平家物語の時代 ~驕ル平家ハ久シカラズ~ 122/359 | いささめ

いささめ

歴史小説&解説マンガ

 渡河から二日後の治承四年一〇月四日、源頼朝はついに、隅田川を挟んでの睨み合いでの勝利を手にした。

 畠山重忠、河越重頼、そして、江戸重長が源頼朝の前に降伏し、源頼朝麾下の軍勢に加わると申し出たのである。

 それまでずっと睨み合いを続けてきた相手であり、三浦一族にとっては衣笠城を攻め落として三浦義明を死に追いやった上に三浦半島の所領まで踏みにじった面々である。怒りを見せたとしても理解されこそすれ貶されることではないが、三浦一族に対しては既に源頼朝から指令が出ている。彼らは黙って三名を受け入れた。降伏を受け入れたのではない。新しい仲間として受け入れたのである。

 これはなかなかできるものではない。昨日まで殺しあいをしていた、そして実際に家族が殺されたにもかかわらず、その指揮を執っていた武将を許すだけでなく仲間として迎え入れるのである。中でも問題になったのが畠山重忠だ。本来の棟梁である畠山重能が大番役のため京都におり、棟梁不在のままの状態で源氏挙兵を知った畠山重忠は、一七歳の若さでありながら、反対する家臣たちを制して畠山氏として平家方に参戦するとし、責任を全て自分が引き受けるからと由比ヶ浜で三浦義澄らの軍勢と衝突したのである。そして実際に勝利を収めたものの、情勢が変わってしまい、一ヶ月半前は敗者であったはずの源頼朝が圧倒的優勢となっている。

 この情勢を目の当たりにして畠山重忠は家臣に対して約束通り責任を取るとしたのである。自分は源頼朝に刃を向け、三浦一族と戦闘となり衣笠城を落として三浦義明を死に追いやってしまった。ゆえに責任は全て自分がとる。自刃も覚悟の上である。その代わり、自分とともに闘った畠山一族の仲間は自分の命令でやむを得ぬ戦闘に打って出てしまったのだから、彼らを今後は源頼朝の麾下の武士として扱ってもらいたいとしたのだ。

 源頼朝は畠山一族の武士を自分の麾下に加えることは約束したが、その軍勢の指揮をそのまま畠山重忠に執らせることとした。自刃ではなく、自陣への参加を命じたのだ。

 昨日まで殺しあいを敵をも許し自軍に加える源頼朝の姿勢は評判を呼び、さらに多くの武士が源頼朝のもとに参上するきっかけとなった。その知らせは東海道にも響き、討伐という名目で行軍路において略奪を繰り返す平維盛とのあまりにも大きな格差を目の当たりにして、元々存在していた平家への失望がさらに増すのと比例するかのように源頼朝への期待が膨らむようになっていったのである。

 塩野七生氏のローマ人の物語第Ⅴ巻での引用を借りれば、古代ローマのカエサルとポンペイウスとの内戦においてキケロはこのように語っている。「何という違いだ。敵を許すカエサルと、味方を見捨てるポンペイウスと」。ここでのカエサルを源頼朝と、ポンペイウスを平維盛と置き換えても同じ言葉が成立する。源頼朝と梶原景時との密約を知らなければ、の話であるが。

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村