夏休みの課題図書は藤沢周平「無用の隠密」 | 凝り性 勝之進のこだわり日記

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★Livin' On A Prayer★Once upon a time Not so long ago・・・ 
 

少し前、本屋に立ち寄ったら、
文春文庫の掲題本が目に留まりました。
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副題は「未刊行初期短編」、
帯は「藤沢周平、幻の短編」。

続けて「無名時代に雑誌掲載され
書庫の片隅に眠っていた15編」
と書いてあります

全作読破済を公言している勝之進としては
読まないわけにはいきません。

それにしても、いつ出たんだろうと思って
裏表紙を見ると、第1刷は2009年になっており、
手元にあるのは2020年7月刊行の第19刷。

気が付かなかったなぁと思いつつ、
久々に、新たな藤沢作品が味わえるのを
楽しみにページをめくりました。

これまで、通勤時間に
少しづつ読んでいたのですが、
あまりに文章が素晴らしいので、
駅を乗り過ごしたこともありました。

読みかけで、途中になっていたので、
夏休みを利用して、残りの短編を
読み切りました。

その中では「待っている」という短編が
が特に心に残りました。

【ネタバレします】
<あらすじ>

◆元・錺(かざり)職人の徳次は
壺振り・いかさま博打の凄腕で、

捕まって島送りになり、5年ぶりに
江戸に返ってきた所から話が始まります。

◆島から帰って徳次は、父・兼蔵が、
もう一度息子に会いたいといいながら、
亡くなったことを聞き、心を暗くします。

◆住むところのない徳次は
昔住んでいた長屋の住人・嘉平の家に
転がり込み、暮らし始めますが、

やがて、通いでやって来る、
嘉平の娘・お美津が心の支えに
なっていきます。

小さいころからお美津のことを知っている
徳次は、次第に心魅かれていくのでした。

◆嘉平は、徳次に左官の仕事を探してきて、
親方の繁蔵に身柄を預けます。

この繁蔵という名前は、藤沢周平ご本人の
お父様の実名です。何か、深い意味が
ありそうですね。

◆徳次は更正して真面目に働き、
カタギの生活に慣れていきました。

しかし、嘉平が中風で倒れたことから、
その世話のため、お美津は奉公先の
仕事をやめ、

徳次とお美津は結ばれたものの、
次第に困窮していきます。

◆お美津は徳次を頼り、徳次は
なんとか貧困を打開しようと、
切羽詰まり、弟の藤二郎のところへ、
恥を忍んで借金に行きます。

◆しかし、藤二郎には、
邪険に断られてしまいます。

徳次は、暑い日照りの中、
「いくんじゃなかった」と
目もくらむような恥辱と後悔を抱えて
さまよい歩きます。

そんなギリギリの状態の徳次に、
昔の賭場の仲間が悪魔のような
誘いをかけます。
「もう一度いかさまをやらねえか」

◆金の工面が付かず、
八方塞がりとなっていた徳次は
一度だけと心を決め、昔、身に着けた
いかさま勝負に行ってしまいました。

「お美津を楽にしてやるんだ。
世話になった嘉平とお美津を
食わしていかなくちゃならねぇ。」

そんな想いも虚しく、
いかさまが見つかる徳次。

◆賭場の裏へ連れ出され、
取り囲んだやくざ者の手に
光る匕首(あいくち)。

「見逃してくんねぇ」とすがる徳次。
「嘘じゃねぇ。皆何もしらねえで・・・」

待っているんだ、という表題の言葉が
出る前に、刺された徳次の眼は

無情にも闇に包まれ、
そこで本編はブツっと終わります。

冷たい地面に転がった徳次が、
真っ暗な夜空に向かって
手を上げている姿が目に浮かびます。

・・・・

これぞ藤沢周平。
珠玉の作品です。

本編の初出は昭和39年、
1964年3月と古く、
なんと57年も前の作品です。
当時、藤沢先生はまだ35歳でした。

時間がたっても、全く色褪せないのが
時代小説のいいところですね。

実は、その頃、藤沢先生は、肺結核を患った後、
社会復帰して日本食品加工新聞の記者として
働いていました。

もちろん、作家デビューもしておらず、
藤沢周平も名乗っておおらず、

本名の小菅留治のまま、ほそぼそと
小説を書き溜めていたのですが、

38年10月、本作品掲出の半年前に
悦子夫人を急病で亡くしてしまいます。

生まれたばかりの展子さんを抱えて
途方に暮れる日々を送る先生。

暗く下を向いた藤沢先生の姿が、
この小説の隙間から垣間見えます。

・・・

自分の父親とも、本当は、もっと
話しをしたかった、という後悔、

助けてくれる人の温かさ、
助けてくれない人の冷たさ、

頼るもののない時の寂しさと
深い孤独、

肺結核から復帰しても、まるで
島帰りのような扱いを受ける現実

愛する人を突然失い、何故自分だけ
このような目に合うのか分からぬ不条理、

そして、自分の力ではどうしようも
ないことが多すぎる世の中、

そうした暗く鬱屈した全ての想いを、
小説という形で吐き出していた先生は
本当に苦しかったんだろうと思います。

その呻きが、徳次の叫びとなります。

「俺はいい。だが、家で女房と親爺に・・・」
「俺あ、ここで死ぬわけにはいかねぇ」

・・・

そして、本作と、ほぼ同じストーリーの
作品があるのも興味深いことです。

「又蔵の火」の第4編に収録されている
「割れた月」という作品です。

割れた月は、昭和48年10月の
作品なので、先生は、約10年経って
書き直したことになります。

「待っている」と比べると、いろんなところが
微妙に変わっているのですが、

先生が、なぜ「そこ」を変えたのかまでは
わかりません。

ただ、お紺を再登場させたのは、
小説の構成としての説明力は増すものの、
残酷さが際立つので、

個人的には、「待っている」の方が、
救いがあっていいと思いました。

・・・

小説というのは、文章を使って、
読者を作品の中に引きずり込み、

一緒に泣いたり笑ったりするできる
力を持っています。

読者の目に、情景が浮かぶような
文章がどこまで書けるか、
 
どこまで共感が湧くような文章が
書けるかが勝負なのですが、

そういう点で、やはり藤沢周平先生は
歴代随一の時代小説作家だと
あらためて感じました。

これを機会に、もう一度、
全作品を読もうかなと
思ってしまいました。

以上、夏休みの読書感想文でした。

  なぜ「割れた月」という題なのかは読むと分ります。。。勝之進