剣の形代(つるぎのかたしろ) 76/239 | いささめ

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 源頼朝とて、京都の貴族達から向けられている視線を理解していないわけはない。とは言え、そのまま放置することを良しとするほど無神経ではない。

 人間、脳内に作り上げている序列を崩すのは容易なことではない。テストの点数のように明瞭な数値で序列を示すことが可能な場面であっても、自らの脳内で抱いている序列に反するような結果については簡単に受け入れることができないし、一生受け入れることができないことも珍しくない。

 建久六(一一九五)年三月時点の源頼朝の立場で考えると、京都の貴族達が自分に向けている蔑視の視線である。蔑視だけならばまだいいが、それが今後の社会構築を考える上での不都合となると、放置するなど許されなくなる。

 では、どのように放置せずに対処するのか?

 源頼朝の前には先例が存在した。

 平清盛だ。

 平清盛の権力の源泉は多々あるが、その中の一つに安徳天皇の実の祖父であるという点がある。藤原摂関政治が理想形としたのと同じく、天皇の祖父となることで皇室とつながった権力を手に入れることで、平清盛は他の貴族には手出しできない権力を手に入れることに成功した。平家に対する貴族達の不平不満は多々あるが、それでも天皇の実の祖父である人物に誰が真正面から向かい合うことができようか。源平合戦で平清盛に対して刃向かうことができたのは歴史的には異例事態とするしかなく、それも、平清盛を、そして平家をどうにかできる武力を持つと考えた結果である。

 この武力がキーポイントだ。

 建久六(一一九五)年時点に置き換えると、天皇の祖父という点以外は、平清盛の立場に源頼朝が来る。平清盛の時代だと、源氏の武力は消えているように見えていたものの実際には燻っており、また、奥州藤原氏も存在していた、すなわち、平清盛に刃向かう手段として武力でどうにかするという選択肢が残っていたのに対し、平家滅亡から一〇年を経た建久六(一一九五)年となると、鎌倉幕府以外の武力は、無い。ゆえに、武力で源頼朝に立ち向かう存在そのものがない。それこそ国家の持つ武力ですら例外ではない。こうなると、表向きは源頼朝に逆らう人間はいないこととなるが、それと源頼朝に対する蔑視は話が別だ。源頼朝に対する反発心を隠さない者は多く、その感情は東大寺再建供養で如実になっていた。

 だが、源頼朝が天皇の祖父となったらどうか?

 源頼朝は後鳥羽天皇の元に自分の娘を嫁がせようとした。娘である大姫が入内し、大姫が後鳥羽天皇の息子を産み、その男児が新たな天皇に就いた場合、源頼朝は天皇の祖父となる。こうなれば、裏ではともかく表立っての反発は許されなくなる。源頼朝は単なる上級貴族ではなく、天皇の祖父というアンタッチャブルな存在となる未来が誕生するのだ。

 天皇の祖父となったならば源頼朝は日本国の国政に対して巨大な権力を持つようになるであろう。ただし、これが平家との大きな違いであるが、源氏は平家のように議政官に人材を送り込んでいるわけではない。立法権と行政権を持つ議政官に人材を送り込むことができないでいる源頼朝は、議政官の面々、すなわち現時点で源頼朝に反発心を抱いている貴族達の協力を得なければ政務を遂行することができない。つまり、平家独裁政権と違い、既存の貴族勢力の協力を得ることが前提の政治体制ができあがる。

 

 

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