五稜郭(ごりょうかく) | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 幕末の箱館(函館)開港にともなう対外関係の処理や海岸防備などを行う箱館奉行所として、元治元年(1864)に完成した日本初の洋式城郭が「五稜郭」で、城郭内は、約13万㎡の面積を有する。

 高層の天守閣を持つそれまでの日本式城郭と違い、五稜郭内部の施設は、外国船の強力な大砲攻撃の標的とならないよう低層とされた。また、周りに巡らされた土塁は砲撃に耐えるため分厚く、高さは7~8mある。内部に通じる橋付近は強固な石垣で守られ、石垣上端には敵の侵入を防ぐために張り出した石の武者返しがある。そして、二の橋は、正面の堀に浮かぶ石垣の稜堡(りょうほ)、半月堡によって守られ、砲台を備えるために城郭から張り出した五つの稜堡は星形を形成。これが五稜郭の名の由来になった。当時の建物はほとんど現存しないが、石垣や土塁などに往時の面影を残し、国の特別史跡となっている。

 元治元年10月26日、旧幕府海軍副総裁榎本武揚に占拠され、榎本軍(約3000人)は蝦夷地所有を宣言して「蝦夷政権」を樹立。これに対して新政府軍約1万5000人は、翌年の5月から箱館五稜郭を総攻撃。この函館戦争で、新撰組の土方歳三は玉砕。榎本軍は5月18日に降伏した。

 日本の近代化を生み出した「戊辰戦争」は、全国で多くの悲しい話を残して現代の我々に伝えてくれています。