こんにちは。
とくちゃんです。
前回の記事は、こちら。
夕方、兄の状態を教えてもらいました。
・今は、人工呼吸器を使って、ギリギリ呼吸ができている状態。今まで使っていたものよりも大きな機械。
・点滴たくさんしている。ご飯も食べられないし、ベッドを起こすこともできない。
・肺炎とか何か合併症が起きたら、命の危険がある。
・当分は、面会禁止。家族でも、限られた人だけ。
・もしかしたら、あなたたちは会えないままになっちゃうかも知れない。
”生きてはいる”
でも
”いつ死んでもおかしくない”
そんな緊迫した状態であることは、すぐにわかりました。
想定していた答えではあったものの、やっぱり直接聞くと、ショックが大きいです。
そして、もう一つ、大切なことを言われました。
『今は、大きなマスクの人工呼吸器なの。楽に呼吸ができるようになるために、気管切開をしたら良いと言われた。でも、今回はそれをやらなかった。』
気管切開
人工呼吸器の練習をしている姿を見てきた中で、何度か、聞いたことがある言葉でした。
気管切開:呼吸しやすいように、気道を確保するために喉に直接穴を開けてチューブを入れること
でも、それと引き換えに声を失う
おしゃべりが大好きな兄にとっても、兄と話すことを楽しんでいるわたしたちにとっても、それはあまりにも残酷な選択でした。
今回は、その選択をしなかった。
それは、声は失わないけれど、命の危険が常にあるということ。
人工呼吸器になれる練習を始めた時から、ずっと話し合ってきていたことのようでした。
本人の意思としても、『気管切開はしたくない』
命の危機があっても、声を失うということは、兄にとっては、生きる楽しみがなくなるということなのかなと感じました。
・個室で厳重に管理されている状態だから、必要な時以外は面会できない。
・場所が遠いから、頻繁にいける距離ではない。
この理由から、当面の間、兄と会うことができませんでした。
週に一度は自宅に帰ってきて、一緒に遊んでいた兄との時間。
それが一瞬にして奪われてしまいました。
”また、お兄ちゃんと一緒の時間を過ごしたい”
”早く元気になってほしい”
毎日毎日、祈るように心の中に抱いていました。
次回、わたしの世界観70〜小学校高学年11 初めての病院、久しぶりの面会〜に続きます。