うのは、

 

それ相応の、

専門性でもあり、スキルのレベルを、

保持しているもんでもありますから・・・・・・、

 

胸を借りるつもりで、

スキルの戦いを、挑んでいけば良いもの・・・・・・とも言えるのでしょうね。

 

 

 

それでこそ、

 

良好な、人間関係が出来上がるものでもありますし、

 

そこを遠慮してしまうからこそ、

 

人間関係が出来上がり辛いとも言えるだろうし・・・・・・、

 

また、

そこで、

 

専門性とスキルを度外視して、

泥沼化の戦いに持ち込んじゃうから、

 

取りつく島の無い人に、

なっちゃうのでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

まぁ、

そのような人は、

 

それで学びを得る為にこそ、

そのような在り方であるとも言えるでしょうから、

 

愛を持って、

「生暖かく見守る。」って事が、

重要にはなるのでしょうが・・・・・・・・(笑)。

 

 

 

ある種の人類愛でもあり、

自己愛なのかも知れませんが。

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

応援、宜しくお願い致します(^^)


また違うんだけど、解るわぁ~(共感)ってなっちゃった方は、ポチッとな♪

 


人気ブログランキングへ

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村