平家物語の時代 ~驕ル平家ハ久シカラズ~ 121/359 | いささめ

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 着々と関東地方で勢力を拡張しつつある源頼朝に対し、関東地方在住の平家方の武士は日に日に追い詰められていた。

 ここで源氏方に降るというのは実に簡単な解決方法であるが、同時に極めて困難な選択肢でもあった。いかに源頼朝が勢力を拡大しつつあるといっても基本的には反乱軍であり、平将門や平忠常がそうであったように反乱勢力は討伐される運命にあるというのがこの時代の認識だ。そんな討伐対象とともに行動したところで、今は良くても討ち取られる未来が待っている。しかし、源頼朝とともに行動しないことは批判を多く集める平家の一員になることも意味する。平家が何をしてきたかを、そして現在進行形で何をしているかを考えた場合、反乱に加わるよりもより多くの憤怒を集めることとなる。平将門や平忠常がそうであったように平清盛が討伐される運命だってあるのだ。そうなったら憤怒とともに自らの命運は喪失することとなる。

 こうした苦悩の末に自暴自棄になる者も現れ、治承四(一一八〇)年一〇月三日、上総国で反乱が発生した。源頼朝が房総半島を制圧したあとで発生した最初の反乱である。源頼朝は房総半島三ヶ国を制圧したと言っても、安房国は知行国主の黙認、上総国と下総国は国府の制圧であり、令制国全体を制圧したわけではない。そして、内部にはまだまだ平家側である武士も存在している。その中の一つが上総国夷隅郡伊隅荘の伊北常仲である。

 上総国の制圧は上総介広常が受け持っていたが、ここに来て上総国での反乱発生、しかも伊北常仲は上総介広常の甥であり、上総介広常は二重の意味で失態を重ねたことになる。もっとも、これを反乱と考えているのが源頼朝の側であり、伊北常仲にしてみれば反逆者源頼朝とともに行動することの方が日本国に対する叛逆であって許されざる話であり、反乱者と呼ばれる謂われはない。

 源頼朝は千葉常胤に対して伊北常仲の討伐を指令し、千葉常胤は長男の千葉胤正に命じて千葉一族の軍勢を率いさせて上総国に向かわせた。確かにこの反乱は上総介広常らにとっての失態であったが、その失態を咎めることはしていない。その代わり、上総介広常ではなく千葉常胤に指令を出している。一族の失態を償わせるために一族の間で血を流させるという、これまで何度となく見られてきた武士の間での責任の取り方を源頼朝は否定したのである。

 

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