紀州の漁民 | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 千葉県の房総半島と和歌山県の紀伊半島とは、およそ500㎞離れている。しかし古来、この二つの半島は海によって結ばれていたのである。イワシやサンマなどを獲るための網漁(あみりょう)は、近世初頭に、おもに黒潮に乗って紀伊半島からやって来た漁民によって伝えられたものである。

 サンマは、8月ごろから産卵のために、親潮に載って千島列島沖から日本の太平洋岸を南下し始めるが、紀伊半島に到達する12月頃には脂(あぶら)が抜けている。房総半島の沖合いは、寒流の親潮と暖流の黒潮がぶつかりちょうど良い漁場となっているため、紀州の漁民は、この地に移住し、より脂ののった「旬(しゅん)」のサンマを獲り、その漁法を伝えたという。以来、大消費地、江戸にも、美味なるサンマもたらされたのである。

 こうした「新しい」海産物だけでなく、銚子や野田の醤油づくりも、移住してきた紀州の人々が伝えたものであるという。勝浦や白浜など、房総半島と紀伊半島のいずれにも残る地名も、二つの地域のつながりを物語っている。

 現代のような交通網が発達、整備される前は陸路よりも海路、すなわち船での輸送のほうが安価で大量輸送されるので歓迎されたのでしょう。ですから、遠隔地に何故同じような地名があるのかという疑問も解決されるはずです。また、技術も遠くまで伝えられ、技術開発も可能になっていたのも理解できます。しかし、そのスピードは現代とは比較になりません。現代は、日本国内だけでなく、地球規模で動いていますから、これを利用しないという選択はないと思います。ということで、臆することなく海外進出を図るべきだと思います。