成田屋 | 徳富 均のブログ

徳富 均のブログ

自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 元禄10年5月、江戸の中村座は万雷の拍手と嵐のような喝采に包まれた。

「成田屋!」

「成田屋!」

 それは、「成田屋」という屋号を名乗った市川團十郎の「荒事」と呼ばれる豪快な演技は、江戸っ子に爆発的な人気を呼んでいたのである。

 團十郎は跡継ぎに恵まれなかったので、成田山に籠って成田不動に願をかけた。そのかいあってか、間もなく二代目を授かり、親子で初共演をしたのが、元禄10年の中村座の歌舞伎狂言であった。以後、團十郎歌舞伎では、成田山を題材とした『成田山分身不動』などが好んで上演された。なかでも大人気だったのが、演技がピークに達したところで團十郎が顔の表情やポーズを動かさずにきる「見得(みえ)」であった。この「見得」は、成田山の不動明王の姿を写してできた所作である。

 歌舞伎のみならず、芸術の「技」を継承するのは大変な仕事です。形通りの継承だけでは、観客に飽きられてしまいます。ですから、そこには自ずと「花」がなければなりません。そして、「花」の継承は難しい。なぜなら、「花」は演者に備わっているからです。ただ、その備わった「花」をどのように観客に見せることが出来るか。それが「演技」であり、演者の「魅力」と言えるのではないでしょうか。