平家物語の時代 ~驕ル平家ハ久シカラズ~ 120/359 | いささめ

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 源頼朝が見せた江戸重長に対する悪辣な手段として、江戸重長を太井川(現在の江戸川)の防御の確認を名目として呼び出し江戸重長を殺害するよう企んだという出来事を記したが、私はそこで記した悪辣というのが江戸重長暗殺計画のことではないとも記した。

 そして、その件を後述するとも記した。

 その件が判明するのが治承四(一一八〇)年一〇月二日のことである。

 この日、源頼朝が、千葉常胤や上総介広常らが用意した船に乗って太井川を渡り、隅田川を渡って武蔵国に突入したのだ。江戸重長が太井川の防御に乗り出していれば確実に妨害されていたであろうが、太井川を口実としか考えなかった江戸重長にとって、太井川が口実ではなく現実の渡河地点であったと知ることは忸怩じくじたる思いにさせられるに充分であった。

 渡河と同時に源頼朝のもとに豊島清元と葛西清重がやって来た。それまで中立としていた武蔵国の二人の武士がここで正式に源頼朝の軍勢に加わったこととなる。併せて、足立遠元も源頼朝の軍勢に加わるために向かってきているところであるとの情報が入り、さらに下野国の有力武士団である小山氏も源頼朝のもとに加わることが決まった。

 ここでの小山氏の加入についてちょっとしたエピソードがある。

 小山氏のトップは本来であれば小山政光であるが、小山政光はこのとき大番役として京都に滞在しており、小山氏はトップのいない武士団となっていたのである。そのタイミングで源頼朝が決起したため小山氏としてどのような選択をすべきか意見の一致を見てはいなかったのであるが、ここにきて小山政光の妻である寒河尼さむかわのあまが行動を見せた。彼女はかつて京都で源頼朝の乳母の一人であり、その後に小山政光のもとに嫁いでいたという経緯がある。あくまでもかつて乳母であった身として成長した源頼朝のもとに会いに来たという体裁で、小山政光の末っ子である一万丸も帯同させたのである。

 その上で、寒河尼は一万丸をここで元服させて欲しいと頼み込んだのだ。それも源頼朝を烏帽子親としての元服である。元服のときにこれより大人になる少年にはじめて烏帽子をかぶせる役目を務める人のことを烏帽子親と言い、顔を合わせることのできる人の中でもっとも高位の人に烏帽子親を依頼することは慣例化されており、その場で烏帽子親に元服後の名を名付けてもらうこともごく普通のことであった。

 この烏帽子親の役目を源頼朝は生まれてはじめて体験することとなったのである。清和源氏嫡流としてたぐいまれな血筋を持っているとは言え、ついこの間まで流人扱いされていて、高位であると扱われることなど全く考えられなかったのが源頼朝である。ここで烏帽子親を依頼されるということは、小山氏だけでなく、この場にいる全ての人が源頼朝を最高位者であると認めたことを意味する。

 ここで源頼朝によって烏帽子を授けられた少年は、一万丸という幼名から小山宗朝へと名を変えることとなった。自らの名のうちの一文字を与える名付けは、その者を生涯に亘って保護することを意味する名付けである。小山宗朝は後に名を結城朝光へと変えるが、源頼朝より賜った朝の文字を捨てることは無く、生涯に亘って源頼朝の側に仕える有力御家人となる。

 

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