「小早川秀秋」「裏切り者」 | けいきちゃんのブログ

🌸小早川秀秋(安土桃山時代)19歳で天下を左右した

 

『要旨』

 ☆小早川秀秋、日本一の裏切り者

 ☆秀秋、秀吉との養子縁組を白紙にされて豊臣家から追い出される

 ☆小早川秀秋は、大きな戦いを前にしても煮え切らない態度

 *小早川秀秋、天下分け目の戦いを決する位置松尾山に立っている

 *小早川秀秋、日本一の裏切り者と言われる行動を取る

 ☆小早川秀秋、21歳でこの世を去る

 ☆秀秋が死に跡継ぎがいなかった小早川家改易

 

「小早川秀秋」「裏切り者」

(『日本史の黒幕』記事より画像引用)

 

日本一の裏切り者
 ☆小早川秀秋の肖像画、困惑した顔の武将の顔が描かれている
 ☆天下分け目の戦い関ヶ原の戦い

 *小早川秀秋の行動が勝利の行方を左右した

 *”日本一の裏切り者″といわれたのが小早川秀秋

秀秋、秀吉との養子縁組を白紙にされて追い出される
 ☆現在の滋賀県長浜市に生まれた小早川秀秋は、豊臣秀吉の養子だった
 ☆秀吉、正室北政所との間に子供ができなかった
 *秀吉は、有力な家臣の子供を何人も養子に迎えていた
 *小早川秀秋の父親は北政所の兄だった

 *秀秋は秀吉の後継者として期待されていた
 ☆秀吉と側室の淀君との間に秀頼が生まれ秀秋の株は急落した

 *捨てられるように小早川家に養子に出された
 *養父の小早川隆景に鍛えられた秀秋

 *朝鮮出兵では秀古軍の総大将を任せられるまでになった
 ☆秀秋は家康に大きな借りを作っている(朝鮮出兵問題での救済)
 *秀秋は、味方の三成に対して疑心暗鬼だった
 ☆関ヶ原への伏線は次々と張られていった

 

⛳小早川秀秋は、大きな戦いを前にしても煮え切らない
 ☆石田三成は天下獲りへの野心をあらわにした徳川家康

 *討つことを決意して、豊臣系の武将たちに向けて檄文を送る
 ☆家康率いる東軍と三成率いる西軍との間で全面戦争が始まった
 *10代だった秀秋は西軍に身を置いたものの

 *豊臣家や三成との確執で、態度は煮え切らない
 *小早川秀秋は、寝返するのではと味方から疑われていた

 ☆肖像画に描かれた秀秋の思案顔

 *彼の胸の内を表しているのかもしれない

小早川秀秋、天下分け目の戦いを決する位置に立つ
 ☆関ヶ原一帯を見下ろす松尾山に姿を現した秀秋
 *松尾山には、西軍の使者、東軍からも使者が訪れた
 ☆一進一退の戦況のなか、動こうとしなかった秀秋の決断

 ☆小早川秀秋の決断を促した家康

 *松尾山に威嚇射撃を行った
 *秀秋はついに腹を決めると、三成率いる西軍に攻め込む
 ☆秀秋の裏切りをきっかけに西軍の武将

 *相次いで敵軍へと寝返っていった

 *最後の関ヶ原で小早川秀秋は大谷吉継軍と激突した

 *最終的に勝利は得たが、秀秋は吉継の怨霊の妄想に悩まされた
 ☆最後まで煮え切らない態度をとっていた秀秋
 *奇しくも天下分け目の人一番でキーマンなった

小早川秀秋、21歳でこの世を去る
 ☆東軍の一員として勝利を収めた小早川秀秋

 *関ヶ原の戦いから2年後、21歳の若さでその生涯を閉じている
 *裏切り者として後ろ指を指され、酒におぼれて死亡した

 *小早川秀秋によって自害した、武将の呪い殺されたという話

 *自分の人生を振り返ってノイローゼイになって自害したという話
 ☆秀秋が死に、跡継ぎがいなかった小早川家改易

                       (敬称略)

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⛳出典、『日本史の黒幕』